ごきげんよう、ざらめの雨です。
毎週金曜日に、推し活の一環として
「ゆる言語学ラジオ」の最新回をまとめています。
今回のテーマは、ちょっと哲学的なお話かと思いきや?
定例の、「好きなことを喋らせろ回」ということで言語の話とは関係ない話をするということですが……
今回の主なタネ本は『戦争における「人殺し」の心理学』。
けっこう重いテーマですね。
この話、突き詰めると言語学につながるのだとか。
水野さんは、この本を読んで、どんなことに気がついたのでしょうか?
なぜ、この本の内容が言語学につながっているのでしょうか?
順に見ていきましょう。
ただし、本の中のデータには信頼性がないことが、分かっているそうです。
そのことに収録後に気がついたために、動画本編の前後に別撮りの注意喚起が入っています。
●人間の本性は悪なのか?
2026/09/22配信
【目次】
00:00 ご視聴前に
00:19 戦争における銃兵の発砲率の謎
01:48 弾が入ったままの銃
14:48 面と向かって批判できる人
19:33 発砲率が9割になった理由
29:29 戦争のため人間は作り変えられる
37:12 怪しいソースを元に話してしまいました
拾った銃に残る弾の意味とは?
冒頭、水野さんは、戦争における兵士の発砲率について、奇妙なデータを紹介します。
第二次世界大戦では、実際に発砲していた兵士はわずか15~20%だったといいます。つまり、戦場にいた兵士の約8割は、敵に向かって銃を撃っていなかったことになります。
ところが、ベトナム戦争になると、この発砲率が90%以上にまで跳ね上がります。※
なぜ、同じ「戦争」なのに、兵士の発砲率はこれほど大きく変化したのでしょうか。
(※当該本のデータには信頼性の低さが指摘されていますので、その点は注意)
話はまず、ゲティスバーグの戦いから始まります。
(ゲティスバーグのたたかい、英語: Battle of Gettysburg)は、アメリカの南北戦争において事実上の決戦となった戦い。
戦場に落ちていたマスケット銃およそ2万7500挺を回収して調べたところ、約90%に弾が込められたままだったといいます。
つまり、多くの兵士は銃を持って戦場に出ていたにもかかわらず、敵に向けて発砲していなかったことになります。
「なぜだと思いますか?」と水野さん。
堀元さん:みんな怖くて打てなかったんじゃない?俺が人を殺すなんて……と思って、撃てなかった。
水野さん:そういうことですね。
もちろん、発砲する前に撃ち殺されたり、敵が射程外にいたりして、撃てなかったケースも考えられます。しかし、弾が込められたままの銃が90%にも及ぶとなると、それだけでは説明しきれません。
しかも当時は、弾を込めた状態の銃は貴重でした。弾を込める作業には手間がかかるため、戦場に落ちている銃にすでに弾が入っていれば、それを拾ってそのまま撃ってもおかしくありません。それでも、ほとんどの銃が発砲されないまま残っていたのです。
○2:35~
水野さん:死傷者の銃を回収して撃っててもおかしくないですよね?
堀元さん:そうだ。うん。装填したまま落ちてるんだから、それ拾って撃ちそう。ゲームとかでよくあるもんな。
水野さん:この時期の戦場では装填済みの銃ってすごい貴重だったみたい。
堀元さん:あ、そうなんだ。装填が大変なんだね。
水野さん:はい。だからすでに装填された銃っていうのは、戦場によってはありがたかったはず、なのに全然撃たれていない。
堀元さん:うん。不思議だね。
水野さん:で、ここから明らかなのは、ほとんどの兵士は敵を殺そうとしていなかったという事実。
堀元さん:うん。出撃はしてるけど撃ってはないんだもんね。
水野さん:はい。ということでですね。
水野さんによると、この本では「ほとんどの兵士は、戦場で敵を殺そうとしていなかった」という事実が繰り返し示されているそうで。
例えば、ナポレオン戦争における威嚇射撃が多く見られたことなどが挙げられます。
ただし、発砲しない兵士たちが戦争そのものを嫌がって逃げたり、隠れたりしていたわけではありません。
彼らは、戦友を救出したり、武器や弾薬を運んだりするなど、場合によっては発砲することより危険な仕事にも進んで取り組んでいました。
つまり、「戦う意欲はあるのに、人を撃つことはできない」という、一見すると矛盾した行動が見られたわけです。
こうしたデータは、「人間の本性は暴力的で、放っておけば人は人を殺す」という考え方とは一致しません。
むしろ、戦場という極限状態に置かれても、人間には人間を殺すことへの強い心理的抵抗があると考えられるのです。
○4:50~
水野さん:
じゃあ堀元さんに聞きますけど、なんで撃ちたくないってなるんですか?
