「ビルはきらいなんだ」
ネパールのフワスで出会ったビスマ君の言葉である。
車がひっくり返りそうな悪路を何時間も走りやっとのことでたどり着くフワス。切り立った山は緑におおわれ、温かい印象を持たせてくれる。澄んだ空気は爽快感をもたらし、耳をすませても何の音も聞こえない。
そんなフワスの村の学校でのインタビュー中に出会った14歳のビスマ君。勉強が好きな子で理系の科目が得意らしい。将来は村にインフラを整備して生活をより良くしたいと夢を語る彼は恥ずかしいのかはにかみながら話してくれた。
そんな彼が東京のことを詳しく聞きたがるので僕は安易に東京に住みたいかと聞いてみた。すると彼は「東京みたいな街には住みたくない。インフラを整備しつつ、村の景観を守ってこの村で過ごしていきたい。ビルはきらいなんだ。」
先進国に憧れつつも、しっかりと自国の個性を守ろうとするその姿に胸を打たれた。
いつからか先進国のようになるのがその国が発展したという証なんだと思っていた。何不自由なく自分に労力を課さずに生活するのが成功であると考えてきた。
ただ、暗闇の中で一家団欒するのも、懐中電灯の灯りを頼りに夕飯のダルバットを食べるのも、冷たい水でシャワーを浴びるのも、何一つ自分にとって苦ではなかったし、むしろ普段の日本の生活より温かさや人間らしさを感じることができた。
だから、彼の言うように村に個性を残してほしい。
道路がきれいに整備されれば、悪路で交通の往来が少ない状態を改善し、村の外へ気軽に行くことができる。水が簡単に手に入るようになれば、往復で2時間もかかっていた水汲みがなくなって1日の勉強時間をもっと多くとることができる。電気が通れば家事におわれる朝の時間にやる宿題を夜にゆっくりやることができる。彼の夢見る将来の村はとても良い村になると僕は思う。
道路の発達で物流が激しくなり先進国の資本主義がなだれ込んでくるかもしれない。また発展がもたらすものは利便性だけではなく、人との関わり、個性を失うということも忘れてはならない。
それでも僕は彼に先進国の発展に打ち勝ち、「ビル」をきらい続けてほしい。
文責 イベント局1年 田島稔也