「子どもらしく、バカに、そして楽しく。」
実際そうなれと言われても、簡単なようで難しいこの言葉を、僕は自分自身ののモットーにしている。どんなときも、どんなことも、子どものように無限の発想を広げて、バカになってポジティブにならないで、そして全力で楽しんで行きたい。そう考えているからだ。
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この間、S.A.L.の新歓合宿があった。そこで行ったのは、プロジェクト立案ワークショップ。50人の新入生と一緒に、グループ毎に実施した。わくわくって何だろう?もやもやって何だろう?というおおきな曖昧な疑問を、ひとつのプロジェクトという形に昇華して具現化するワークショップだ。
ぼくは統括側ということで、それには参加できなかったのだけれども、みんな真剣に、そしてまじめに頑張っていた。
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プロジェクトの最終プレゼンテーションが終わった時、ぼくは感じた。
「みんなちょっと、カタいな。」別に悪いことじゃない、カタくてもしっかり構築できているものばっかりだったし、論理的にも実現可能性にも優れているものはたくさんあった。でも、カタい。わくわく、しない。
そのとき僕は思った。「みんな、子どもらしく、そしてバカになりきれていない」って。
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プロジェクトを考えるとき、ぼくらはまじめにカタく考えすぎてしまうことがたくさんある。理論構築や現実可能性、利益なんかの既成概念に囚われて、ガチガチになってしまうからだ。たしかにそれでも、いいかもしれない。そうすべきだと言う人だって、たくさんいるだろう。
でも、ぼくはそれじゃあ楽しくないじゃんと思ってしまう。いいアイデアとか、すごい面白いこととか、びっくりする企画って、絶対にみんなでわいわい楽しんでるときに飛び出すものじゃないか、と言いたいわけだ。
「こんなんどう?いいんじゃね?」
「あ!それすごい、いい!」
「めっちゃやりたい!」
そんな会話がはじまるようなわくわく感。これが大事。最初に言った「子どもらしく、バカに、そして楽しく。」っていうのはつまりそういうことなのだ。最初から変に網に絡まることなく、自由に発想していくことが、ここでは求められるんじゃないのだろうか。変ないろいろなムズカシイことは、あとから順を追って考えていけばいい。実現可能性が少ないなら、可能性があるようにアプローチしていけばいい。論理性がおかしいなら、論理を構築すればいい。利益が出るか不安なら、さらにアイデアを絞り出せば、いい。
自分がわくわくしないモノなんて、ほかの人もやりたくは、ならない。
楽しいものはきっと、わくわくする。バカなものも、子どもらしいものも、きっと絶対、わくわくする。
それならカタくなりすぎず、楽しく考えたほうがいいに決まってる。
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たとえばカッコイイ橋を作るときに、橋の大きさも長さも色も形なんにも決まっていないのに、いきなり設計図を書くことはできない。仮に出来たとしても、なんだかフツーの橋になってしまうだろう。よくある、「THE 橋」みたいな橋。
そこで大切なのは、自分が子どものとき、真っ白な紙に落書きした感覚だ。
その感覚を思い出しながら、でっかく、好きなように、自分だけの橋を描いてみたらどうだろうか。もちろん、楽しく、バカに。
そうすればいつか、大きな虹の橋が、できあがるはずだ。
文責:代表 はたちこうた