堀元さん:
ま、やっぱり俺は人殺しだって思いたくないんじゃないの?堀元さん:
うん。まあ、直感に合ってるよね。 どんなに嫌いなやつでも殺しちゃったら、なんかめちゃくちゃその後の人生、罪悪感に苛まれそうだなっていう予感するもんな。
水野さん:
そうですね。で、ここからが面白くて、これ距離によって違うっていう話が出てくるんです。
例えば戦車に乗っていて、火砲、大砲みたいなやつ戦車についてますよね?
あれで撃つとかってのは比較的抵抗が少ない。
たとえば、戦車や大砲を使って遠くの敵を攻撃する場合、ナイフなどで直接相手を刺す場合に比べて、心理的な抵抗は小さくなります。
また、槍にも同じような側面があります。
もちろん、槍には武器としての強さや集団で運用できるという利点がありますが、それだけでなく、相手との間に物理的な距離を作れることにも意味があったのではないか、という見方が紹介されます。
槍を使えば、相手を直接つかんだり、刃物を手にして至近距離から攻撃したりする必要がありません。長い槍を並べれば、敵との間に壁のようなものを作ることもできます。
そのため兵士の側からすれば、「自分はただ距離を取っているだけだ」「結果的に相手に当たっただけだ」と、心理的に自分の行為を捉えやすかった可能性があります。
堀元さんが、マケドニアの重装歩兵の話を例に出して、
堀元さん:単純に長い槍が強かったと思っていたけど……
水野さん:それが兵士のメンタルによかったという説もとれる。
堀元さん:面白い説!
さらにライフルのような中距離の武器になると、自分が相手にどのような傷を負わせたのかが見えにくくなります。
相手に命中したとしても、その瞬間の表情や声を直接見る・聞くことはありません。自分と相手の間に物理的な距離だけでなく、心理的な距離も生まれるわけです。
そして、ミサイルや戦車、航空機による爆撃など、さらに遠距離から攻撃するようになると、その距離はより大きくなります。
水野さんは、この点から、直接戦闘を行う陸上兵と、航空機などから攻撃する兵士では、戦争による精神的負荷にも違いが生じるという話を紹介します。
たとえば航空機から爆撃する場合、地上で敵と直接対峙する必要がありません。
自分自身が相手から直接攻撃されることも少なく、攻撃した相手の姿を目の前で見ることもありません。
そのため、陸上戦を行う兵士に比べて、精神的な負荷が小さくなる可能性があります。
ここから二人は、陸軍と海軍・空軍には、戦争中に見えている世界そのものに違いがあるのではないかと考えます。
○7:35~
堀元さん:
うん。ま、水兵は直接人殺したりしないもんね。
水野さん:
そう。直接手をくだすこともないし、逆に向こうが個別に直接的に殺そうともしてこないので、メンタル的に陸上戦をする兵士ほど負荷が大きくない。
堀元さん:
うわあ。なんかその話聞くとグロいこと思ったけどさ。
昔からやっぱ陸軍って、ま、言うたらエリートじゃない人が行くイメージで、
空軍とか海軍とかってエリートっぽいイメージがあるんですよね。
だからそれって言うたら、精神病になりづらいポストにエリートを当てがって、そうじゃないやつを陸軍で精神病になりやすいとこにぶち込もうっていう アイデアがあったのかもしれないね?
