born free one kiss | 学生団体S.A.L. Official blog

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慶應義塾大学公認の国際協力団体S.A.L.の公式ブログです。


「わたしの本当の居場所はあそこなの、あそこに行きたいの」

そう言って、14歳のラクシュミは空を指差す。
彼女には父親も、母親もいない。
小さい頃にお母さんは、焼身自殺で亡くなったのだという。

* * * * *

バンガロールといえば今やインドのシリコンバレーと言われるほどのIT業界の中心地。
近代的な空港の近くは大きなビルが立ち並び、たくさんの有名企業の看板が名を連ねる。
そこは人々の生活感はなく他の都市に比べると異質だった。

車を走らせ、街が近づいて来るときちんと整備された高速道路から、
だんだん道が悪くなっていき、車体ががたがたっと揺れ始める。

鳴り止まないクラクション。 乾いた風がはこぶ砂埃と香辛料の香り。
道をゆっくりと歩く牛。 物珍しそうに顔をのぞきこんでくる人たちと目が合う。
ああそうだ、やっぱりここはインドだ。


そんなバンガロールの片田舎にあるボーンフリーアートスクール。 ここは、

児童労働を強制されていた、
性的暴力を受けていた、
物乞いとしてストリートで生きてきた、

さまざまなバックグラウンドをもった6歳から18歳までの子供たちがひとつ屋根の下で、
アートを学びながら共同生活をしている。いわゆる学校ではなく、ひとつの家族のよう。

そういえば、同じインド人でもバンガロールの空港で会った
ビジネスマンたちと、肌の色がまったく違うことに気付く。
ここの子供たちは全員、アウトカーストと呼ばれる不可触民。
UNTOUCHABLE = 手を触れてはいけない『もの』
そう呼ばれて、彼らは人間として認めてもらえなかった存在だった。
わたしの前で、キラキラと目を輝かせて笑うこの子供たちが。

* * * * *

インドは世界一児童労働が行われている国
その数は一億三千万人。日本の人口を上回る数字だ。

しかし日本で得られるのはそういった平面の知識でしかない。
悲しいけれど、遠い存在であるが故に、児童労働の事実を知らない人も多くいるし
私自身もこういう子供たちは可哀想だと思っていたことがあった。

今回の旅で、ボランティアとして、お客さまとしてではなく、同年代の友達として
ボーンフリーの子供たちと8日間、衣食住を共にしたことで気付いたことがある。

彼らは脆いが、強い。

腕や、胸に残る無数の自傷の線、他人から受けた暴力の痕は生々しい。
心まで深い傷を負った子供たちは今もそれぞれ複雑な問題を抱えている。
けれど、辛い過去をアートを通して表現することで平和を訴えると同時に、
自分で自分を乗り越えようとしているようだった。
彼らには一人一人、夢がある。
What is your dream?  そう聞かれて、わたしは詰まってしまった。
やりたいことはぼんやりとあっても、なんと答えれば良いのか分からない。
不自由無く生きてきたわたしがどこかで忘れてきたもの、欠けている何かを、
ボーンフリーの子供たちは持っている気がした。

* * * * *

ラクシュミがはにかんだ笑顔で、I want to be a dancer...と夢を語る。
親戚の家をたらい回されて仕事を強制され、暴力を受けて、時には物乞いとして生きた。
これまでのたった10年ほどの人生で、彼女は誰からも愛を与えられず、何度傷ついたのだろう。

冒頭の言葉を言われたのは、帰国の前日。わたしはなにもできなかった。
なにか上手く言えたらよかったのかもしれないけれど、
ただ彼女を抱きしめることだけで精一杯だった。


そして、お別れの日。
ラクシュミがわたしのところへ来て、ハグをしてそっと耳打ちし、親愛のキスをひとつ。

「ぜったいにもどってきてね。ニナ プリティ マンディーニ (カンナダ語で I love you の意)」

わたしはたった8日間で、この子供たちに何かしてあげられたのだろうか。
逆に子供たちから、たくさんの愛をもらった気がしてならない。

一億三千万人。
この計り知れない数字が一人歩きして『 国際問題だ!解決しなきゃ! 』と声を上げるよりも、
その数に隠れて生きている子供たちがいる、ということを知ってほしい。
一億三千万人の中のわたしの友だちは、決して可哀相なんかじゃない。
強く、たくましく、夢を持ち、愛を知っている。
そして、きっと今日もバンガロールのあの場所で歌って、踊っているだろう。

BORN FREE ART
その言葉の通り、アートで子供たちはもう一度
自由の身へと生まれ変わることができると信じて。



【文責:イベント局 2年 天谷美穂】