"インド人" | 学生団体S.A.L. Official blog

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"インド人"という言葉からあなたは何を連想するだろう。

ガンジー?
サイババ?
インドカレー屋のおじさん?

さまざまかもしれないが、一般的なインド人を思い浮かべようとしたとき、ターバンにひげのおじさんを思い浮かべた人はいないだろうか?私たち日本人にとってこれはある程度"インド人"として定着したイメージではないかと思う。少なからず、私自身も持っていたイメージだ。
しかし、この広いインドという土地でターバンにあのもじゃもじゃと長いひげを生やしている人々は、たった2%しかいない。そのほんの2%の人々こそ、シク教徒だ。

私が初めてのインドで今まで出会ってきた人たちは、その多くがヒンドゥー教徒、あるいはイスラームの人々だった。コルカタ、ヴァラナシ、デリーとそれぞれの街で会う大人たちは、観光客の私たちに珍しい目を向けるものの、笑ってはくれない。特に親切にしてくれるわけでもなければ、無邪気に接してくれるのは子供たちだけであるように思った。せかせかと車のクラクションを鳴らしては前の車をどかし、日本語で話しかけてくれたかと思えばしつこく物を売りつける。こんな彼らの振る舞いを見て、私は"インド人"に幻滅し、同時に彼らを嫌いになりそうになっていた。

そんな時に私たちが次に降り立った街が、シク教の聖地アムリトサルだった。列車からひとたび出れば、そこには逞しい腕に重そうな金属の腕輪をした強そうな男たちの姿。そして、街の中にはターバン、ターバン、ターバン。赤、青、オレンジ、色んな色が街を彩っていた。それを引き立たせるのは、清潔感ある真っ白な寺院や博物館たち。「こんなインドがあったのか。」それが私の率直な感想だった。
シク教は、ヒンドゥー教とイスラーム教の融合によって生まれた宗教だ。しかし、その創始者ナーナクは、 キリスト教界のルターのように宗教改革者として厳しい迫害を受けてきた。そのためシク教徒たちは、自己防衛のために武装化せざるを得なかった。彼らは、戦闘集団を組織し、他教徒と区別をつけるための5つのシンボルを決めた。その1つがターバンであり、伸びきったひげなのだ。
体格がよく、強面なシク教徒たち。カメラを向けたら怒られるのではないかとビクビクしていた。しかし、実際はその逆だった。自ら私のカメラを指差し「写真を撮ってくれ。」と言い、カメラを構えるとみんなニッコリ笑ってくれた。インドで笑顔を向けられたのは久しぶりだった。
単純に嬉しかった。
遠い国から来た、違う文化を持つ私に笑いかけてくれる、そんな"インド人"を好きになった。

彼らが持つ空気は、他の都市で感じた空気より、ゆったりと流れ、余裕があるように感じた。
池の中心に堂々と構えた金色の寺院。シク教徒の総本山、黄金寺院に私は圧倒され、至る所で床に頭をつけて祈る巡礼者たちにも圧倒された。
一心に何かを信じ、魂を捧げることで心の平静を保つこと。それこそ宗教の理想像であり、そのいっぺんを覗き見れたような気がした。


【文責 : 渉外局1年 荒木沙耶】