ネパールの限界、そして今後 | 学生団体S.A.L. Official blog

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ここでは、ネパールについて現地で考えさせられたことを書きたいと思います。私の考えさせられたこととは「ネパールの限界」、そして「今後の方向性」です。前者のこの「限界」とは経済発展の限界を指します。まずは私がそう考える理由を説明していきます。

この問題の最大の原因は、ずばりネパールの地理です。

私たちが訪れた首都カトマンズは海抜1300メートルに位置し、世界一高い場所にある首都して有名です。しかしそのために、道が山がちで、なかなかインフラ整備が進まず、道路も未舗装の土の道が多かったです。鉄道もひくことができず、交通手段は車しかありません。そのため、ひどい渋滞がおきます。私たちも、この渋滞を経験しました。カトマンズから農村部に行く道で、2時間の渋滞がありました。ガイドは、ここでは日中常に渋滞している、と言っていました。鉄道が敷けない上、唯一の物流手段である車でさえここまで渋滞するなんて、ネパールの輸送機関は極めて未発達であると感じました。

ネパールは内陸国であり、東は中国、西はインドに国境を接しています。東の中国との国境は、世界最高峰ヒマラヤ山脈に覆われているため、交易はできません。そうなると、内陸の小国ネパールは大国インドと貿易せざるを得ません。実際、ネパールの対インド貿易は全貿易量の70%を占めます。その内訳も、生活必需品の一次産品中心であり、インドはネパールという国自体の存続において決定的な力を持っていると言えます。一方、インドからみたネパールは、全貿易の0.5パーセントにも満たず、その貿易の影響もネパールと国境を接しているベンガル3州に限られ、「なんにもない国」とインドから見ると言えそうです。現に私たちがインドのデリー大学、バラナシ大学で学生にインタビューした際も、隣国であるということ以外にネパールについて語ることができる人はいませんでしたし、カトマンズに入るためにトランジットで利用したデリー空港では、LCCの事務員にカトマンズなんていうなにもないとこになにしに行くのだとからかわれました。この様な状況が示しているように、インドはネパールに対しとても強い態度で貿易にのぞんできます。その一例として、自動車貿易が挙げられます。ネパールは国産車メーカーが存在しないため、唯一の長距離交通手段である貴重な自動車を100%インドからの輸入に頼っています。インドはこの独占状態をいいことに、主に自国で需要がなくなった故障車を修理してネパールに輸出しています。更にインドは自国車以外に300%の法外な関税をかけさせます。例えば中古のトヨタランドクルーザーは日本円で700万円もします。ネパールでの一人当たりGDPが日本円で7万円であることを考えれば、どれだけ高額であるのか少し想像がつくと思います。こうしてインドは自国の車を半ば強制的に売り込んでいるのです。確かに、ネパールでみかける車のほとんどがインド車のTATAでした。そして、時折見受けられる道端の故障車もまたTATAでした。

この自動車の例から、他にもネパールの問題を見ることができます。インド以外の車に高関税をかけ儲けている政府や、絶対的なインドとの貿易に携わる貿易会社です。一人当たりのGDPが7万円の中、貿易会社の経営者のひとり、チャウダリという人はフォーブス誌の世界億万長者ランキングに載りました。このように極めて貧富の差が開いた状態では、社会主義が力をもちやすいのですが、ネパールもその例外ではなく、共産党毛沢東主義派、マオイストと呼ばれる人たちが最大野党となっています。従来の穏健な国民会議党ではなく、マオイストの革新的な財産平等・共有の社会主義に惹かれ、若者のほとんどはマオイスト支持なのだそうです。ネパールの若者達はアクティブで、ネパール人としてのプライドもある。1960年代中国で起きた文化大革命の時の紅衛兵が思い出され、なにか危うさを感じました。このように資本主義と社会主義がぶつかり合い、政治が大混乱していては、もちろん政治面から経済発展への強力なイニシアチブを取れるはずがありません。

