ごきげんよう、ざらめの雨です。

 

毎週金曜日に、推し活の一環として

「ゆる言語学ラジオ」の最新回をまとめています。

 

今回のテーマは、ちょっと哲学的なお話かと思いきや?

定例の、「好きなことを喋らせろ回」ということで言語の話とは関係ない話をするということですが……

 

今回の主なタネ本は『戦争における「人殺し」の心理学』。

 

 

けっこう重いテーマですね。

この話、突き詰めると言語学につながるのだとか。

 

水野さんは、この本を読んで、どんなことに気がついたのでしょうか?

なぜ、この本の内容が言語学につながっているのでしょうか?

 

順に見ていきましょう。

ただし、本の中のデータには信頼性がないことが、分かっているそうです。

そのことに収録後に気がついたために、動画本編の前後に別撮りの注意喚起が入っています。

 

●人間の本性は悪なのか?

2026/09/22配信

 

【目次】 

00:00 ご視聴前に
00:19 戦争における銃兵の発砲率の謎
01:48 弾が入ったままの銃
14:48 面と向かって批判できる人
19:33 発砲率が9割になった理由
29:29 戦争のため人間は作り変えられる
37:12 怪しいソースを元に話してしまいました

 

  拾った銃に残る弾の意味とは?

 

冒頭、水野さんは、戦争における兵士の発砲率について、奇妙なデータを紹介します。

第二次世界大戦では、実際に発砲していた兵士はわずか15~20%だったといいます。つまり、戦場にいた兵士の約8割は、敵に向かって銃を撃っていなかったことになります。

ところが、ベトナム戦争になると、この発砲率が90%以上にまで跳ね上がります。※

なぜ、同じ「戦争」なのに、兵士の発砲率はこれほど大きく変化したのでしょうか。

 

(※当該本のデータには信頼性の低さが指摘されていますので、その点は注意)

 

話はまず、ゲティスバーグの戦いから始まります。

 注:ゲティスバーグの戦い

(ゲティスバーグのたたかい、英語: Battle of Gettysburg)は、アメリカの南北戦争において事実上の決戦となった戦い。

戦場に落ちていたマスケット銃およそ2万7500挺を回収して調べたところ、約90%に弾が込められたままだったといいます。

つまり、多くの兵士は銃を持って戦場に出ていたにもかかわらず、敵に向けて発砲していなかったことになります。

 

「なぜだと思いますか?」と水野さん。

 

堀元さん:みんな怖くて打てなかったんじゃない?俺が人を殺すなんて……と思って、撃てなかった。

水野さん:そういうことですね。

 

もちろん、発砲する前に撃ち殺されたり、敵が射程外にいたりして、撃てなかったケースも考えられます。しかし、弾が込められたままの銃が90%にも及ぶとなると、それだけでは説明しきれません。

 

しかも当時は、弾を込めた状態の銃は貴重でした。弾を込める作業には手間がかかるため、戦場に落ちている銃にすでに弾が入っていれば、それを拾ってそのまま撃ってもおかしくありません。それでも、ほとんどの銃が発砲されないまま残っていたのです。

 

○2:35~

水野さん:死傷者の銃を回収して撃っててもおかしくないですよね?

堀元さん:そうだ。うん。装填したまま落ちてるんだから、それ拾って撃ちそう。ゲームとかでよくあるもんな。

水野さん:この時期の戦場では装填済みの銃ってすごい貴重だったみたい。

堀元さん:あ、そうなんだ。装填が大変なんだね。

水野さん:はい。だからすでに装填された銃っていうのは、戦場によってはありがたかったはず、なのに全然撃たれていない。

堀元さん:うん。不思議だね。

水野さん:で、ここから明らかなのは、ほとんどの兵士は敵を殺そうとしていなかったという事実。

堀元さん:うん。出撃はしてるけど撃ってはないんだもんね。

水野さん:はい。ということでですね。

水野さんによると、この本では「ほとんどの兵士は、戦場で敵を殺そうとしていなかった」という事実が繰り返し示されているそうで。

例えば、ナポレオン戦争における威嚇射撃が多く見られたことなどが挙げられます。

 

ただし、発砲しない兵士たちが戦争そのものを嫌がって逃げたり、隠れたりしていたわけではありません。

彼らは、戦友を救出したり、武器や弾薬を運んだりするなど、場合によっては発砲することより危険な仕事にも進んで取り組んでいました。

つまり、「戦う意欲はあるのに、人を撃つことはできない」という、一見すると矛盾した行動が見られたわけです。

 

こうしたデータは、「人間の本性は暴力的で、放っておけば人は人を殺す」という考え方とは一致しません。

むしろ、戦場という極限状態に置かれても、人間には人間を殺すことへの強い心理的抵抗があると考えられるのです。

 

○4:50~

水野さん:

 じゃあ堀元さんに聞きますけど、なんで撃ちたくないってなるんですか?

堀元さん:

 ま、やっぱり俺は人殺しだって思いたくないんじゃないの?
水野さん:
 はい。まさにそうですね。我々は、とりわけ同じ「人」ですよね、
 (人)を殺すということに、ものすごい精神的な抵抗があるのだってのが、
 著者の説明なんですね。

堀元さん:

 うん。まあ、直感に合ってるよね。 どんなに嫌いなやつでも殺しちゃったら、なんかめちゃくちゃその後の人生、罪悪感に苛まれそうだなっていう予感するもんな。

水野さん:

 そうですね。で、ここからが面白くて、これ距離によって違うっていう話が出てくるんです。

 例えば戦車に乗っていて、火砲、大砲みたいなやつ戦車についてますよね?

 あれで撃つとかってのは比較的抵抗が少ない。

 

たとえば、戦車や大砲を使って遠くの敵を攻撃する場合、ナイフなどで直接相手を刺す場合に比べて、心理的な抵抗は小さくなります。

 

また、槍にも同じような側面があります。

 

もちろん、槍には武器としての強さや集団で運用できるという利点がありますが、それだけでなく、相手との間に物理的な距離を作れることにも意味があったのではないか、という見方が紹介されます。

 

槍を使えば、相手を直接つかんだり、刃物を手にして至近距離から攻撃したりする必要がありません。長い槍を並べれば、敵との間に壁のようなものを作ることもできます。

 

そのため兵士の側からすれば、「自分はただ距離を取っているだけだ」「結果的に相手に当たっただけだ」と、心理的に自分の行為を捉えやすかった可能性があります。

 

堀元さんが、マケドニアの重装歩兵の話を例に出して、

 

堀元さん:単純に長い槍が強かったと思っていたけど……

水野さん:それが兵士のメンタルによかったという説もとれる。

堀元さん:面白い説!

 

さらにライフルのような中距離の武器になると、自分が相手にどのような傷を負わせたのかが見えにくくなります。

相手に命中したとしても、その瞬間の表情や声を直接見る・聞くことはありません。自分と相手の間に物理的な距離だけでなく、心理的な距離も生まれるわけです。

 

そして、ミサイルや戦車、航空機による爆撃など、さらに遠距離から攻撃するようになると、その距離はより大きくなります。

 

水野さんは、この点から、直接戦闘を行う陸上兵と、航空機などから攻撃する兵士では、戦争による精神的負荷にも違いが生じるという話を紹介します。

 

たとえば航空機から爆撃する場合、地上で敵と直接対峙する必要がありません。

自分自身が相手から直接攻撃されることも少なく、攻撃した相手の姿を目の前で見ることもありません。

 

そのため、陸上戦を行う兵士に比べて、精神的な負荷が小さくなる可能性があります。

ここから二人は、陸軍と海軍・空軍には、戦争中に見えている世界そのものに違いがあるのではないかと考えます。

 

○7:35~

堀元さん:

 うん。ま、水兵は直接人殺したりしないもんね。

水野さん:

 そう。直接手をくだすこともないし、逆に向こうが個別に直接的に殺そうともしてこないので、メンタル的に陸上戦をする兵士ほど負荷が大きくない。

堀元さん:

 うわあ。なんかその話聞くとグロいこと思ったけどさ。

 昔からやっぱ陸軍って、ま、言うたらエリートじゃない人が行くイメージで、

 空軍とか海軍とかってエリートっぽいイメージがあるんですよね。

 だからそれって言うたら、精神病になりづらいポストにエリートを当てがって、そうじゃないやつを陸軍で精神病になりやすいとこにぶち込もうっていう アイデアがあったのかもしれないね?

水野さん:

 ああ、確かにね。それ書いてはなかったけど興味深い仮説ですね。

 

ここまでの話をまとめると、「人間は本来暴力的で、放っておけば人を殺す」という見方とは逆に、人間には人間を殺すことへの強い抵抗があるということになります。

 

堀元さん:希望の話だね、それ。

水野さん:そうですね。で、さらに心理的な抵抗を乗り越えて人に攻撃する敵兵を攻撃した後、その兵士というのは精神的に傷を負うことが多いのだっていう話が、ここまでの内容でした。

 

この話を聞いた堀元さん、『幽遊白書』の仙水忍に「この本をあげたほうがいい」と主張します。

 

私は『幽遊白書』について詳しくないので割愛します。

興味がある方は動画をご覧ください。

 

 

  ドローン攻撃とSNSの誹謗中傷

 

そして話は、現代の戦争におけるドローン攻撃へと移ります。

ドローンによる攻撃では、自分は相手から直接攻撃されることなく、遠隔操作によって相手を攻撃できます。

 

堀元さん:非人道的兵器と言われているゆえんですね。

 

ここでも重要になるのが、やはり攻撃する側と攻撃される側との距離です。

戦場で直接相手と向き合う場合と、遠く離れた場所からドローンを操作して攻撃する場合とでは、相手を「自分が殺した」という感覚に違いが生じる可能性があります。

 

こうした問題を考えるうえで、水野さんは次に『ドローンの哲学』という文献を取り上げていきます。

 

ドローン攻撃の興味深い点として、水野さんが挙げるのが、ドローンのオペレーターの生活と戦争との距離です。

 

アメリカなどのドローンオペレーターは、都市で暮らしながら遠隔操作で攻撃任務を行います。仕事が終われば、普通の市民として家に帰り、家族と過ごしたり、友人と飲みに行ったりするという生活です。

 

もちろん、攻撃によって精神的な負担を感じる人もいます。しかし、ドローンによる攻撃を行ったからといって、必ずしも「人を殺してしまった」という感覚を強く抱えたまま生活するわけではありません。

 

○11:30~

水野さん:

 これ何かに似てると思いません?

堀元さん:

 なんだろう?