水野さん:
ああ、確かにね。それ書いてはなかったけど興味深い仮説ですね。
ここまでの話をまとめると、「人間は本来暴力的で、放っておけば人を殺す」という見方とは逆に、人間には人間を殺すことへの強い抵抗があるということになります。
堀元さん:希望の話だね、それ。
水野さん:そうですね。で、さらに心理的な抵抗を乗り越えて人に攻撃する敵兵を攻撃した後、その兵士というのは精神的に傷を負うことが多いのだっていう話が、ここまでの内容でした。
この話を聞いた堀元さん、『幽遊白書』の仙水忍に「この本をあげたほうがいい」と主張します。
私は『幽遊白書』について詳しくないので割愛します。
興味がある方は動画をご覧ください。
ドローン攻撃とSNSの誹謗中傷
そして話は、現代の戦争におけるドローン攻撃へと移ります。
ドローンによる攻撃では、自分は相手から直接攻撃されることなく、遠隔操作によって相手を攻撃できます。
堀元さん:非人道的兵器と言われているゆえんですね。
ここでも重要になるのが、やはり攻撃する側と攻撃される側との距離です。
戦場で直接相手と向き合う場合と、遠く離れた場所からドローンを操作して攻撃する場合とでは、相手を「自分が殺した」という感覚に違いが生じる可能性があります。
こうした問題を考えるうえで、水野さんは次に『ドローンの哲学』という文献を取り上げていきます。
ドローン攻撃の興味深い点として、水野さんが挙げるのが、ドローンのオペレーターの生活と戦争との距離です。
アメリカなどのドローンオペレーターは、都市で暮らしながら遠隔操作で攻撃任務を行います。仕事が終われば、普通の市民として家に帰り、家族と過ごしたり、友人と飲みに行ったりするという生活です。
もちろん、攻撃によって精神的な負担を感じる人もいます。しかし、ドローンによる攻撃を行ったからといって、必ずしも「人を殺してしまった」という感覚を強く抱えたまま生活するわけではありません。
○11:30~
水野さん:
これ何かに似てると思いません?
堀元さん:
なんだろう?
水野さん:
これね、ほぼSNSの誹謗中症と構造的によく似ているんですね。
堀元さん:
そうかもね。それで人を追い込んでも罪悪感に苛まれないし、みんなごく普通の生活をしてる人が誹謗中傷してるもんな……。
水野さん:
ということを言ったのが、この大山顕さんですね。
堀元さん:
あ、どんどん出てくるな、あんた本が。
え、なんで『新写真論』?全然関係なさそうだよ。
水野さん:
いやいや、大山さんはこの本の中で SNS の誹謗中傷とドローン攻撃の類性を指摘してます。
堀元さん:
大山~すごいな、あの人。水野さん:
大山すごいよっ。うん。そうだね。 全然自分の手を汚してる感なく、一方的に殴れるわけですね。
もっと言うと、SNSで強い言葉を使って誰かを非難してる人と、対面したことは、僕何度か経験としてあるんですけど、大体物腰柔らかいです。
堀元さん:
あ、そうだね。全然こいつ口悪くないな、みたいになるよね。
水野さん:
そうだね。堀元さんのが多分経験多いよね?
