赤の大国 | 学生団体S.A.L. Official blog

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 彼らは怒っているのだろうか。中国語はぼくの耳には刺激が強い。機体が大きく揺れる。そろそろ着陸だ。PM2.5の影響だろう、機内の窓を通して見た中国は薄く曇りながらも、煌々とした光を浴び、旅の始まりを予感させた。

 「我々はたいていの場合、見てから定義しないで、定義してから見る」(リップマン『世論』)

 通常、日本人は赤に象徴されるこの大国を「自己中心的」「共産党独裁」「言論統制」といった言説で語る。当然ぼくも思っていた。しかし、このスタディツアーを通してぼくの中の「中国」の定義は大きく変わったのかもしれない。 

 このスタツアでは北から南へ様々な都市を巡ってきた。北京では一晩中ネオンがきらめき、町はねむらない。成都では区画整理された町を少し離れれば、チベット民族の文化の香りを感じる雄大な自然に出会う。ミャオ族の村では自給自足の生活と観光の共存を通して現代中国を生き抜く強さを感じた。そして今回、中国を縦断することで、それぞれの場所で、町並み、文化、言語が異なっていることは明らかであった。

 そしてぼくが漠然と感じていた疑問。「中国は多くの民族が内在しながらも国家として保つことができているのはなぜか。」ぼくは中国共産党の圧政だと勝手に決めつけていた。そして、北京に着いてすぐ、北京大学の学生へのインタビューで聞いてみた。インタビューの相手は英語が堪能な、中国文学を専攻する女性だった。未明湖と呼ばれる北京大学のシンボルになっている静かな湖畔で、陽射しが照りつける中、彼女は丁寧に答えてくれた。

 「中国という国は非常に複雑だ。そして、民族が多数存在するからこそそれぞれの良い面、悪い面があるのは当然である。しかし、それをお互いが寛容に受け入れることで国としてまとまっているのだ。」

 なぜかこの答えを聞いた時、少し安心した自分がいた。ぼくは中国という国に対してどこか無機質な印象を勝手に抱いていたからだ。そこに人間味の溢れる答えを聞けて、ほっとしたのだ。しかし、日本人のぼくにとって中国政府の寛容さがどこに現れているのか未だわかっていない。寛容さというのは難しく、中央がただ補助金を出すだけでなく、民族の独自の文化を受け入れることであるからだ。また、少数民族の悪い面というのも正直わからなかった。多くの場合、液晶画面を通して映し出される中国にはチベットやウイグルでの暴動がクローズアップされている。2013年11月1日の天安門車両炎上事件は記憶に新しい。メディアフレームの中の少数民族は時として、トラブルメーカーとしての役割を持っている。しかしこれは、あくまで何かしらに対する抗議の態度であって、彼ら自身の問題ではないからだ。これを悪い面というのは彼らに申し訳ない気がする。では、実際に訪れて悪い面は見れたのか。今回の旅ではあくまで観光客として立場であったため、彼らも当然僕らに対して良い面のアピールしかしないし、僕らも受け身の行動しかとれなかった。結果として悪い面を知ることはできなかったといえるかもしれない。

 今回の旅スタディツアーでは、中国に対して、親しみを感じるとともに、無機質な印象を払拭することができた。しかし、課題も残る結果となった。この課題に対して、ぼくなりに答えを見つけられた時に初めて、ぼくの中の中国が近くて近い国になるのだろう。

【文責:広報局2年 松下淳史】