水野さん:

 これね、ほぼSNSの誹謗中症と構造的によく似ているんですね。

堀元さん:

 そうかもね。それで人を追い込んでも罪悪感に苛まれないし、みんなごく普通の生活をしてる人が誹謗中傷してるもんな……。

水野さん:

 ということを言ったのが、この大山顕さんですね。

堀元さん:

 あ、どんどん出てくるな、あんた本が。

 え、なんで『新写真論』?全然関係なさそうだよ。

水野さん:

 いやいや、大山さんはこの本の中で SNS の誹謗中傷とドローン攻撃の類性を指摘してます。

堀元さん:

 大山~すごいな、あの人。 
水野さん:
 うん。大山の論旨を、ちょっとここで説明しますと……
堀元さん:
 はい、いうて、「すごいな」ってテンション上がりすぎて、
 なぜか呼び捨てにするノリできちゃいましたけど、大丈夫ですか?

水野さん:

 大山すごいよっ。
堀元さん:
 大山すごいもんな。
 前からすごいもんね、視点が。
水野さん:
 切れ味がすごいから。
 ポイントはこの誹謗中傷。
 相手にきついことを言うのって、対面でやると「人は普通疲れる」という重要な事実なんですね。
 例えば、目の前の相手と言い争いをするとか、目の前の相手をこき下ろし、向こうからも罵性浴びせられるっていう経験って精神的な負荷が大きいと思うんですね。
 で、一方で、SNS を挟むと相手の顔が見えないわけですね。
 だからある程度ひどいことが言える、みたいな話があるじゃないですか?
 これだからドローンの攻撃とあんまり変わらないんですよ。
堀元さん:
 うん。そうだね。 全然自分の手を汚してる感なく、一方的に殴れるわけですね。
水野さん:
 そうです。目の前に相手がいなくて、スマホを介してやり取りをすると残忍になりやすい、と。
 もっと言うと、SNSで強い言葉を使って誰かを非難してる人と、対面したことは、僕何度か経験としてあるんですけど、大体物腰柔らかいです。

堀元さん:

 あ、そうだね。全然こいつ口悪くないな、みたいになるよね。

水野さん:

 そうだね。堀元さんのが多分経験多いよね?

堀元さん:

 ありますね。

水野さん:

 SNSで、例えば手厳しく堀元さんのことを言っている人みたいなのと、ナマで会って……
堀元さん:
 うん。なんなら褒められたりするからね。

水野さん:

 え?うん?
堀元さん:
 お前すごいな、面の皮厚って思うことある。
水野さん:
 マジ?え、それその堀元さんがその人のTwitter アカウントは知ってるということを、向こうも知っている状態ですか?
堀元さん:
 えっとね、知らないんだよね、それを。
 こいつ俺のことボロクソに書いてたなって思いながら、俺知ってるから会ってんのに、なんか「あ、いや、いつも見てます」みたいな「応援してます。」[笑い] 
 お前昨日俺のこと「本当に頭が悪くて文章が下手だな」って書いてたやつだよなって、なって。
 っていうこと、ありますよ。

水野さん:

 あ、でもそうこれね多分インフルエンサー業とかやってない方、やってる人が知り合いにない人からするとびっくりすると思うんですけど、マジでそうです。
 手厳しく僕のことを批判してるみたいな人って、会ってもへこへこしてます、結構。
堀元さん:
 そうだね。
 だから僕はそれダサいなと思ってるから、ちゃんと僕はnoteでQuizKnock卒業生のこうちゃんのこと、ボロクソに書いた後、イベントでも本人にボロクソ言いまして……
 [笑い]1個も面白くないもんね、て。これちゃんと一貫してて偉いすよ、僕は。

水野さん:

 ま、マシではある。その、最低ではない。 [笑い]
堀元さん:
 お前のその評価何なんだ?マシではあるんだ、俺。 最低ではないんだね。
水野さん:
 そう。綺麗なゴミ。[笑い]

 そういうね、SNSとかで手厳しく誰かのことを批判していて、

 対面でもその姿勢崩さない人って、マジで俺かっこいいと思う。

堀元さん:

 あ、まあそうね。表でへつらっているよりは、だいぶマシしかもしんないな。

こうちゃんさんをnoteでも対面でも「面白くない」と言い切った堀元さん。

そうした一貫した態度について、自負しているところがあるようですが、水野さんから「綺麗なゴミ」呼ばわりされます。

 

水野さんも、「ゆる言語学ラジオ」について、批判を寄せてくれた人で、会ったときにも「ここが問題だと思います」ときちんと批判してきた人に会ったことがあるそうです。

言われる側としては当然きついものの、それでも自分の考えを対面でも曲げずに伝える姿勢は、人間としてかっこいいと水野さんは感じたといいます。

 

この例として「令和人文主義」の批判を堂々としていた人の話が挙げられますが、割愛します。

 

○17:30~

水野さん:

 でも大体の人はそうではない。
 それはやっぱりSNSっていう、1 個スマホ挟んでるからみんな言いたい放題言えるし、言った後、普通に生活に戻りますよね。
 スマホで「こいつ本当最低だなカスだな」とか言って書いた後に、夜飲みに行ったりとか、家帰って家族と過ごしたりとかするわけで……

堀元さん:

 だから、あんまりさ、当人に届いてるとも思ってないよね。

 そういう人たちって。

水野さん:

 ああ~、届いてるよ、全然。[笑い]

堀元さん:

 そう。しっかりと届いてますからね。

 俺、結構、昔それ引用ツイートとかしてたけど。そう、「堀元って本当人間のグズ」だの「死ねえよ」みたいなやつをこう引用して、「そんなこと言わなくてもいいじゃん」みたいなこと書いてたら、結構その後すぐ消すんすよね、みんな。

水野さん:

 あ、そう。あれやめて。
 非難だけ、するだけしといて、見つかったら消すやつ。 
堀元さん:
 [笑い] あ、そうそう。結構いますよね。

水野さん:

 気骨ないから。

堀元さん:

 あれ気骨ないね、一番。

水野さん:

 ですよね。

堀元さん:

 だから死ぬ気でやってほしいね。

 「最後まで戦うぞ、俺は」って思いながら書いてほしい。

水野さん:

 ちゃんと思ったこと最後まで言ってくれって思うんですけども。 

堀元さん:
 うん。そうね。 
水野さん:
 それはドローン攻撃的な発想ですよね。

 そう、もう1 個ドローン操作が似てるなと思うのは、ドローンってもう実際に、例えば、自分が攻撃を加える対象の映像が綺麗に見えるわけじゃなくて、レーダーになって検出して画面越しに攻撃するケースもあるみたいで、それって要は相手の顔が見えないわけ。

 だからなおさらSNSと似ている。
 SNSも相手の顔が見えないから、結構きついこととかも言えるんだけど、それはその、レーダー越しに相手を見てような状態だから精神的な負荷が大きくないだろうと。

堀元さん:

 てかその話はあまりにも『Monster』すぎるかも。

 

『Monster』の話は、コーヒーに角砂糖を3つ入れる習慣のあるスナイパーが、標的がまさに同じことをしているのを見て撃てなくなり廃業したというお話でした。

「相手に共感すると(殺すことが)無理になる」という話です。

 

 

  発砲率を上げる手段としてのゲーミフィケーション

 

本来「人を攻撃する」「人を撃つ」ことに抵抗のある人間が、何かを介在させたり距離を大きく取ることで、攻撃に対する心理的抵抗が下がるという話を見てきました。

 

次に見るのが、ベトナム戦争です。

 

水野さんの手元の本では、兵士が実際に敵へ発砲できるようにするための訓練方法を変えた結果、ベトナム戦争では兵士の発砲率が90%以上にまで上昇したといいます。

 

その訓練でやったこと、それは――「条件付け」です。

 

ベトナム戦争当時のアメリカ陸軍・海兵隊の訓練では、兵士に反射的・瞬間的に発砲する能力を身につけさせました。

 

以前の射撃訓練では、兵士が比較的ゆっくりと(本によれば「のんびりと」)標的を狙って撃っていました。

 

それに対して新しい訓練では、兵士は完全武装した状態で長時間待機します。

目の前には木々が生い茂った地形が広がっていて、そこから突然、迷彩服のような色をした人型の標的が飛び出してくる。

兵士は、それを見た瞬間に狙いをつけて撃たなければなりません。

 

標的に命中するとすぐにフィードバックがあり、標的はまるで生きている人間のように倒れます。

命中率が高ければ褒められたり報酬を与えられたりし、失敗すれば軽い罰が与えられる。

 

つまり、そこでは「撃つべきかどうか」をじっくり判断するのではなく、人型のものが現れたら即座に撃つという反応そのものを訓練していたのです。

 

水野さんは、これは射撃術を鍛えているというより、「考える前に撃つ」という反射的な行動を条件付けているのだと説明します。

 

さらに訓練では、より現実に近い標的が使われることもありました。

たとえば、戦闘服を着せた風船を移動させたり、赤いペンキを入れたミルク瓶を撃たせたりするなど、訓練そのものをより具体的で、面白く感じられるような工夫も行われました。

 

そして訓練が面白くなればなるほど、兵士はその行動に夢中になります。

こうして、環境が変わっても「人型のものを見たら撃つ」という反応が自動的に引き出されるようになります。

 

○23:03~

堀元さん:へえ。めっちゃ嫌な話ですけどゲーミフィケーションだね。

水野さん:そうです。

堀元さん:めちゃくちゃゲームフィケーションすることによって、夢中でみんなそれやるようになるんだ。

水野さん:だからこの著者のグロスマンは、テレビゲームに問題意識を燃やしてる。

堀元さん:なるほどね。それで条件付けされたらもうみんな人殺せるようになっちゃうでしょ?っていうことだ。

 

この訓練によって変化したのは、発砲率だけではありません。

敵を正確に狙って撃つ能力も高まったのです。

 

人間には「人を撃ちたくない」という感覚があるのに、その抵抗を取り除くために、訓練によって「人型のものが現れたら撃つ」という反射を作り上げた。

人間らしい感覚を持った兵士を、考える前に撃てる兵士へと変えていったわけです。

 

○24:02~

堀元さん:

 あ、マジでゲームフィケーションだな。
水野さん:
 っていうことで、全然、まず発砲率も変わるし、さらに狙いってのも正確になったって話が出てきてしまうということですね。
堀元さん:
 なんか人間らしい感覚じゃん。人を撃てないっていうの。
 で、それを捨てさせる方法が、ゲーミフィケーションっていうの、なんか悲しいね。

水野さん:

 うん。だから僕がこの本ってのは、「キャリアの話と関わる」って言ったのは、
 まさにそこで、これ激務の話と似てるんですよ。
堀元さん:
 ああ~……
水野さん:
 つまり条件付けってのは要は、考えない方向に振れていくことだと思うんですね。

 もう、色々判断を迷うんじゃなくて、「これが来たらこれをしなさい」とかっていうことは、この条件自体は無色透明の、善も悪もないものなのかもしれないけれども、これをやりすぎると、まず人はどんどんどんどん「考えない方向」に振れていくし、もっと言うと「個人」っていうのと「アメリカ軍」っていう集団の間が、溶けていくわけですよね?