堀元さん:
ありますね。
水野さん:
SNSで、例えば手厳しく堀元さんのことを言っている人みたいなのと、ナマで会って……水野さん:
え?うん?水野さん:
あ、でもそうこれね多分インフルエンサー業とかやってない方、やってる人が知り合いにない人からするとびっくりすると思うんですけど、マジでそうです。手厳しく僕のことを批判してるみたいな人って、会ってもへこへこしてます、結構。
[笑い]1個も面白くないもんね、て。これちゃんと一貫してて偉いすよ、僕は。
水野さん:
ま、マシではある。その、最低ではない。 [笑い]お前のその評価何なんだ?マシではあるんだ、俺。 最低ではないんだね。
そういうね、SNSとかで手厳しく誰かのことを批判していて、
対面でもその姿勢崩さない人って、マジで俺かっこいいと思う。
堀元さん:
あ、まあそうね。表でへつらっているよりは、だいぶマシしかもしんないな。
こうちゃんさんをnoteでも対面でも「面白くない」と言い切った堀元さん。
そうした一貫した態度について、自負しているところがあるようですが、水野さんから「綺麗なゴミ」呼ばわりされます。
水野さんも、「ゆる言語学ラジオ」について、批判を寄せてくれた人で、会ったときにも「ここが問題だと思います」ときちんと批判してきた人に会ったことがあるそうです。
言われる側としては当然きついものの、それでも自分の考えを対面でも曲げずに伝える姿勢は、人間としてかっこいいと水野さんは感じたといいます。
この例として「令和人文主義」の批判を堂々としていた人の話が挙げられますが、割愛します。
○17:30~
水野さん:
でも大体の人はそうではない。スマホで「こいつ本当最低だなカスだな」とか言って書いた後に、夜飲みに行ったりとか、家帰って家族と過ごしたりとかするわけで……
堀元さん:
だから、あんまりさ、当人に届いてるとも思ってないよね。
そういう人たちって。
水野さん:
ああ~、届いてるよ、全然。[笑い]
堀元さん:
そう。しっかりと届いてますからね。
俺、結構、昔それ引用ツイートとかしてたけど。そう、「堀元って本当人間のグズ」だの「死ねえよ」みたいなやつをこう引用して、「そんなこと言わなくてもいいじゃん」みたいなこと書いてたら、結構その後すぐ消すんすよね、みんな。
水野さん:
あ、そう。あれやめて。水野さん:
気骨ないから。
堀元さん:
あれ気骨ないね、一番。
水野さん:
ですよね。
堀元さん:
だから死ぬ気でやってほしいね。
「最後まで戦うぞ、俺は」って思いながら書いてほしい。
水野さん:
ちゃんと思ったこと最後まで言ってくれって思うんですけども。
そう、もう1 個ドローン操作が似てるなと思うのは、ドローンってもう実際に、例えば、自分が攻撃を加える対象の映像が綺麗に見えるわけじゃなくて、レーダーになって検出して画面越しに攻撃するケースもあるみたいで、それって要は相手の顔が見えないわけ。
堀元さん:
てかその話はあまりにも『Monster』すぎるかも。
『Monster』の話は、コーヒーに角砂糖を3つ入れる習慣のあるスナイパーが、標的がまさに同じことをしているのを見て撃てなくなり廃業したというお話でした。
「相手に共感すると(殺すことが)無理になる」という話です。
発砲率を上げる手段としてのゲーミフィケーション
本来「人を攻撃する」「人を撃つ」ことに抵抗のある人間が、何かを介在させたり距離を大きく取ることで、攻撃に対する心理的抵抗が下がるという話を見てきました。
次に見るのが、ベトナム戦争です。
水野さんの手元の本では、兵士が実際に敵へ発砲できるようにするための訓練方法を変えた結果、ベトナム戦争では兵士の発砲率が90%以上にまで上昇したといいます。
その訓練でやったこと、それは――「条件付け」です。
ベトナム戦争当時のアメリカ陸軍・海兵隊の訓練では、兵士に反射的・瞬間的に発砲する能力を身につけさせました。
以前の射撃訓練では、兵士が比較的ゆっくりと(本によれば「のんびりと」)標的を狙って撃っていました。
それに対して新しい訓練では、兵士は完全武装した状態で長時間待機します。
