自分は本当に世界の苦しんでいる人々のことを救おうとしているのか。
よくそんな気持ちに苛まれる。
遡ると自分がそういう人々のことを本気で考え始めたのは
高校3年の受験期に小論文を学び始めたのがきっかけだった。
学ぶ中で自分の汚い部分がみるみるうちに明らかになってくるのだ。
もちろん高校生の自分の生活には直接的に害悪を与えるような要因はなかった。
しかし、少し視野を広げると間接的に害悪を与えている様々な要因が見えてきたのだ。
そういう自分を変えようと自分はできる限るの範囲で頑張ってきた。
やはり食に見直す点は多かった。
My箸導入もハンバーガーや牛丼を食べなかったことも今では懐かしい(笑。
だが最近、生活は様変わりし今までやってきたことがガラガラと崩れていくのを感じる。
付き合いで食事に行き、毎回自分の決意を曲げる度に
「それでいいのか。それだけの思いだったのか。」と胸が締め付けられる思いになる。
みなさんにこのようなことはないでしょうか?
確かに自分は極端に深く考えすぎているのかもしれない。
しかし、全世界の総人口の5人に1人(12億人以上)が1日1ドル以下で生活し、
今こうしている中でも所謂世間一般で言われる弱者は1人また1人と亡くなっているのだ。
この世界の現状はどう考えてもおかしいのではないだろうか。
今日、そのような人々に比べると裕福な暮らしをしている
自分たち先進国の人々は何かしらの形であれ動いていくべきではないだろうか。
自分はそう思う。
だがこう言っている自分もまた、まだまだ動けていない人のうちの一人なのが現実だ。
現在の生活の楽しさや喜びと、ある程度の犠牲を払ってでも苦しんでいる人々のためにやろうとする気持ち、辛さ
そういうような『二律背反』の中で自分たちは生きているのではないだろうか。
その中でも活きる1人1人の小さな力が増えていくことが大切だと感じる。
そういう小さな力が集まれば多義的な広がりを可能にする大きな力となり
難題の解決に繋がっていくと信じたい。
そう思いながら今日も自分の行動をまた見直していこうと思う。
【文責 瀬谷健介】