あなたのカルマ | 学生団体S.A.L. Official blog

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 カルマ【karman】
サンスクリット語で行為の意味。ヒンドゥー教では輪廻転生の思想と結びつき、現世での行為の善悪に応じ、来世の宿命が決まると考えられている。

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 ヒンドゥー教の聖地バラナシはリクシャーの町だ。コルカタで見たような黄色いタクシーは一台もいない。観光客はリクシャーをよくつかう。
この町でリクシャーを降りて歩いてみると必ず声をかけられる。「もう火葬場いったの」「火葬場あっちだよ」。インド人は実に日本語が上手だ。どこでこんなに覚えたのだろう。観光客から覚えたという。頭いいなインド人と思いつつ、火葬場へ行きたかった僕たちはあるインド人についていった。
バラナシの裏路地は狭い。牛が行く手を阻み、それのフンが異様な匂いを発する。インドでは牛は神様の乗り物。神聖な動物。バラナシでは自由に歩きまわっている。そんな牛の楽園を抜けると火葬場は突如あらわれる。薪の壁に囲まれ、まるで要塞のように。

 インドの火葬場では野外で遺体を燃やしている。そんな所にガイドはいた。「お金はいらない、ここを案内するのが私のカルマ」。そのガイドは日本語でこういうと、英語でガイドを始めた。なぜ火葬場にガイドがいるのか。不思議な気持ちをいだく。彼は炎の前までもつれて行ってくれた。ここで死者が燃やされているのか。僕たちを拒むような熱気に顔を手で覆い隠してしまう。本当に僕たちが足を踏み入れてよいのか。立ち去る際も、血のように赤い炎は僕の背中を睨みつける。

 案内が一通り終わるとガイドは僕たちにお布施をしてほしいといった。それがあなたのカルマだと。つまりお金を要求してきたのだ。200ルピー。お布施なのに値段を指定される。しかも友達は違う値段だ。
疑ってしまった。これはだまされているのではないか。死者を弔う神聖な場にもかかわらず、カルマという言葉をつかって。だが、断ることができなかった。火葬場の空気に潰された。悔しかった。納得しないままボロボロの100ルピー札を二枚渡す自分がいる。彼はここでこんなことをするのに何も思わないのか。この神聖な火葬場を穢してはいないのか。彼のカルマとは一体何なんだ。
信仰に疑問をいだいてしまう。

 火葬場でこんな思いをするなんて。インド人の持つヒンドゥー教への想いは絶対だ。そんな僕の考えは崩れ始めた。崩したのは誰だ。自分ではないか。そもそも火葬場なんて来なければよかった。いや、来るべきではなかったのだ。ここは死者と別れを告げる場所。観光地ではない。僕のような部外者が勝手に足を踏み入れている。そのせいでヒンドゥー教の文化を踏みにじってはいないか。
火葬場だけではない。ガンガーもそうだ。僕は観光地バラナシをつくっていた。町のインド人は日本語を覚え、ニセモノのシルクを売っている。どれも観光客がいなくては成り立たない。僕たちが町を変え、文化を殺している。
僕のカルマはバラナシを訪れないことだったのか。
それはもう、成し得ない。


【文責:イベント局1年森文哉】