目の前には木々が生い茂った地形が広がっていて、そこから突然、迷彩服のような色をした人型の標的が飛び出してくる。
兵士は、それを見た瞬間に狙いをつけて撃たなければなりません。
標的に命中するとすぐにフィードバックがあり、標的はまるで生きている人間のように倒れます。
命中率が高ければ褒められたり報酬を与えられたりし、失敗すれば軽い罰が与えられる。
つまり、そこでは「撃つべきかどうか」をじっくり判断するのではなく、人型のものが現れたら即座に撃つという反応そのものを訓練していたのです。
水野さんは、これは射撃術を鍛えているというより、「考える前に撃つ」という反射的な行動を条件付けているのだと説明します。
さらに訓練では、より現実に近い標的が使われることもありました。
たとえば、戦闘服を着せた風船を移動させたり、赤いペンキを入れたミルク瓶を撃たせたりするなど、訓練そのものをより具体的で、面白く感じられるような工夫も行われました。
そして訓練が面白くなればなるほど、兵士はその行動に夢中になります。
こうして、環境が変わっても「人型のものを見たら撃つ」という反応が自動的に引き出されるようになります。
○23:03~
堀元さん:へえ。めっちゃ嫌な話ですけどゲーミフィケーションだね。
水野さん:そうです。
堀元さん:めちゃくちゃゲームフィケーションすることによって、夢中でみんなそれやるようになるんだ。
水野さん:だからこの著者のグロスマンは、テレビゲームに問題意識を燃やしてる。
堀元さん:なるほどね。それで条件付けされたらもうみんな人殺せるようになっちゃうでしょ?っていうことだ。
この訓練によって変化したのは、発砲率だけではありません。
敵を正確に狙って撃つ能力も高まったのです。
人間には「人を撃ちたくない」という感覚があるのに、その抵抗を取り除くために、訓練によって「人型のものが現れたら撃つ」という反射を作り上げた。
人間らしい感覚を持った兵士を、考える前に撃てる兵士へと変えていったわけです。
○24:02~
堀元さん:
あ、マジでゲームフィケーションだな。水野さん:
うん。だから僕がこの本ってのは、「キャリアの話と関わる」って言ったのは、もう、色々判断を迷うんじゃなくて、「これが来たらこれをしなさい」とかっていうことは、この条件自体は無色透明の、善も悪もないものなのかもしれないけれども、これをやりすぎると、まず人はどんどんどんどん「考えない方向」に振れていくし、もっと言うと「個人」っていうのと「アメリカ軍」っていう集団の間が、溶けていくわけですよね?
自他境界みたいなのが消えていって、ただ兵士として振る舞うようになる。
個人である前に。
堀元さん:
そうだね。「爆速で撃て」っていう条件付けに従って行動するだけのやつになるの。
水野さん:
はい。そしてそういう人は、どうなるかというと……メンタルを壊す、と。堀元さん:
あ、でも聞いたことあるわ。そうそういうドキュメンタリー見たことあるわ。水野さん:
いろんな段階があって、戦場でそうなる人もいれば帰還後にそうなる人もいるんですね。マスコミが結構、戦争の帰趨に力を発揮した初めてのケースだって言われますよね。
水野さん:
そうですね。それこそノーム・チョムスキー、有名な言語学者とかも、このベトナム戦争の反戦活動めちゃくちゃやってましたから。
で、そうなると何が起きるかというと、国のために条件付けして、戦ってベトナムの兵士を殺していきますよね。
で、帰ってきたら何が待ってるかというと「人殺し」とか言って、アメリカ国民に批難されるんです。
堀元さん:
ああ、かわいそうだな。堀元さん:
なるほど、世間が反戦だとそうなるな。堀元さん:
あー、なるほど。
水野さん:
で、そうすると2つあって、1 つは民間人が兵士の可能性があるので、
いつまでも気が抜けないっていう強烈なストレス環境にさらされること。
で、もう1 個は、兵士は、敵兵を殺すことはまだ倫理的に正当化しやすいんだけど、子供とか女性とか民間人を手にかけるっていうのは、かなり倫理的な負荷が大きいっていうこともあるので。
言うたら条件付けしている時ってのは、ま、言うたら正気を保ってないような状態で、それが終わった瞬間に「あれ、俺がやったことって…」っていうので、強烈なバックラッシュが起きるわけですね。