 自他境界みたいなのが消えていって、ただ兵士として振る舞うようになる。

 個人である前に。

堀元さん:

 そうだね。「爆速で撃て」っていう条件付けに従って行動するだけのやつになるの。

水野さん:

 はい。そしてそういう人は、どうなるかというと……メンタルを壊す、と。
堀元さん:
 あ、そういう人がメンタル壊すの?
水野さん:
 ベトナム戦争が終わった後、アメリカ兵士、とんでもない量の精神的なトラウマを負ってPTSDになりました。

堀元さん:

 あ、でも聞いたことあるわ。そうそういうドキュメンタリー見たことあるわ。
 え、でもさ、これさ、直観と違ってさ、
 条件反射ですぐ人を撃つって訓練されてるから、
 撃った後も冷徹なマシーンみたいなイメージになったんだけど、
 それは違うんだね?

水野さん:

 いろんな段階があって、戦場でそうなる人もいれば帰還後にそうなる人もいるんですね。
 で、ベトナム戦争の場合はちょっと特殊で、まずさっき言ったように大義が結構薄い、と。
 アメリカがベトナムに行って、代理戦争に入っていくわけですよね。
 で、さらに長期化していくにつれて、アメリカ国内の世論が反戦に傾いていった。
堀元さん:
 ベトナム戦争ってそうでしたよね。

 マスコミが結構、戦争の帰趨に力を発揮した初めてのケースだって言われますよね。

水野さん:

 そうですね。それこそノーム・チョムスキー、有名な言語学者とかも、このベトナム戦争の反戦活動めちゃくちゃやってましたから。

 で、そうなると何が起きるかというと、国のために条件付けして、戦ってベトナムの兵士を殺していきますよね。

 で、帰ってきたら何が待ってるかというと「人殺し」とか言って、アメリカ国民に批難されるんです。

堀元さん:

 ああ、かわいそうだな。 
水野さん:
 また帰ってきた兵士が戻ってきたら、恋人がいなくなっていたりとか、
 「戦争に行った人間」っていう風に見られて……。
 もっというと離婚されるとか、そういったこともあって、
 兵士たちは帰ってきた後に精神的なトラウマになるケースもあった。

堀元さん:

 なるほど、世間が反戦だとそうなるな。
水野さん:
 そう。あとさらにもっと言うと、ベトナム戦争ってゲリラ戦があったんですね。
 そうするとアメリカ兵は民間人も相手にしなきゃいけないと。

堀元さん:

 あー、なるほど。

水野さん:

 で、そうすると2つあって、1 つは民間人が兵士の可能性があるので、

 いつまでも気が抜けないっていう強烈なストレス環境にさらされること。

 で、もう1 個は、兵士は、敵兵を殺すことはまだ倫理的に正当化しやすいんだけど、子供とか女性とか民間人を手にかけるっていうのは、かなり倫理的な負荷が大きいっていうこともあるので。

 言うたら条件付けしている時ってのは、ま、言うたら正気を保ってないような状態で、それが終わった瞬間に「あれ、俺がやったことって…」っていうので、強烈なバックラッシュが起きるわけですね。

堀元さん:

 うん、我に帰るみたいなことよね。 
 条件反射で「いっぱい撃つぞ」ってなってるから撃ってる時は気にならなくても、後から振り返ったら「ヤベえな」ってなっちゃうかもね。

水野さん:

 はい。その意味で、この本はただの興味本位で読む本というよりは、
 人が例えば、「組織と自分の境界が解ける時」ってのはどういう時で、

 そしてそれは、組織側がどのような手法で我々の自我の境界を壊していくのかっていう手法も書いている本なんですよね。

堀元さん:

 うん。なるほどね。

 

ここから水野さんは、この本を単なる「戦争で人が人を殺す心理」を扱った本としてではなく、組織と個人の関係について考える本として捉えます。

 

重要なのは、組織の中で人間の自我や判断がどのように変化するのか、そして組織がどのような方法で個人の判断を変えていくのかという問題です。

 

  「普通」が入れ替わるとき

 

この話は、戦争だけに限りません。

 

堀元さんは、会社員による不正を扱った本をよく読むそうで、その例として山一證券の巨額の簿外債務隠しを挙げます。

が、内容は割愛します。動画でご確認ください。

 

水野さんは、ここからさらに日常の仕事へ話を広げます。

 

仕事が非常に忙しくなると、

「とにかく目の前のものを処理しよう」

という状態になりがちです。

 

一つひとつを考えるのではなく、「これが来たらこう処理する」という流れ作業になっていく。

もちろん、仕事を効率よく処理するためには、ある程度こうした自動化も必要です。

 

しかし、それが行き過ぎると、「会社員としての自分」と「一人の人間としての自分」の境界が溶けていく可能性があります。

自分自身の判断よりも、「会社ではこうすることになっている」「この状況ではこう処理する」という組織のルールに反射的に従うようになってしまうからです。

 

そのため、どれだけ忙しくても、ときどき立ち止まって、

「自分はいま、本当にこれをやっていいのか」

と確認する必要があるのではないか、という話になります。

 

水野さんは、さらに本のデータとして、「戦場では、ほとんどの人が敵を殺すことに抵抗を感じる一方で、約2%の人は比較的ためらわずに人を殺すことができる」という話を引きながら、戦場と日常では、「普通」が入れ替わってしまうということを話します。

 

戦場ではこの2%の人を支援するために多くの人が動き、2%の彼らこそが「普通」ですが、戦場を離れるとその2%は「異常」ということになってしまいます。

 

この話を聞いた堀元さんは、ドラキュラ伯爵のモデルになった串刺し公ヴラド・ツェペシュの話を例に挙げます。

 

ヴラドは敵兵を大量に串刺しにすることで恐れられた人物です。その残虐さによって敵を撤退させたため、戦時には英雄として評価された一方、平和な時代になると、その残虐性が恐ろしいものとして語られるようになりました。

 

まとめとして、水野さんが、本を読んでここまで話をしてきた理由として、「戦争に反対すること」を自分の言葉で語りたいという気持ちがあったのだそうです。

これまで自分も戦争に反対してきたものの、どこか「借りてきた言葉」で反対していた部分があったと話します。

 

この本を読んだことで、水野さんは、人間を戦争に適応させるために、条件付けによって人間の行動そのものを変えてしまうことが、戦争に反対する理由の一つとして実感できたと話します。

 

堀元さんも、兵士に葛藤を迫り続け、事後にトラウマを抱えてしまうような戦争は「割に合わない」ものだと感じたと話します。

また、条件付けにより、兵士の人間性を戦争に適応させようとする構造そのものが、映画『時計仕掛けのオレンジ』を例にとり、邪悪な「洗脳」だと思うと話しました。

 

動画の最後は、次回の予告として、ここからさらに話を広げて、「戦争における人殺し」と「言葉」がどのように関わるのかを扱うそうです。

 

今回も面白かったです。次回もとても楽しみですね♪

 

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ここまで、読んでくださってありがとうございました。

素敵な一日になりますように(*^^*)

 

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☆カバー画像はChatGPTにより作成しました。

 

ごきげんよう、ざらめの雨です。

 

今日は、ようやく水野さんの本について書いてみようと思います。

発売されたのは2025年8月。

 

1年ほど経過してしまっています。あせる

 

もちろん、予約で購入したので届いた時点でそれなりに一通り読んで、何か書かなきゃな~ってなっていたんですが・・・・・・。

そのあとYouTubeでいろんな人がこの本のレビューを、時にはご本人をゲストに招いて話しているのを見て、

 

――ま、いっか。

 

ってなっちゃったんですよね。

何を言えばいいのか、よくわからなくなっちゃった。

 

自分よりも本を読むのが上手い人、自分よりも言語学が大好きな人、自分よりも水野さんのことが大好きな人、いろんな人がいますよね。

 

そして、それぞれたぶん最速で自分が読んで面白かったことや、学んだ視点について言語化して時には文章に、時にはプレゼンにしてるわけです。

 

わざわざ自分の浅い読み込みとかで、100万回も言われてそうなことを適当にまとめるのって、どうかな?

って思ってしまった。

あんまり面白い話にならないよね、って。

 

私は言語化自体はそれほど苦手ではないんですが、欠点としては速度感がないということがあるんです。

感じたことを言葉にすることが、素早くできないんですね。

 

テキストコミュニケーションが好きっていうのも、そこから来ていると思います。

 

思ったことが、さっと言葉にならずに、ゆっくり感じたものを何度も反芻して、その輪郭とか感触をしっかり馴染ませてようやく言葉に収束させていく感じ。

 

だからずっと持ち越ししていたんですが、さすがに1年経って、今更レビューを書いている人も少ないだろうなってことで書きます。

 

 

 

 

会話の不思議と仕組み

 

著者である水野さんは名古屋大学で言語学を専攻した人です。

お仕事は出版社の編集者をしていて、堀元さんに誘われて「ゆる言語学ラジオ」でスピーカーをしています。

 

得意なことはたくさんありますが、そのひとつには「テンポ良く会話をする」というのがあるようで、「しゃべりの面白さ」みたいなものでチャンスに恵まれてきたというのは自他共に認めるところだというのがまず前提。

 

その上で、言語学徒として取り組んだテーマが「会話」だったわけですね。

 

特にわずか平均0.2秒の間にターンテイキング(話者交替)が起こることに着目して、この短い間にどんなドラマがあるのかというのを紐解くというのが本書の内容となっています。

 

水野さん曰く、「言語学は答えは分かっているのに、なぜそうなるかは分からないという謎解きをするパズルみたいなもの」であるそうで、まずこの「会話」のメカニズムも、分かっているようで分からないことだらけの難解な問題であったらしい。

 

実際に本を通読して、感想というほどのこともないが、読んだ後に思ったこととしては、人によっては博士論文で扱ってもかまわないような大きいテーマだと思った(それは、本ブログでも少し言及したところだけど)。

 

本書によって解明された会話の仕組みを、p.205からざっくり抜き出すと、

 

☆人は誰かから話しかけられたとき

 例「あのさ、昨日あのテレビ、見た?」

  1. 文構造の解析  (→第2章)
  2. 意味の理解   (→第3章)
  3. 語用論的な推論 (→第1章)
  4. ターンテイキングの準備
  5. 応答内容の整理
  6. 応答内容を文にする
  7. 応答

 例「んー、そうだな、面白かったよな」

みたいに、7つの段階を踏んで応答に至っているのだという。

 

そして、文構造とは何であるとか、

意味の理解が何をすることなのか、とか

語用論とは何か、推論とはどういうものか、

みたいなことを詳しく解きほぐしているのが本書である。

 

特に前半の1、2、3については、本の中では第2章、第3章、第1章に対応して、かなりガッツリ言語学の内容を、ときにはわかりやすい例を出しつつ、ときには大胆な省略をしつつ、水野さんなりに「言語学を知らない人でもそれなりに掴める」内容になるよう心を砕いて執筆されている。

 

章の順番が前後しているのは、水野さんのリサーチの進展にあわせることで、読者にも著者の驚きと理解を追体験する意図があったと書いていたように思うけど、合ってるかな?

