少し昔の話 〈前編〉 | 学生団体S.A.L. Official blog

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少し昔の話をしてみようと思う。
そこまで遠い過去ではないけれど、あれから多くの時が過ぎたと言えるほど昔。
そう、わたしが「世界」に興味を持ったときの話。





2011年9月6日-14日。
初めての一人海外。ベトナムに行った。
脳や体に障害のある人々(主に子供)や、貧しくて家では育てられないために親元を離れて暮らすことになった子供たちが集まる宿泊施設兼学校のHai Duong Welfare Center、そしてベトナム最貧層の人々が生活するFisher Village。これら二つの光景は、それまでのわたしの経験の範疇を越えていた。すべての見る物、聞く物、嗅ぐ物がわたしにとって異質であり、当初抱いた感情は「受け入れがたい」であった。


〈Hai Duong Welfare Center〉
最初に滞在したHai Duong Welfare Centerにはシャワーがなく、トイレも自ら水を流し込んで汚物を処理しなければならなかった。もちろんトイレットペーパーなどない。その施設にいた子供たちも、体をきれいにするという習慣を持ち合わせていなかったようで、いつも汗の匂いとべたつきを感じたし、毎日同じ薄汚れた服を着ていた。一方で、施設の理事たちはきれいに着飾っていて、いかにも金持ちそうだった。施設の子供たちと、その施設を運営する理事たちのこの対照的な違いは、外から来た私に奇妙な感覚を与えた。

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$学生団体S.A.L. Official blog-<薄汚れた子供たちと、着飾る理事の写真>

〈薄汚れた子供たちと、着飾る理事の写真〉


しかし、子供たちはとても人懐っこかった。初対面の私にも遠慮なく笑顔で抱き着いたり、話しかけてきたりした。こんなことは日本ではありえない。子供たちは、人に気に入ってもらう術を体得しているようだった。なぜ人に気に入ってもらう術を身に着ける必要があるのか。それは寂しさによるものではないかと思う。親から離され、この施設で暮らす。会いに来ない親は多いと聞いた。この施設を離れる日、雨が降っていたのだが、いつもなら友達と屋外で走り回っている子供たちが、泣いていた。「家族に会いたい」――理由は皆同じだった。子供たちにはどこかに「捨てられた」という感覚があるのかもしれない。
その光景を見て、私は恥ずかしさと悔しさの混ざった何とも言えない感情を抱いた。実を言うと、この施設に来た初日、私は「ああ、家族に会えなくても、たくさんの友達に囲まれて笑っていられる。子供たちは、幸せなのだ。」と感じていたのだ。その日のわたしの日記には、こう書かれていた。「この場所は本当に汚い所で、衛生的にいい環境だとは言えない。けど、みんなすごく懐っこくて、笑顔で元気だ。子供たちにとって、ここはどんな場所なんだろう。…幸せなのかな。親にも会えないし、体にも悪い。(→少年たちは、水煙草を日常的に吸っていた。)でも300人の友達がいる。…幸せって何だろう。」

そして子供たちは、一緒に遊んでいると、常に何かを求めてきた。写真を撮ってくれと言ってきたり、お菓子や飲み物をねだったりしてきた。特に、飲食物をねだる姿は、私に物乞いする人を思い出させた。食事はまずく、下水同様の水しか与えられない彼ら。私と同い年の子でも、10~13歳程度にしか見えなかった。ここは、社会に出て生きていけるようにするための学校なのだろうか、それとも生き場をなくした人たちを収容するような所なのか――最終的に、私はこの疑問を抱かざるを得なかった。





後編に続く

【文責:広報局2年 山崎みず穂】