堀元さん:
うん、我に帰るみたいなことよね。水野さん:
はい。その意味で、この本はただの興味本位で読む本というよりは、そしてそれは、組織側がどのような手法で我々の自我の境界を壊していくのかっていう手法も書いている本なんですよね。
堀元さん:
うん。なるほどね。
ここから水野さんは、この本を単なる「戦争で人が人を殺す心理」を扱った本としてではなく、組織と個人の関係について考える本として捉えます。
重要なのは、組織の中で人間の自我や判断がどのように変化するのか、そして組織がどのような方法で個人の判断を変えていくのかという問題です。
「普通」が入れ替わるとき
この話は、戦争だけに限りません。
堀元さんは、会社員による不正を扱った本をよく読むそうで、その例として山一證券の巨額の簿外債務隠しを挙げます。
が、内容は割愛します。動画でご確認ください。
水野さんは、ここからさらに日常の仕事へ話を広げます。
仕事が非常に忙しくなると、
「とにかく目の前のものを処理しよう」
という状態になりがちです。
一つひとつを考えるのではなく、「これが来たらこう処理する」という流れ作業になっていく。
もちろん、仕事を効率よく処理するためには、ある程度こうした自動化も必要です。
しかし、それが行き過ぎると、「会社員としての自分」と「一人の人間としての自分」の境界が溶けていく可能性があります。
自分自身の判断よりも、「会社ではこうすることになっている」「この状況ではこう処理する」という組織のルールに反射的に従うようになってしまうからです。
そのため、どれだけ忙しくても、ときどき立ち止まって、
「自分はいま、本当にこれをやっていいのか」
と確認する必要があるのではないか、という話になります。
水野さんは、さらに本のデータとして、「戦場では、ほとんどの人が敵を殺すことに抵抗を感じる一方で、約2%の人は比較的ためらわずに人を殺すことができる」という話を引きながら、戦場と日常では、「普通」が入れ替わってしまうということを話します。
戦場ではこの2%の人を支援するために多くの人が動き、2%の彼らこそが「普通」ですが、戦場を離れるとその2%は「異常」ということになってしまいます。
この話を聞いた堀元さんは、ドラキュラ伯爵のモデルになった串刺し公ヴラド・ツェペシュの話を例に挙げます。
ヴラドは敵兵を大量に串刺しにすることで恐れられた人物です。その残虐さによって敵を撤退させたため、戦時には英雄として評価された一方、平和な時代になると、その残虐性が恐ろしいものとして語られるようになりました。
まとめとして、水野さんが、本を読んでここまで話をしてきた理由として、「戦争に反対すること」を自分の言葉で語りたいという気持ちがあったのだそうです。
これまで自分も戦争に反対してきたものの、どこか「借りてきた言葉」で反対していた部分があったと話します。
この本を読んだことで、水野さんは、人間を戦争に適応させるために、条件付けによって人間の行動そのものを変えてしまうことが、戦争に反対する理由の一つとして実感できたと話します。
堀元さんも、兵士に葛藤を迫り続け、事後にトラウマを抱えてしまうような戦争は「割に合わない」ものだと感じたと話します。
また、条件付けにより、兵士の人間性を戦争に適応させようとする構造そのものが、映画『時計仕掛けのオレンジ』を例にとり、邪悪な「洗脳」だと思うと話しました。
動画の最後は、次回の予告として、ここからさらに話を広げて、「戦争における人殺し」と「言葉」がどのように関わるのかを扱うそうです。
今回も面白かったです。次回もとても楽しみですね♪
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ここまで、読んでくださってありがとうございました。
素敵な一日になりますように(*^^*)
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☆カバー画像はChatGPTにより作成しました。