 

まぁ、そんな感じで、言語学についてほとんど知識がない人でも、

  • 言語学を通してどんな事実が発見され、どんな理論が編み出され提唱されてきたのか?
  • それらは実際の会話をどのように解釈するのか?

みたいなことが、なんとなくでもわかるようになっているわけです。

これはね、本当にすごいことだと思います。

 

興味を引くような例が多用され、著者自身の体験談もちりばめられて、引き込まれるようにして「言語学の難しい部分」を通り抜けることができるという、そういう本になっているわけですから。

 

全然知らない世界でも、よくわかっている案内人が手を引いてくれたら、歩けるんだ!

という感動が少しありました。

 

どなたでも、ぜひ読んでほしい理由といえます。

 

「すごい!面白い!」では済まない、言語学から著者が気付いた「暴力性」と価値観の変化

 

会話の仕組みの7つのステップ、後半の5~6についても、同じように興味深いお話がたくさん出てきて面白いのですが、本の後半で特に目を引くのが、「暴力性」という言葉です。

 

水野さんの一番の関心事であった「なぜ会話のターンテイキングが200ミリ秒で完了するのか」という問いに対して、答えを追究する中で出会ったいくつかの事実が、重要な気づきをもたらします。

 

一部を抜粋しながら見ていきましょう。

 

p.118~(強調はこちらで行った)

「ね」と「よ」の違いは難しすぎる

<中略>

 

「ね」「よ」を使いこなすには、相手の立場に立って、その人がどういう情報を持っているのか推測する必要がある。

そしてこの作業は、ASDの人にとっては不得手なものだ。実際、ASD児の発話には共感を示す終助詞「ね」が少ないというデータがある。

 

<中略>

 

 僕たちは「ね」「よ」といった終助詞や、方言を用いて日常会話をしている。これは定型発達の人にとっては便利な形式だ。ところがASDというレンズを通すと、真逆の結論が導かれる。かかる労力の割に得られる便益が少ない、非効率的なツールがなぜか多数派の人々には支持されている。極端な言い方をすれば、共感を通じたコミュニケーション自体が、多数派による暴力なのかもしれないのだ。

これは発達障害のある人が方言を使わないという話を例に、「普通」のコミュニケーションについて問う場面です。

 

英語ではa/theを使い分けることで、既知の情報か新規の情報かを区別することを「自然に」行っているわけですが、水野さんによると、我々日本人も「ね」「よ」などを使って「自然に」そうした区別を他者に伝える戦略を採っているそうです。

 

ただ、こうした「言外に読み込むべき情報を付与した」コミュニケーションの方法については、それが負荷が少ない人もいれば、反対に非常に負荷が多いと思う人もいるわけで、現代はたまたま「負荷が少ないと思う人が多い」からそれが規範的に見えているのかもしれない、という可能性に気付いたのがこの話の肝です。

 

また、このような記述もありました。

 

p.202~(強調はこちらで行った)

会話の流暢さと能力主義の関係
 200ミリ秒でさえ、僕たちにとっては相当に短い。ところが日本語話者の応答にかかる平均時間は、その28分の1ほどしかない。繰り返すがこれはイエス・ノー質問の場合の平均値なので、「あなたが生きている意味って何だと思う?」と聞かれたときのような、哲学的な会話ではこんなに短くない。それに、個人差もあるだろう。


 でも、僕はこの短さを真剣に受け止めたい。自分がこの短さに適応できているからこそ、なおさらそう思う。この刹那にも満たない間に、意味を探索し、構文を解析し、語用論的な推論をし、文化的な背景を加味し、応答を取りまとめて流暢に発話していると考えたら、これは驚異的なことだ。そして、流暢に話せる人はその驚異的な能力のメカニズムを知ることができ、そこに潜む暴力性に自覚的になれるのではと思う。


 僕たちには、スムーズにわかりやすく説明されると、その内容を信じやすくなるバイアスがあるようだ。これを「流暢性バイアス」という。

 

<中略>
 

 もっと踏み込んでいえば、現代で流暢さは能力主義と密接に結びついているように感じる。象徴的なのが、就活の面接だ。

これは、ゆる言語学ラジオでも扱われた、「話がうまい人は頭がいい」という思い込みについて水野さんが書いているところです。

 

本の中に出てくるように、そうした現象は「流暢性バイアス」と呼ばれているが、そうしたバイアスの裏側に存在している、私たちが「すらすら会話をできることの奇跡」について発見することを通して、水野さんは「暴力性に自覚的になれる」と書いています。

 

この部分が、本書の決定的に面白いところだと思う。

 

水野さんが真剣に言語学した結果は、単に「えー!」「すごい!」「知らなかった!」では終わらなかった。

 

水野さんのリサーチは、「会話」に関する疑問を解き明かすという知的好奇心を満たす営みから、世の中のある種の偏りによって生じる、「【発話のスムーズさ】と【能力主義】の恣意的でリスクのある関わり」へと接続することになった、と言えるでしょう。

 

少し難しい言い方になったので、平たく言い直すと、

 

「会話って実はすごく難しいことをやっている」はずなんだけど、自分がそれをできるからといって、素早い応答や流暢な発話を「当然のこと」と思ったり「優秀さの証」として、他者に要求したり押しつけたりすれば、それは暴力になる。

ということを発見し、自覚できたということ。

 

社会にはいろんな言語に関する本があって、多くは言語学者の手によるであろうそれらは、こうした社会に潜む「偏りと暴力性」についての個人的な感慨や驚きをここまで率直に書くことは少ないと思います。

(私はそこまで言語学の本を読んでないですが)

 

もしあっても、いくぶん控えめに、「示唆される」「警鐘と捉えることができる」「危険性がある」みたいな感じになると思う……ってか、自分ならそうする。

 

そういう、「流暢におしゃべりできる人間として」の暴力性の発見や自覚が、本書の見所だと思います。

 

 

反省する水野さんが好き

 

少し前後するけど、会話の流暢さと能力主義に関して述べた部分の少し前の部分を引用しようと思います。

意図せず暴力性を発見してしまった水野さんの態度というのが、とてもいいと思って。

 

p.199~(強調はこちらで行った)

たまたまできる発音という不思議

 本書で見てきたのは、僕たちがことばを操るときに、想像以上に多くのことが自動的に行われているという事実だ。そしてそれは、発話の面でも同様である。一言なにか言うだけで僕たちは高速で舌の位置を変えたり、口内の環境を変えて音を作り出したりしている。難なくこなせているうちは気にならないだろうが、こうしてメカニズムを言語化されると、むしろ連発や難発が起きず、スムーズに、自動的に発音できる方が不思議に思えてくる。

 

 僕はあまり吃音の傾向はなく、割と流暢に話せる方だと自認しているのだが、それは自分が努力して勝ち取った能力ではなく、たまたま生まれたときにそうなっていただけだ。であれば、吃音の人に対して、こちらのペースに合わせろと要求できる権利はまったくない。むしろ、自分が流暢に話しすぎることで、速さを相手に押し付けてはいないかと反省を促された。

これまで自分は、良かれと思って、会話が遅い人にアシストをしたり、関係性によっては適度にいじったりするなどして会話を盛り上げていた。しかし車にスピード違反があるように、流暢に話すのは会話のスピード違反で、自分がペラペラしゃべることで交通事故が起きていたのではないか。

 

 吃音を持つ人の中には、自分が「たたたたた……」と言っているうちに「あ、たまごのこと?」と助け舟を出されることを嫌がる人がいる。そうした人に対して、自分と同じペースを要求することは、むしろジャマをしていたのではないか。興味本位で200ミリ秒の謎を追った自分の前には、そうした自罰的な感情も現れ始めた。これはリサーチを始めた当初はまったく想定しなかったことである。

この吃音の話は、全3回にわたって、ここ最近のゆる言語学ラジオの中でも取り扱われてきました。

 

その中で水野さんは、吃音当事者の方の方略と見えない苦しみについて言及されていましたが、ここにその動画の原点が書かれていると思います。

 

水野さんは、旧帝大のひとつである名古屋大学を卒業し、出版社の正社員として勤めている、どこに出しても恥ずかしくない典型的なインテリの一人だと思う。

 

その彼が、就職活動の面接で、YouTubeで、あるいは飲み会の席などで、存分に武器として振るってきた「会話のテンポのよさ・流暢さ」について、「会話」の内実に迫る中で自覚されたのが「暴力性」と、「自罰的」ともいえる反省の気持ちなのである。

 

それが面白いし、とても優しいと思います。

それは水野さんの性格を表わしているとも思います。

 

そして、もう一方で言えることは、優しい性格の人でも、「多数派の側」にいるときには「少数派の側」に規範を押しつけることを通して暴力的になってしまうことがあるという事実。

 

そういうことは、なんとなくあるとは知っていても、それを実際にわかりやすく伝える方法はわからなかったりします。

文脈次第で変わることや、流暢性バイアスのように本来結びつけないほうがいいことが結びついてしまったり、とにかく世の中は複雑です。

 

そんな中で、「ゆる言語学ラジオ」やこの『会話の0.2秒を言語学する』を通して、いろんな気づきを水野さんからもらっていると思います。感謝ですね。

 

水野さんが本当はどんな人か、その人柄についてはYouTubeや書かれたものを通してしか、私たちフォロワーは知り得ないですが、それでも水野さんの向上心と自分自身を見直して反省しようとする姿勢は尊敬できるし、とても好きだなと思います。

 

特に、水野さんが本の中で最後に書いていた、「自分と出会い直す」ことができる人文学の魅力について、水野さんがこういう性格だからそうできたのではないかと、うっすら思っています。

 

まとめると、『会話の0.2秒を言語学する』は、水野さんの「学んだこと」と「いいところ」がたくさん詰まった本であるということです。

  • 門外漢でもわかる言語学の入り口になりうる本、
  • 知的好奇心を満たし、学びをもたらしてくれる本、
  • 世界との向き合い方や姿勢に関する示唆を与えてくれる本、
  • 著者である水野さんの魅力がたくさんちりばめられた本。

これが、『会話の0.2秒を言語学する』という本だと、私は思います。

 

とてもおすすめなので、ぜひ手にする機会があれば読んでいただきたいです。

また、言語学や「ゆる言語学ラジオ」に興味があれば、購入をおすすめします。

 

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では、今日はここまで。

読んでくださって、ありがとうございました!!!

素敵な1日になりますように♡

 

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☆関連するブログ記事

 

 

 

 

 

☆カバー画像は、本のおまけとしてついてきたステッカーをスキャンしたものです。

 

 

後記:

今回のブログ記事、実は一番頑張ったところは、

あっさりと「水野さんが好き」って言い切ったところ。

別にガチ恋とかじゃないけど……とはいえ言いづらい気もする。

 

だって、どんな人か、実際のところ知らないわけだし。

YouTubeとか書かれたものとか、「上澄み」みたいなものを

いちフォロワーである私は受け取っているだけ。

それだけを見て、「好き」って言ってもいいのだろうか……?

