アイデンティティについて語る | 学生団体S.A.L. Official blog

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世界では、国が減ったり増えたり。
世界を分割したり、統合したり。
そんな事を矛盾に感じることができるか?


1950年代には、数多くのエスニック集団が独立を叫び、達成した。
そして今は、EUを始めアジアや多くの地域で統合する気運が高まっている。


世界が分類されればされるほど、アイデンティティが形成される。
それは、境界線がはっきりされればされるほど、自分を強く意識しはじめ自分に疑問を抱き、
時間が経過するとともに、その枠に自分の存在意義を見いだしはじめる。


それが押し付けられた枠か?勝ち取った枠か?、という所に問題意識を感じずにはいられない。
分類され“押し付けられた"領域の中に独自性をもってしまう
そう考えるとき、自分のアイデンティティは一瞬、考える事すら無意味な事のように感じる。



これは、直木賞を受賞した金城一紀著者の「GO」に出てくるセリフを一部抜粋したものである。
主人公在日朝鮮人の杉原は、その恋人である桜井に自分が在日朝鮮人ということ事実を告白する。
その二人が向き合いあいはじめる最後の場面だ。

杉原; 「俺は何人だ!
  俺は何人だ!何者だよ!
  答えろよ!俺は何者だよ!」
桜井; 「在日朝鮮人」
杉原;「どうして何の疑問もなく、俺のこと<在日>なんて呼べるんだよ!
  <在日>って呼ぶってことはなあ、俺がいつかこの国から出て行く
  よそ者だって言ってるようなもんなんだよ!
  それわかって言ってるのか!
  お前ら俺が恐いんだろ!
  名前付けなきゃ不安で仕方がないんだろ!
  なあ !? じゃあ、俺はライオンだよ!
  ライオンは自分のことライオンだなんて思ってないからな!
  お前らが勝手に付けた名前じゃないか!
  調子こいて近づいてみろ、頚動脈に咬みついて、咬み殺してやるぞ!
  名前なんて何だっていいんだよ!
  マムシでも、サソリでも、エイリアンでもいいよ!
  だけど俺は自分のことエイリアンだなんて思ってないからな!
  俺は、在日でもエイリアンでもねえんだよ!
  俺は俺なんだよ!
  いや、俺は俺であることすら捨ててやる!
  クエスチョンだ!ハテナマークだよ!
  物体Xだ!


他から分類されカテゴリーに放り込まれ、名前をつけられ、そこからアイデンティティが形成されていく。
そんな事に対して苛立と怒りを杉原は桜井にぶつける。


私のアイデンティティ
それは「在日(こりあん)」
私は、いままでにも自分をそう定義してきたし、
そうするほか、自分を説明できないとおもってきた。
不幸か幸いか、在日というフィルターを通した自分。
それが私だった。


それとは、対照的なのが「GO」に出てくる杉原。
彼は、押し付けられた分類に対して、真っ向対立している。
積極的に在日と定義することの矛盾に、
彼は、「俺は俺」という新たなアイデンティティを確立しながら、
在日である自分をも受け入れる。


私のアイデンティティの行方は?


私なりの答えはすぐそこまででかかっている。



*脚注

社会学のエスニックグループのアイデンティティ研究が進んでいる。
それには、「三世代論」がある。

一世の愛着
二世の反抗/同化
三世の自覚

異国の地にきた一世は、生まれた故郷への愛着を感じ
二世は、異質な者として排除される差別が、親への反抗として表面化し同化へと進む
三世は、他とは違う自分を個性的として自覚するようになる。

杉原が生きる時代は、80年代から90年代であり、ちょうど在日2世と3世の間の頃の話である。
今の在日のその姿はこの頃から変容している。



Mihwa Kang * 康 未和