意識しない、意識 | 学生団体S.A.L. Official blog

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慶應義塾大学公認の国際協力団体S.A.L.の公式ブログです。

突然ですが、皆さん「同性愛」についてどう思いますか?

「同性愛」
というと、何かいけないもののような気がしてしまう。
なんとなく触れたくない話題。

ジェンダー論という授業で初めてこの話題を扱ったとき、
そう感じました。

異性間の恋愛のみが正しいとする考え方を、ヘテロセクシズム(強制異性愛)といいます。
同性愛者に対して、ヘテロセクシズムにおいて「正常」とされる人々を異性愛者という言葉で表現します。

ここで問題なのは、正常を定義することが、正常ではないものの排除につながる、ということです。

私たちの社会のシステムは、ヘテロセクシズムです。
マジョリティである異性愛者が「ふつう」。
それに対してマイノリティである同性愛者は「ふつう」ではない。
ここから生まれる同性愛に対する嫌悪をホモフォビアといいます。

ヘテロセクシズムでは、女性は男性と対になること、つまり男性の権力下におかれることで評価されます。
女性に対する嫌悪をミソジニーといいますが、ここに男性優位の構図が見てとれませんか。

私は既婚・未婚で女性が評価される根源もここにあると思っています。
たとえば女性差別という歴史、あるいは現状を考えても、意識の下でヘテロセクシズムに支配されているのではないかな、と。

ジェンダーとは「社会的につくられた性別」のことで、「生物学的な性別」であるセックスと区別して使われます。ジェンダー論で議論されるのは、社会的な「マジョリティ」と「マイノリティ」における問題です。
上に書いてきたような性別や、人種、障害の有無などの「マイノリティ」に対する排除思考がいかに多く、そして正当化されてきたのか。ジェンダーを通して考えたとき、見えてくるものがたくさんあります。

自分個人、自分の住む社会、国、世界を考えるとき
さまざまな問題がそこにあると思います。
今起きていること、昔起きたこと、これから起こること
状況や因果関係を把握したり分析したりすることは必要です。

でもその前に、
その背景にある意識、
それも潜在的な意識について考えることも必要なんじゃないだろうか。

そんなことを考えました。


【文責:清水希理】