 

けど、頑張って言い切ってみた。

 

よく「コアがない」とか「人である意味がない」とか、

ネタになっていることもあるけど、水野さんって本当に不思議。

もしお会いできたら握手してほしいな。

ごきげんよう、ざらめの雨です。

 

毎週金曜日に、推し活の一環として

「ゆる言語学ラジオ」の最新回をまとめています。

 

今回は今井むつみ先生がゲスト回。

赤ちゃんミステイクアワードです。

 

「子どもの可愛らしい言い間違い」を集めて寸評するという内容になっています。

 

☆関連書籍

 

 

●子どもはなぜタコ大学に通いたがるのか?【赤ちゃんミステイク】

2026/09/15配信

 

【目次】 

00:00 サンキューございます 

02:46 タコ大学 

04:36 どあかちゃんの正体 

07:29 ゲゲゲの◯太郎 

09:06 つい言いたくなる言葉 

13:03 みみくさいくさいして 

19:06 「ん」は何者? 

22:25 広告スキップして 

27:52 ザーサイは調理名? 植物名? 

31:08 正月しか出番がない野菜 

32:34 子どもは言葉を分解して理解する 

35:26 アブダクション大賞発表 

39:47 AIを使って英語を学ぶ

 

  楽しい子どもたちの勘違い

 

これはもう、動画を見てもらったら一番いいですね。

とにかく面白いから。

 

1個目は、「サンキューございます 」です。

意味は、わかりますね?

 

「ありがとう」=「サンキュー」と言い換えられることに気がついたお子さんの間違いです。

 

○0:28~

堀元さん:

 お子さんが4 歳頃の話ですね。

 「丁寧なお礼を伝える時にサンキューございますと言っていた。」

水野さん:

 うん。うん。うん。

堀元さん:

 だから、これ多分あれですよね?

 カジュアルなお礼でサンキューって言ってるのを見て、「ございます」つけたら丁寧になるだろうなって、類推したんでしょうね?

水野さん:

 ああ、そうか。なんか僕てっきり、その日本語と英語が単に混ざっちゃったのかと思ったけど、「サンキュー」だけ言ったら、なんか失礼かも?みたいな。

堀元さん:

 うん、そう思ったんじゃない?

 4歳児なり、「サンキューは今ふさわしくないのでは?」って思ったんじゃないですかね。

水野さん:

 [笑い]じゃ、もしかしたら、「グッバイございます」とか言うんかな?

堀元さん:

 言うんじゃない? 

 いろんなものに対して付けられますよね。 

水野さん:

 そうですね。発想になかったな。

 ま、でもね、「こちらビールでございます」とか言うもんね。

堀元さん:

 うん。店員さんがね。

水野さん:

 その場合とか、全然問題ないわけだもんね。

堀元さん:

 うん。だからカタカナに「ございます」はいけるだろうなって、判断したんでしょうね。

水野さん:

 あ あ、その可能性もありますね。

今井先生:

  カタカナ語っていうの分かってるのかな?

堀元さん:

 ああ~~

今井先生:

 「サンキュー」は「ありがとう」とは違う、カタカナ語だっていうことを分かってる~?どうかな?

 その辺りはちょっと微妙かも。

堀元さん:

  そう、そうですね。言われてみたら…。

 「ありがとう」みたいなもんだと思ってれば、「サンキューございます」ってめっちゃ自然の発想ですもんね。

水野さん:

 うん。そうだね。確かに。

 だって表記がわかんなければさ、英語っぽいとかあんまり思わないもんね。

 強いてって言うなら「サンキュー」っていう音の並びは、日本語っぽくないっていう感覚を持ってる可能性はありますかね。 

堀元さん:

 うん。うん。僕もこれ大学生の時に同じような失敗したなって、思い出してさ。

水野さん:

 え、堀元さんが?

堀元さん:

 うん。「先生を怒らせてしまって」っていうこと言いたくて、で、それを尊敬語にしないと失礼かなと思ったの。

 でも「怒らせてしまって」をどうやって敬語にしたらいいかわかんなくて、こう脳内で検索したら「お怒りになる」っていう表現あるなと思って。[笑い]

 それをうまく使えばいいんだって思った結果、僕から出力されたのが「先生をお怒らせてしまって」。

 ヘンな出力が出ました。

水野さん:

 [笑い]ヘンですね。

堀元さん:

 「お怒からせて」って言わないですからね。

水野さん:

 言わないです。

堀元さん:

 でも難しくないこれ?

水野さん:

 うん。 難しい。 ま、そういう時のために、

 やっぱ「逆鱗に触れる」っていうワードがありますよね。

 目上の方を怒らせてしまってっていう。

堀元さん:

 「逆鱗に触れてしまって」って言えばね。

 でもさ、逆鱗って元々さ、龍のなんか背中のとこについてる……

水野さん:

 顎ですかね?

堀元さん:

 アゴか、なんか逆向きの鱗のとこがあって、そこに触るとめっちゃ怒るみたいな故事かなんかから、来てると思うんですよ。

 てことは、先生の逆鱗に触れるって、先生を龍にたとえているので失礼です。

水野さん:

 何そのマナー 講師?

堀元さん:

 人ではないものに先生をたとえるなんて言語道断です。

水野さん:

 いや、聞いたことないな。それ言い出したら「猫を被る」とかも言えなくなるから。

堀元さん:

 [笑い]確かに。慣用句全部ダメか。じゃあ「逆鱗に触れる」で今度行きましょう。

なんかめっちゃほのぼのしている始まりです。

 

2個目、タコ大学。

子どもが「東京医科(イカ)大学」みたいなものを聞いて、「だったらわたし、タコ大学に行く」と言ったというお話。

 

イカ大学に対してタコ大学があると思ったんでしょうね。

同じような勘違いを、遠い昔やったことがある気がします。

医科歯科大学って言ったら、イカと鹿の大学だと思うじゃないですか??

 

そんな感じの可愛らしい間違いです。

 

タコって意識研究とかで注目されるくらい賢いという話で、水野さんが「瓶に閉じ込めても出られるらしい」という話をしたら、今井先生が「瓶の内側からどうやって出られる?」と食いついていました。

 

たぶん吸盤で内側から蓋を掴めるんじゃないかな?

正解は私も知らないですが、参考文献はこちら。

 

 

 

3個目、どあかちゃん。

これは何がどう間違ってこうなっているのか、類推が難しいです。

 

幼稚園に通う我が子から、

「今日『どあかちゃん』と友だちになった!」と報告された。

「どあかちゃん」とは一体誰なのか??

 

後日幼稚園に行った際に園児たちの名前を聞いて回ったところ……!?

 

あるカテゴリーから選択ミスということのようですが、

答えを知りたい方は、ぜひ動画をご覧ください。

びっくりしますよ!アハ体験です。

 

あまりに面白い話だったので『きょう、ゴリラをうえたよ』の広告が挟まりました。

 

このカテゴリー内の取り違えについて、堀元さんがイサム・ノグチとカズオ・イシグロを取り違えた話をしていましたが、堀元さんの話した各偉人のプロフィールが間違っていたので、今井先生に厳しく訂正されていました。

……たぶん、プロフィールしゃべる必要はなかったのかも。

 

4個目、ゲゲゲのゲ太郎

 

夫婦で子どもの言い間違いを溜めているという人からの投稿で、沢山ある中から堀元さんが選んだものです。

 

「パパ~、ゲゲゲのゲ太郎見せて」

 

惜しい!

とはいえ、『ゲゲゲの鬼太郎』は発音が難しいという話に。

堀元さんが、「水木しげる財団とかに言って『ゲゲゲのゲ太郎』にしましょう」と署名を持っていくとボケると、水野さんが「これだから慶應は~」と慶應大学をディスりだして、今井先生に嫌がられていました。

 

09:05~?

水野さん:

 ちなみに、「子供が1 番最初に覚えた言葉」っていうのを、調査してるやつがあって。

 トップ 10の中に1 個だけ、固有名詞が入っててそれが……

堀元さん:

 アンパンマン?
水野さん:
 アンパンマン。
堀元さん:
 うん。聞いたことある。
水野さん:
 みたいで、やっぱ言いやすいんでしょうね、アンパンマンって。
堀元さん:
 俺、小学校の同級生のかずや君も、初めて喋った言葉「アンパンマン」って言ってたもん。
今井先生:
 アンパンマンは、あれは天才的なネーミングだと思う。
 あれは、口をね、開けて閉じたら、言えるんですよ。
 開けて閉じる、開けて閉じる、開けて閉じるで発音できちゃう。

水野さん:

 アンパンマン。そうですね。
堀元さん:
 言いやすいね~。 
水野さん:
 pとmを両唇から出すので、唇1回閉じますもんね。
今井先生:
 うん。私もねー、前に小田急のロマンスカーによく乗るんですけど。
 で、そしたら前に親子が、ま、2 歳ぐらいの男の子かなとお母さんだったんだけど、大体 1 時間弱なんですよ、 新宿から。
 ず~~~~っと「アンパンマン、アンパンマン、アンパンマン」ってその子は言い続けてた。

水野さん・堀元さん:

 [息をのむ音] [咳払い]へえ。
今井先生:
  多分自分のね、口を開いたら言葉になるのが嬉しくてしょうがない。

水野さん:

 なるほど。
今井先生:
 1 番言いやすくて、結構ほら、小さい子って「ラ」を言ったつもりだったのに「ダ」になっちゃったりとか、あるじゃないですか。だから、なかなか言いたいんだけど言えない言葉っていうのが、たくさんあるんですよね。
 でもね、「アンパンマン」は言えますよ。
 だって口開けて閉じれば、アンパンマンって言えるから。
水野さん:
 うん。歯がね、抜けてても「アンパンマン」は多分言えます。
今井先生:
 そう。言える。

堀元さん:

 そうか。だから子供にとっての、「言いたい」っていう欲望を完全に満たしてくる存在。
今井先生:
 完全に。もうね、1時間ずっと「アンパンマン」って言い続けて、 私も可愛いなと思いながら、ちょっと途中からはもう勘弁して欲しいなっていう。
堀元さん:
 [笑い] いや、確かにきついわ。ずっと横でアンパンマン、アンパンマン、アンパンマンって言われてたら頭おかしくなりそう。

今井先生:

 そう。でもお母さんはね、偉いと思った。

 ちゃんと耐えて耐えて耐えて、全然止めもせず、ずーっと「アンパンマン」って言わせ続けてたから、偉いお母さんだなと思って、褒めてあげたいと思いました。

堀元さん:

 なんか芸人さんが、この後の打ち上げ「つるとんたん」行く?ってすごい言いたいらしいんですよ。

 「つるとんたん」が音が気持ちいいから、全然その「つるとんたん」別に行きたくないのに、この後「つるとんたん」行く?って言って、みんなすぐ行っちゃうって誰かが愚痴ってました。

今井先生:

 [笑い] ツルトンタンって何?うどん屋さんだっけ?

