3年という月日 | 学生団体S.A.L. Official blog

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もうあれから長い月日が経った。

3年。

この年月を聞いて何がまず思い浮かぶだろうか



ちょうどこの頃は高校の卒業生の送別会をしていた。
ホールでダンスや舞台の出し物をしている最中、天井が揺れているのに気づいた。
私は舞台上の生徒の振動で揺れているものだと思っていた。

だがその瞬間は静かに訪れた。

1人の生徒が悲鳴を上げる
悲鳴は連鎖し舞台の音楽ももう聴こえない
生徒が背後にあるドアに向かって一斉に走り出す。



地震だ



2011年3月11日、後に東日本大震災と呼ばれる大きな地震が起こった。
死者・行方不明者2万1500人超。
今も原発事故の影響は残る上、復興は間に合っておらず国内避難民として仮設住宅で辛い思いをしながら暮らしている人も少なくない。

しかし当時の私達はその4日後の3月15日、予定通り何事もなかったかのように卒業式を行った。

しかしちょうどその2011年3月15日、もう一つの悲劇が生まれようとしていた。



シリア内戦だ。


この日シリア各地の都市で一斉に大規模なデモが行われた。
そしてそれは戦闘に発展し、今もまだ続いている。

死者は14万人を超えた。



隣国のここヨルダンには国外避難民として約60万人のシリア人が避難してきている。

2割が難民キャンプ、8割が都市部に住んでいる。
大きな支援団体の手が届きにくい都市部では、UNから支給された病気の治療費やクーポンを売って家賃や子供の文房具に当てやっとの思いで暮らしている家庭がほとんどだ。



「心も身体も限界だ。」

視線を床に落とした1人の男性がぽつりと呟いた。


いつかはこんな苦痛も終わるだろう。そして難民の方もそう信じているはずだ。
そう思いたくて難民の方に将来どうしたいかを聞いてみた。

キャンプでも都市部でも返ってくる答えはいつも同じだった。



「シリアに帰りたい」





3年、と聞いて何も思い浮かばなかった人はいないだろうか。

私たちの中ではすでに遠い過去のことかもしれないが、
彼らの中ではまだ何も終わってはいない。


「震災3年ということでいらしたんでしょうけど、私らには区切りでも何でもないんですよね。」*

ヨルダンで朝日新聞のこの記事を読んだ時、この言葉が深く胸に刺さった。



東北の人に送られて余った服をシリアに届けている人がいる。
まだ被害の残る東北の人もシリアの人を助けようとしている。


私たちはただ眺めているだけか。





*朝日新聞朝刊 2014年3月13日付 (鎮魂を歩く 再会:8) より抜粋


【文責:企画局2年 池田美欧】