こうした現状をみると、ネパールは他の後進国と同じように経済発展ばかりに邁進していくよりも、自然保護に徹するべきなのではないか、という考えが私の中で出てきました。ネパールの経済発展は、前に述べた地理的要因と政治的要因によって大きく限られたものになるでしょうし、限られた中でも経済発展の中で都市化進んでしまったら……首都カトマンズはひどい大気汚染が問題になっており、現地の人々でも半数は外出時マスクを着けています。またゴミも道のそこら中にちらばっていました。このような歪な都市が増え、ネパールの美しい自然を浸食していくのです。それよりは、ネパールの美しい自然を、現存のままで保存したい、と思いませんか。ネパールといったら、ヒマラヤ山脈、エベレスト。ポカラという景勝地からみたヒマラヤは、本当に美しかった。でも、私が真に感動したのはそういった風景ではなく、農村部で見ることができる、自然とヒトの共存でした。「こんな急斜面の崖のような山で、人が暮らせるはずがない」と思えるようなところでも、よく見ると畑があって、そこで子供達がたくましく畑を耕していたり、電気やガスが使えなくてもなんの不自由もなく、悠々と自給自足の暮らしをしている人を見て、私は感動しました。日本では絶対に見ることができない、自然とヒトの上手な付き合いが、そこにはありました。世界が資本主義の荒波にのまれて、自然を犠牲にし、経済発展しか考えていないような国ばかりのなかで、このような光景が見れるのなら、それをできるだけ現存の形で保護し、未来世代に伝えたいとは思いませんか。

私はこの「経済発展より自然保護」という考えに、自信を持っていました。しかし、カトマンズから12時間車を走らせたところにある、フワス村でこの話をすると、全くこの考えは通じませんでした。そのフワス村で、同年代くらいの高校生と話していると、彼らは口をそろえて「日本のように経済発展をして、豊かな国になりたい」と言い、渋谷のスクランブル交差点の写真を見せると「すごい」といって目を輝かせていました。彼らは将来のネパールの経済成長を確信し、物的に豊かな国になると信じて疑いませんでした。小学生くらいの子供たちは私のスマートフォン、時計、帽子、ペン等、身の回りのものに指を差しては「ちょうだい」とせがんできたり、「チョコレートちょうだい」とせがんできました。

私はショックを受けました。結局、先に述べたような「経済発展より自然保護」という考え方は、物的に成熟しきった日本に住む私だからいえる、一方的な意見だったのです。そのように物が溢れ、何でもすぐ手に入るような環境にいたことがない、ネパールの人たちが日常の当たり前と化した自然を犠牲にしてでも、物的豊かさを経験したいというのは至極真っ当な話なのです。ネパール人である前に人間なのだから自分に無いものを求めるというのは当然です。

この二つの対立する意見、限られた経済発展か、自然保護か。ネパールはどちらの道を選択するべきなのでしょう。

ある人はこんな折衷案を思いつくかもしれません。ヒマラヤトレッキングや、ポカラ等の景勝地を売りとして、観光業を盛んにし、それを軸に環境を保護しながら可能な限り経済発展を続けていく、といったものです。しかし、これは本当に自然保護できているのでしょうか。私が感銘をうけた自然とヒトとの共存は、もしそれが観光用として見せ物にされてしまったなら、その本来の色を失ってしまうのではないでしょうか。観光目的で、人工的に、独自の環境を変えてしまったなら、いくら環境保護に徹していようとそれは自然破壊なのではないか、そんな疑問が浮いてきます。

ネパールを実際に旅し、ミクロな側面から浮き彫りになった、国の将来の方向性を左右するマクロな問題。経済発展か、自然保護か。簡単に答えを出すことはできませんが、ネパールという国に関わった以上、これからもその方向性を模索していきます。みなさんはどう考えますか。

【文責:イベント局1年 阿施翔太】