こんにちは、法学部政治学科2年の深瀬詩織です。
優柔不断なわたしは、小さなことでよく考え込む。
例えば、コンビニで飲み物を選ぶとき、ミルクティーにするかおしるこにするか、大根にするかがんもどきにするか、なんてちっぽけなことでよく悩んでしまうのである。
欲しいものを比べ合わせてどっちにしよう、なんて思っている時間はわたしにとって贅沢な時間でもある。
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先日、S.A.L.主催の講演会にてNPO法人 宇宙船地球号の山本敏晴さんのお話を伺う機会があった。その中で、印象に残っているお話のひとつに「比較することが格差をうむ」というような内容のものがあった。
例えば、土でできている家に住み、農業をしながら彼らなりの生活を送っている国があるとして、そんな国に先進国が電気を伝えたとする。
そうすると、今までの生活に何の不満も抱えていなかった彼らが、電気をもっている進んだ文化と自分たちの文化を比較しはじめ、自分たちのこれまでの生活に価値を見出せなくなってしまうのである、というものであった。
比較することは2つ以上のものを比べ合わせることであり、それにより必ず優劣が生じることは避けられない。
戦後の日本は、外国に追いつけ追い越せと、比較から生まれた足りない部分を補うためにがむしゃらになった結果、急激な経済の発展を獲得した。
しかしその半面で、失ったものも少なくない。環境が破壊され、公害は人々を苦しめたりもした。
幸せの尺度は人それぞれであるから、そもそも比較なんてするべきではないのかもしれない。だからといって比較は悪いことではなく、それによって向上的な気持ちになれたり新しいものを獲得できたりもする。
そう考えると、そこで大切になってくるのは選択により損なわれるかもしれない価値をしっかり考えて、それでもそれをすべきなのか正しい判断をすることなのかもしれない。
それは、外部のものが決めるのではなく、当事者の問題であるから、国際協力においてもなにかを伝えるときに安易な気持ちで伝えてはならないし、たとえ自分たちがいいと思ってもそれを押し付けてはならない。偏った伝え方はその国の伝統を破壊しかねないのである。
国際協力師として山本さんは、常に悩み続けているそうだ。国の文化や伝統を守りつつ、現実的に必要とされる医療技術を伝えていかなければならない、という狭間で……。
ミルクティーにもおしるこにもいいところはそれぞれある。結局迷った挙句どちらかを選ばざるをえないが、国際協力の世界ではなんとか共存させていける妥協点を見出していけたらいいと思う。