堀元さん:

 なんかうどんが出てくる居酒屋みたいな、飲むこともできるみたいな店ですね。

水野さん:

  英語話者にとって気持ちいい発音の言葉みたいなのを、ネット上でなんか誰かが調べた時に出てきたのが、「Crisp」。

 これがすごい気持ちいいんだっていうようなことを言われていて、ちょっと「Crisp」発音してみてください。

堀元さん:

 Crisp。
水野さん:
 なんか感じることありませんか?
堀元さん:
 Crisp。なんだろう? 
水野さん:
 これって「c」って、どこで調音してるんでしたっけ?

堀元さん:

 口の上のところ?なんか硬口蓋?軟口蓋だかいうとこだよね?
水野さん:
 はい。ああ、うん、軟口蓋かな。
堀元さん:
 軟口蓋か。
水野さん:
 で、「リ」っていう「r」 のところはもうちょっと舌がこう前に出てきてるんですけど、その後にSの「ス」、これどこですか?

堀元さん:

 うん。歯の付け根ぐらい。

水野さん:

 あ、素晴らしい。

堀元さん:

 そうね。だんだんできるようになってきたな、これ。

水野さん:

 うん、歯茎の辺り。 歯の上の付け根の辺りに舌を持ってきて、その狭いところから空気を出すと「ス」になって……

堀元さん:
 うん。完全に分かったぞ。
 で、「p」は唇だ。
  だから、だんだん後ろから前に調音点が動いてってるんだ。

水野さん:

 そう。だから「Crisp」って後ろから前にこう行く感じが、その、こう綺麗に流れていくので、気持ちいいんじゃないかっていう話があって。
 なんか、これなんかはすごい分かりやすい。
 だから「Crips」だと、あんまり多分気持ちよくないと思うんですよね。こう前にこう来ない。

堀元さん:

 はい、Crisp、Crips ああ、気持ちいいわ、「Crisp」の方が。本当だ!

水野さん:

 というような話を聞いたことありますね。

堀元さん:

 うん。 ちなみにそのシリーズで、キーボードで打つと 1 番気持ちいい文字列は「エロい父上をペロリ」です。うん。

水野さん:

 [笑い] はい?
堀元さん:
 これあのキーボードの上の段だけで打てるの。 
水野さん:
 うん、うん、うん。
堀元さん:
  だから「エロい父上をペロリ」はもう指がすごい気持ちいいよ。上だけで打てるから。

水野さん:

 え、それ何の話?関係あります? [笑い]

堀元さん:

  関係あるじゃん。だから、その調音が徐々に前に出てくると気持ちいいっていうのと、キーボードの上の段だけで打ち切れて気持ちいいっていう「身体的な気持ちよさ」って話ですよ。

  「言葉の身体的な気持ちよさ」って話で全く共通してますよね。構想が全く同じです。

水野さん:

 さて、え、それではです、え、続きまして……

堀元さん:

 [笑い] なんか言ってくれよ。

 

5個目、みみくさいくさいして

 

これは、なんだか分かりますか?

「ふさぐ」の意味で「くさいくさい」を使っているのだそうです。

だから「みみをふさいで」と言っている、と。

 

これは今井先生によると「すごいアブダクション、アナロジー」であり、水野さんからは「即時マッピングの例でもある」という指摘がなされました。

 

今井先生「この話は、かわいいだけじゃなくて、言語の構造の本質をついてると思うわけ」

○14:11~

今井先生:

 元々は、「鼻をつまむ」ことから「くさいくさい」って言ってるんだけど、それをすぐに「ふさぐ」っていう風に転用し、で、さらにそれを別の状況で応用するっていう、すごい拡張性があるわけですよね。

 だから、「ある意味の塊」を切り出して、でも「くさいくさい」は普通に言うのかもしれないけど、それをすぐメタファー的に転用して。で、それでまた別の状況ですぐ使うっていうんで、ま、それによってどんどん語彙を増やしていく。

 そういうことをするから子供ってあっという間に言葉が増えていく。

<中略>

今井先生:

 だから、なんかそのアブダクションすごいなと。

 そういう風に子供は、要素を、必ずある塊りがあると分節して、もっとなんか小さい意味の単位を、切ったりですね、どんどん新しい言葉を作ってしまうっていう……。

 

 うん。だから僕やっぱり勇気があるなって思います。
 なんか、これ「こういう時に使えんだろうがい」っていうのを無意識でどんどん攻撃的にやっている。

今井先生:

 うん。ま、試したいっていうところなんでしょうけど。 
水野さん:
 うん。あと僕が伺ってって思ったのは、親って子供に、例えば「早く言葉を喋るようになってほしい」とか「将来的に勉強ができるようになってほしい」とかって思って、いろいろ仕込んだりするじゃないですか?
 例えば「本を読みなさい」って言うとか、「あ、それはなんとかじゃないよなんとかだよ。」って教え込むとか、あるじゃないですか。 
 でも誰も「過剰一般化しなさい」って子供に言ってない。
 子供側は過剰一般化して、言語を習得する。これって、けっこう地味にすごくないですか?
堀元さん:
 うん。 [笑い]

 だし、親は割とちゃんと正しくあれっていう、枠にはめるようなことしてんのに、子供は結構枠を無視した解釈をずっとしてるわけですよね。それすごいね。

水野さん:

 うん。そう、そう、そう。

 親側が指定してないのに勝手にやっていて、それが実はキーになっているってことをほとんどの方が気づいてない。

今井先生:

 うん。どころか「それは間違いだからダメだよね」と思う。でもそれが大きな間違い。

健全な言語の習得ステップなのではないか、と今井先生。

 

堀元さんは、動画の台本執筆にあたって、曖昧なところをいちいち調べながら書いていたけれども、今はそこを間違っててもいいのでとりあえず書いて太字にしておいて、あとから調べて訂正するというふうにしたら、効率が上がったという話をしました。

言語習得も台本執筆も「後で訂正すればいい」という点で同じではないか。という話。

 

「本当、子供は間違えることは恐れてないことは確かですよね」と今井先生。

 

6個目、「ん」は何者? 

 

あいうえお表から「ん」がちょっと特別な存在であることに気付いた女の子の話。

「ん」を音声学的に見たときの、その特徴を水野さんが解説してくれます。

 

興味深いのでぜひ動画をご覧ください。

最後に、水野さんがまた慶應ディスしてました。

 

7個目、広告スキップして

 

YouTubeの影響で、実写映像を広告だと思ってしまったお子さんの話。

過剰一般化の例として堀元さんから紹介されます。

 

「どのレベルで切り分けるのか?」が不思議だね、という話から、今井先生の愛猫がキャットフードしか食べないという話に。

現愛猫は、前愛猫が大好きだった刺身、ささみなど全く食べず興味がなく、「どうやって『猫の食べ物』を線引きしているんだろう?」と不思議に思うという話をしていました。

 

水野さん、堀元さんが旅館に行って、刺身の脇に添えられた花を実験的に堀元さんが食べてみて「苦っ!」ってなった話も出てきました。

 

そのあと、「猫に原価の高いものを覚えさせる」という話も出てきましたが、結局原価を教えるのは難しそうということで、水野さんが「そんなことも分かんねぇんだな。だから猫は猫なんだよな。どうせ猫も慶應を出てるんだろう」と慶應ディスしたら、ついに今井先生からど突かれてました。

 

  子どものことばの理解のしかた

 

ザーサイは一体何なのか?

たくわんが大根であると子どもの頃は受け入れられなかった話。

奈良漬けは何なのか?

 

という話を挟んで、正月にしか出番がない「もち菜」という不思議な愛知の野菜の話が出てきます。

もちろん、愛知出身の水野さんからです。

 

そのお正月つながりということで、今井先生から9歳の言い間違いが紹介されました。

 

その家では、お雑煮は焼き餅を各自好きな数入れるシステム。

9歳児「おれは『おぞいち~』」と。

お餅が2個なら「おぞうに」で、1個なら「おぞいち」と言うと勘違いした話です。

 

音を「おぞういち」の5音ではなく、「おぞいち」と4音にそろえているのもポイント、のようです。

 

○33:55~

水野さん:

 『きょう、ゴリラをうえたよ』っていう我々の本でも、喘息にかかった子が、僕は「小5喘息」だって言っていた例が出てきて…

堀元さん:

 [笑い] あぁ、小児喘息か。

水野さん:

 そういうことですね。 「しょうに喘息」だって言われていて、小5になったから「小5喘息」だっていう風にしたみたいに、やっぱ「に」って数詞以外でも色々な場面で出てくるけど、それが数詞だと勘違いしちゃうみたいなケースは……

今井先生:

 でもそれ、そこからやっぱ子供って、いつもただ受容してるだけじゃなくって、聞いた言葉を、必ず分節して分解して取り出そうとしているっていう、そういうのがありますよね。

堀元さん:

 うーん、「おぞうに」は強いて切るとしたら「お」+「ぞうに」だと思いますけど、でも子供は脳内で「おぞう」+「に」で分けたクリエイティブな分け方ですよね?
今井先生:
  すごいクリエイティブな。

この話を受けて、会社で出会った「変な言葉の分け方」について堀元さんから話題提供。

イベントの打ち合せをしているときに、「スタッフが、各テーブル回って…」と言ったら、なぜか「確定、ブルマ、割って」だと思った人が……勘違いしたのは、株式会社pedanticの越山さん(ゆる天文学ラジオ)だそうです。どういう勘違い??

 

最後は、今井先生に「アブダクション大賞」を発表してもらっていました。

 

受賞したのは、「(歯磨きを)パパが“パパッと”やる」という父親の言葉に、いっちゃんという女の子が「いっちゃんが“いちゃっと”やる」と返したという面白い投稿です。

 

これも面白い話なので、詳しくはぜひ動画をご覧になってほしいのですが……

 

その「いちゃっと」について、再び音律、音象徴的な話が出てきます。

リズミカルで素早い語感を残した表現だったからです。

 

水野さんによると、オノマトペの研究者が、「サク」を二つ重ねた「サクサク」の中に小さい「ッ」を入れるとしたらどこだろう?みたいな研究をしているものがあるそうですが、子どもはそうした研究者が出した整理の方法を知らなくても、自然に気持ちのいい「ッ」の入れどころが分かるのって不思議ですよねという話が出てきました。

 

○37:08~

水野さん:

 (あだ名の付け方について)そういう風に「このまとまりがいい」っていうなんか箱が、やっぱあるっぽくって、そこに、こー、うまく落とし込んでいる。

 で足りなければちっちゃい「っ」をつけたり、伸ばし棒を入れたりして、あだ名を、こー、うまくバランスを取ってるんだみたいな話とかもあるから、結構子供の韻律に対する制約の激しさとか、勘の鋭さってのは馬鹿になんないと思いますね。

 

○38:04~

水野さん:

 こういう、そのどこにちっちゃい「ッ」を入れたら気持ちいいか?みたいなのも、いろいろ研究者が考えてるけど、研究者の法則なんかを知らなくても……

今井先生:

 子供はうまくできちゃう!っていうね。

 

アブダクション大賞を受賞した子どもへの対応法はどんなふうにするのがいいかな?という話を確認したあと、今井先生の新刊で、AIを使った英語学習の本の紹介をして、動画は終わりました。

 

詳しくはぜひ動画をご覧ください。

 

今回もとても面白かったです!!

