僕はもともと中国が好きだ。この国の悠久の歴史、華々しい文化、食事、それから中国の現代アートなどは僕の目には非常に魅力的に映る。それらの根底には形容しがたいダイナミズムがあって、中国という大きな一つの運動を感じさせる。そのようなところに僕は惹かれていた。そんな中国を実際に自分の目で見てその魅力の根源を探ろうというのが、僕がこの旅に参加した理由の一つであった。
西江千戸苗寨というミャオ族の集落で二泊したあと、僕たちは市内の駅にもどろうとバス停を探していた。しかしそのバス停までの道がわからず、近くにいた若いカップルに道を尋ねた。すると彼らはバスで駅に向かうより安く駅へと送っていってくれるという。僕たちはその誘いに乗り、無事に安く市内の駅にたどり着くことができた。
また、こんなこともあった。
万里の長城へと向かおうとしていたとき、いかにも怪しそうなおじさん二人に話しかけられた。片言の日本語と英語を駆使してニコニコしながら僕たちとコミュニケーションをとろうとする。よく話を聞くと目的地へ行く際に利用するシャトルバスよりも安く僕たちをそこへ連れて行ってくれるという。僕たちはお金をたくさん持っているわけでもなかったので、多少のリスクを感じながらも、彼らの誘いに乗って無事その目的地にたどり着いた。
このことを知り合いの中国人に聞くと、「それが良いことだとは思わないけど、中国では普通だよ。」とのこと。
ここで僕が感じたのは、中国人の生命力やたくましさである。一人一人の人間が、誰かに指図されるでもなく、個々に動いている。上にある大きなものから独立していると言ってもいい。
日本では中国共産党独裁という切り口で語られることの多い中国だが、一般の庶民にとってみればそんなことどこ吹く風である。中国をここまで経済的に躍進させ、ここまで魅力的な国たらしめているその源は、まさにこの個人の躍動にあるのではないか。
中国の人々はいわば原子である。それらは激しく熱運動し、中国の温度を上げている。
【文責:マネジメント局1年 大西陸仁】