 

次回以降はどんなお話になるのでしょうか?

今後もとても楽しみですね♪

 

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では、今日はここまで。

読んでくださってありがとうございました。

またお会いしましょう♪

素敵な一日になりますように(*^^*)

 

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☆ヘッダー画像はChatGPTにより作成しました。

ごきげんよう、ざらめの雨です。

 

ずっとブラウザに開きっぱなしになっていた、

光村図書出版から発行されている『とことば』というフリーペーパー。

 

ゆる言語学ラジオで、光村図書出版からの広告案件として

「教科書を読みなおす回」で紹介されたものです。

 

記念すべき第1回に、水野さんの文章が載っています。

 

楽しいペーパーなので、ぜひ全体をご覧になってほしいのですが、

そこで出てきた話をちょっと考えてみたいと思います。

 

【PDF】教育情報誌『とことば』2025年1号

https://assets.mitsumura-tosho.co.jp/6317/5696/5487/johoshi-tokotoba-01.pdf

 

●教育情報誌『とことば』公式HP

 

・教育情報誌『とことば』2025年1号より一部抜粋

●関心の貯金

 ある経済学者がこんなことを言っていた。「関心とは、実は各人が持つ資産なのではないか」。

 この視点は、私たちにさまざまなことを教えてくれる。一つに、人それぞれ財布の中身が違うように、関心の総量は人によって異なるということ。続いて、お金をコツコツためて旅行に行く人もいれば、給料が入ったらすぐ飲みに出かける人がいるように、人は関心を自分が消費したいように消費すること。そして、お財布の中身がカツカツであれば食費や家賃、光熱費といった生活に直結するものに回すのと同じように、関心の余裕がなくなると、人は生活に直結するものや、すぐに役に立つものを追い求めること。

 大人になって仕事を始めると、とたんに忙しくなり、生活の余裕がなくなる。「余裕がなくなる」というと金銭や時間のことばかりフォーカスされるが、僕はそこにもう一つ加えたい。関心の余裕もなくなるのだ。

 『なぜ働いていると本が読めなくなるのか(三宅香帆 著/集英社)』という本がベストセラーになったが、僕なりの回答はこうだ。「忙しい日々で関心の貯金がなくなり、生活に直結するものにしか振り向けられなくなったから」。

 

●教科書での学びが花開くとき

<中略>

 ほとんどの人は、手話というと手を使った言語だと思っている。だからろう者がマスクを外したがる理由がわからない。「俺たちは我慢しているのに、どうして」と憤ってしまう。まさに知識不足に基づく誤解だ。

 この問題はどうやったら解決できるだろうか? 僕が大人になって思うのは、義務教育とは「関心のパターナリズムではないか」ということだ。本来自由であるはずの関心の消費先を、パターナリスティックに決めてしまう。「パターナリズム」というとネガティブな印象もあるかもしれないが、僕は決して悪いことばかりではないと思っている。

<後略>

中略部分は、コロナ禍でマスク着用が義務とされたときに、手話を使う人たちが「手話では表情も重要なので」マスクをすることができなかったにもかかわらず、人々の無理解によって責められてしまったという話が挟まります。

 

そして、後略部分には、学校で習ったときにはその意味や意義がよくわかっていなくても、大人になってから社会で教科書で扱われたトピックに触れたとき、あるいは再度教科書を開いたときに、学びが花開くよね。

 

というようなことが書かれています。

 

この話は「ゆる言語学ラジオ」の中でも、やはり手話に関しての回だったと思うけれども、「大人になると関心を自分の好きなことにしか使わないから、興味がないことについては本当に何もわからない」というようなことを言っていたように思う。

 

その前提を置いたうえで、学校教育を振り返ってみると、自分自身は関心がないことでも、非常に重要なトピックが多く取り扱われていることの大切さやありがたさみたいなものを感じるよね、という話を水野さんはしていました。

 

本当に、その通りだと思う。

 

私は、同和教育を土地柄受けてきた者だけど、そういう時代遅れのような話を聞かされることに懐疑的であったときもありました。

 

でも、「興味がなくても触れておく、知っておく」って、実は長い人生の中で「あれってそういう意味だったんだ!」って理解したり、引っかかってしまったときに答えを探す手掛かりになったりすると思うんだよね。

 

人間の興味関心は、幅がとても広くていろんなことを扱うことができるけど、一人の人に絞って考えれば、そんなに広範な興味関心を維持することはできないというのは実際にあると思うし。

 

経済学者の言ったという

「関心とは、実は各人が持つ資産なのではないか」

 

は金言至言に値することばだと思います。

 

時間は有限、お金も有限、

いやいや「関心」も有限。

 

私たちが「普段から気を付けて、注意深くなれるトピックや出来事」は、社会のほんの一部にすぎないこと。

それを自覚して、いろんなことに関心を持ち、いろんなことにできるだけ触れていくこと。

 

もちろん、余裕がなければ、

生活を支えるあれこれに「関心を使い切ってしまう」こともあります。

 

それはそれとして、別にかまわない。

だって、生活できなくなったら困るもん!

 

でも、少しでもゆとりがあるときには、

ぜひいろんな情報に触れて、いろんな関心を喚起できればいいな、と。

 

そんなふうに思いました。

 

趣味とかね、そういう大げさでお金がかかるようなことでなくてもいいと思う。

ニュースを見て、気になったことをちょっとメモしておくとか、

時間があるときに調べてみるとか、本を読んでみるとか、実際に見に行ってみるとか。

 

そういう感じのことだと思います。

 

  • 調べ物をする
  • 情報を整理する
  • 情報を管理する

 

って、わりと見えないけど時間をとられることだったりするよね。

 

だから、おすすめはやっぱり、

心に何かひっかかることがあればメモをとっておいて、

隙間時間にちょっと検索してみるって感じかな~。

 

メモは紙でもスマホでもいいけどね。

私はGoogle Keepが便利でよく使っています。

 

皆さんは、今回のお話どう思いますか?

大人になって、「関心」のリソースを生活に使い果たしてしまってはいませんか??

 

それでもいいけど、もし余裕があったら、一緒にいろんなことを学んでみましょうね!

読書もいいし、ネットで調べてみるのもいいし、どこかに出かけてみたり、誰かとお話しするのもいいですね。

世の中には、面白いことや、知っておいた方がいいこと、まだまだ知らないことがきっとたくさんあるはずです。

 

では、今日はここまで。

読んでくださってありがとうございます♪

今日一日皆様にいいことがありますように♪

 

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ところで、最近「ホカンス」というホテルでバカンスを楽しむという趣味が注目されていますね!

 

宿泊施設によっては、様々な体験型のイベントを開催しているものもあるようです。

こうした体験型の宿泊施設も、関心がないことへの気づきを与えてくれる面白いアクティビティだなと思います。

 

興味が全然ないことでも「実際にやってみる」と、嫌でも知識が身につき、意識を向けることができるからです。


ということで、2つほどピック。

 

 

 

「興味がないことについてあえてやってみる」

という趣旨でいかがでしょうか?

 

「魚釣り」は私も経験ありますが、手引きしてくれる人がいれば初心者でも十分楽しいアクティビティなのでおすすめです。

 

夏休みも終わってしまいましたが、読書の秋、芸術の秋、スポーツの秋と、過ごしやすいこの季節を「いろんな学びの機会」として活用するのは定番と言えば定番です。

 

私もどっか泊まりに行ってみたいな~☆

と思いつつ。

 

まぁ、夏の疲れをゆっくり癒やす温泉宿なんかも魅力的ですが。

9月はシルバーウィークと呼ばれる連休もあるので、お休みがとれる皆様の秋の行楽が有意義なものとなるようにお祈りします♪

 

では、また!

 

☆カバー画像はChatGPTにより作成しました。

ごきげんよう、ざらめの雨です。

 

毎週金曜日に、推し活の一環として

「ゆる言語学ラジオ」の最新回をまとめています。

 

今回は雑談回です。

お二人が外のメディアでコメンテーターとしてお呼ばれしたときに、

何を話すかが難しいよね、というテーマでした。

 

場に合わせていきたい水野さんと、自分を出すことが重要だと考える堀元さんの二人で、コメンテーターとしてのコメントの「正解」を探る約1時間の動画です。

 

小学生並みの感想かもしれないですが、

「人前でお話をする仕事の人って、すごいな」って思いました。

 

私はコメンテーターとやら、絶対なれそうにないです。

 

●コメンテーターの仕事、ムズすぎない???

2026/09/08配信

 

【目次】 

00:00 コメンテーターがムズい 

10:23 ディレクションしないおもしろさもある 

17:46 自分を貫くか場に合わせるか 

27:17 次回は自分を貫く

32:49 次回に向けてコメントの練習をしよう 

41:52 専門外でもうまくコメントしたい 

46:07 実はうんちくを言っただけ 

50:14 リアルタイムだと失敗しちゃう 

51:13 そもそもワイドショーが分からない 

55:38 言語学徒飲み会やります!

 

  コメンテーターは何を話す仕事か?

 

話は水野さんが『Session』というテレビの番組で、

「熊がたくさん出没しています」というニュースに対して、

「くま」の発音のズレについてコメントして、

Xで視聴者にガッカリされたことから始まります。

 

熊の発音は、①「く↑ま↓」か②「く↓ま↑」と2種類あって、

アナウンサーさんは発音辞典に従って②の発音をすることが多いです。

 

ところが、最近は一般の人たちに広まっている発音は①らしい。

 

というような発音うんちく、あるいは音声時事ネタを話したら、

番組終了後のエゴサで

 

「そういうのが聞きたいんじゃなかった」

「内容についての意見が聞きたかった」

「面白いと思ったけど、自分には合わなかったな」

 

みたいなコメントを見てしまって、数日凹んだらしいです。

 

私なんかは、普通に言語に興味があるので、

「くまのぬいぐるみ」「くまのぷーさん」「くまもん」

で発音変わるかな~?とか、話を聞いて考えちゃったけど、

ワイドショーでは確かにそういうのは求められてないのかも。

 

まぁ、ワイドショーとか、普段から見ないんですけどね。

Dr.くられという科学実験や解説をやっているおじさまがいるのですが、

昔、「見るとバカになるもの」としてワイドショーを挙げてました。

 

私はそこまで言い切らないですけど、

あんまり見る意味がないなぁとは思っています。

 

さて、本人的には自信満々で「求められた役割をやり遂げた」と、

そう思っていた水野さんですが、エゴサの結果にびっくりガッカリ。

 

堀元さんとしては、コメンテーターの難しさに同意しつつ、

番組の中で自分なりのよさを作って出そうとすることは、

基本的にはよいことなんじゃないかと主張します。

 

●1:03~

水野さん:

 この『Session』っていう番組、発信型ニュース・プロジェクトってうたっていて、ニュースを扱う番組でもある、と。

 で、実際僕が出演してる時にも、5本その日のニュースを読んでいって、それについてのコメントを求められるという場があったんですよ。

堀元さん:

 うん。

水野さん:

 でね。僕これ本当に苦手でして……

堀元さん:

 うん。

水野さん:

 以前にゆる言語学ラジオで、

 「個別の話」が好きか、「そこに見られる構造の話」が好きか?

 みたいな個人の傾向があるみたいな話しましたけど、

 僕は、個人の話よりも構造の話が興味があるんで、

 「俺のこのコメント専門性がなかったら何の意味もないんじゃないか」って。

堀元さん:

 全く同感です。完全に同感。

水野さん:

 ぶっちゃけ思うんですよね。 

堀元さん:

 意味ないじゃん?

 「いや、本当に怖い世の中ですよね~」とか言ってても、

 全員思ってることだから、俺たちが出る意味がないよな。

水野さん:

 うん。そう、と思って。当日そのニュース決まりました、ラインナップがって、言って渡された時に、どうにか気の利いたことが言えるニュースが1本あってほしいなと思ったんですけど、ま、なくてですね。

堀元さん:

 あれ、やばいじゃん?

水野さん:

 日経平均が今日下げたとか、ある地域で熊の被害があったとか、イラン攻撃に情勢が変わったとか、そういうニュースが読み上げられて、「水野さんこの中で気になったニュースはありますか?」って聞かれるっていうことになっていたんですよね。

 で、猛ダッシュで頭をわーっと回転させたんですけど「いや、30 代男性の偏った立場のコメントしか出せんわ」って、思ってスタジオに入った。 

堀元さん:

 うん。

水野さん:

 で、幸い、その前のパートで「アナウンスの保守的な言語の運用」みたいな話が出てきてたので、アナウンサーさんが読んだニュース原稿にあった「熊」が、アナウンサーさんの規範的なアクセントって「く↓ま↑」なんだけど日常的には「く↑ま↓」になってるから、もうこれズレてるよなっていう話を思い出したから、そのフィールドに持ち込んだんですね、僕。

堀元さん:

 はあ。あ、だからそのニュースの内容とは特に関係なく……?

水野さん:

 あ、 そう。だから熊の被害がありましたって話があって、「おっかないですね」じゃなくて、「ニュース聞いてて、気になったことがあったんですけど」って言って……。

堀元さん:

 あ、やばいな。

水野さん:

 その話に持ち込みました。

堀元さん:

 あれ?空気読めてないね、それね。

水野さん:

 はい。

堀元さん:

 それひどいね。 

水野さん:

 はい?

堀元さん:

 今その場じゃないよっていうことを、やってしまったわけですね。

水野さん:

 ただ「いやー、怖いですね」っていうよりはマシかと思ったんです、僕は。

堀元さん:

 マシ!そっちの方がいい!!

 仕事してる。仕事してる。

水野さん:

 おもろくはなるかもしれないなっていう。

堀元さん:

 うん。「おいおい、そういう話じゃねえよ」とかもね、可能性あるしね。

<略>

水野さん:

 「自分の専門性(自分しか言えないような内容)」と「ニュースの中の重なってる部分」ってもうこれぐらいかなっていうラインで言ったんですよね。

 ただ合わなかったっていう方は、「やっぱりニュースの感想については、一市民としての意見が聞きたかった」っていうことを言われていて。

 で、僕はその感想を見て、「え?俺の本当に一市民としての感想聞きたかったの?」ってのに驚いたんですよね。

 

この話を受けて、堀元さんが美容師さんを相手に会話を盛り上げようと実験的に頑張った話を披露。

6人くらいの美容師さんに面白がってもらえるように会話を頑張ったところ、1人は成功し、5人は失敗。

5人のうち1人は大失敗。その理由は……

 

――「あの、私面白い話する人苦手なんですよ。ごめんなさい」

 

という風に言われたそうです。

たまに、面白い話をする人が苦手だという人もいるみたい。

 

それを聞いた水野さん。

「合わない」と言ったリスナーさんの問題というよりも、

  • 自分が骨の髄まで、「面白い話をしなきゃいけない」って思い続けていること
  • 結果として、一市民としての実感を喋っちゃいけないと思っていること
  • 確度がないことだったら、「残念だ」とか「怖い」とか「悲しい」みたいなことだったら、それ俺が言う必要ないなと思っていること

から、Sessionのリスナーさんとすれ違ってしまったことに気がついたのだと話します。

また、Sessionという番組の中で、演者が感想をコメントする時間は「ちょっと落ち着く」みたいなチルな時間だったらしいことも後から気がついたのだそうです。

 

コメンテーターがニュースに情報を足していったら、普段から「落ち着きタイム」のつもりで聞いている人にはちょっと違和感があるかもしれませんね。

水野さん的には、Sessionについて予習すべきだったとしつつ、ディレクターさんに事前に教えてもらいたかったと。

 

堀元さんはテレビの慣習を引きつつ、ディレクションせずに演者に裁量を大きく与えることで、より面白くするという方法をとっている可能性を指摘します。

動画をご確認ください。(10:00くらい~)

 

でも、実際のところ、場の空気を読んでほかの演者さんにも気を遣いながら適切に面白い話をするって、かなり難易度が高いと思うんですよね。

コメンテーターってすごい難しい仕事だなぁと思いました。

 

  ビタビタにはまりたい水野さんと「自分が面白いこと」を貫きたい堀元さん

 

二人の意見が分かれる部分が面白いです。

 

●17:53~

堀元さん:

 だからそれ、結局自分を貫くのか、場に合わせるのかっていう2択だと思うんですよ。

水野さん:

 だからさ、セッションってさ、人気ではっきり座組みも決まってて、その、ま、パーソナリティさんにもファンがついて固定のリスナーがいるわけじゃん?

 そういうブランド力のある場所って、そのブランドと違うことやったら、既存のリスナーは嫌がるわけじゃない?

堀元さん:

 そうですね。

水野さん:

 だったら合わせにいって…で、自分が喋っていいってされてる、「その自分に近いニュースの解説」みたいなとこだけ暴れればいいのかな、っていうのが、僕の この1回の出演を経てした反省。

堀元さん:

 はい。はい。はい。

水野さん:

 コメントの部分はきっちり、「既存のリスナーさんに向けてベタな、穏当なコメントをするのが、正しいのかな?」って今、僕の中ではなってる。 

堀元さん:

 水野さんの言ってることってさ、こう好きな人とかと一緒にいる時に、なんとかこの人に好かれようと思って、好かれる形のコミュニケーションを取りに行く、みたいなと一緒だよね?

水野さん:

 そうするよ。

堀元さん:

 でもそれってさ、お互いのために得じゃないじゃん?

水野さん:

 え?

堀元さん:

 だって向こうを騙してるってことでしょ?

 本当の水野はこっちなんだけど、でも向こうに好かれようと思ったら、このコミュニケーションした方がいいなってことでしょ?

水野さん:

 「本当の水野」って何?

堀元さん:

 [笑い] あ、そうだった。ごめん、ごめん。

 そうだ。お前ってコアがないんだったな。

 ごめん、ごめん。その大事な前提忘れてた。

 ……「本当の水野」ってないんだった。

 すまん、すまん。

水野さん:

  様々な形の水野の、今日はこの右下の形の水野を使ってるだけで、「本当じゃない」とかないよ。

堀元さん:

 あ、そうか。そうか。「本当じゃない」とかないんだね。

 色々な水野が自分の中にいるだけなんだね。 

水野さん:

 ない。そう。目の前に人が来ると初めて水野が立ち現れるだけだから。

堀元さん:

 [笑い]え、じゃ、1人の時どうなってんの?

水野さん:

 え、はい?

堀元さん:

 「はい?」じゃなくて、え、1人の時、何?

 モヤみたいな感じなの?水野さんって。

水野さん:

 ないよ、その個性とかは。

堀元さん:

 あ、そうなんだ。

 じゃ、その部屋にモヤみたいな感じで溶け込んでて、薄く。

 その部屋に誰か入った瞬間に初めて確定する。

水野さん:

 あ、でも比喩としては近い。

堀元さん:

 シュレディンガーの水野みたいな感じなの?

水野さん:

 そう、そう、そう、そう。

堀元さん:

  観測された瞬間に初めて定まる……

水野さん:

 人が目の前に立ち現れた時に、初めて最適解を出すマシンとしての俺が立ち現れるかな。

堀元さん:

 [笑い]そんなヤツ、いちゃまずいんだよ。 

 実存があってくれよ、頼むから。

 実存が本質に先立ってて欲しいですけど。ちゃんとあってほしい。

水野さん:

 いやいやいやいやいや。僕だからね村田さんの「孵化」っていう短編がめっちゃ好きで。

<略>

堀元さん:

 怖~い。あと、あの、全部YouTube で喋っちゃってるからダメですよ。

 そう、コアがないってバレてるから……

水野さん:

 はにゃ?

堀元さん:

 そうやって統合したストーリー喋っても無理よ。もう。

水野さん: 

 あたす?

堀元さん:

 うん。お前もう無理。

水野さん:

 あたす?

堀元さん:

  うん。本当の自分ないんだなっていう思われてるからもう。 

水野さん:

 あ、そっか。 全しゃべりしちゃったもんね。 

堀元さん:

 安心できますね。ある意味ね。

 「こいつって本当の自分ないんだな」って分かってる状態の人と結婚することになるから。

水野さん:

 そうですね。

堀元さん:

 気楽ですね。 

水野さん:

 そうですね。はい。とりあえず僕は「置かれた場所で咲きなさい」を地でやってきちゃってたので、行った場所でこれが最適ですよっていうものがあれば、ビタビタにそれにハマりたいんですよ。

堀元さん:

 なるほどね。

水野さん:

 だからセッションも、僕なりの「こういう感じが正しいのかな」と思って言ったら、ズレてたから結構ショックで。

堀元さん:

 なるほど。

水野さん:

 きっちり合わせ切ってみたいって思っている。

堀元さんは水野さんとは反対の考え方をしているということを、『Abema Prime』でコメンテーターをしたときの話を引き合いに出して話しました。

こちらはこちらで、大スベりした話があるそうで……。

 

割愛しますので、22:46~あたりから動画をご覧ください。

 

ざっくりいうと、部活動バスが事故に遭った話について、周りが良識的な感情論みたいなことを言っていたので、極論を言うところから入ったんだけど、そのまま「それはよくないと思います」と流されてしまって、「極端なことを言う変な奴」みたいな空気になって終わったのだとか。

 

理想としては「いや、それは極論すぎでしょ」というツッコミがあって、「わかりました、もうちょっと穏当な話に寄せて話すと~」と、そこで自分の考えを言いたかったようです。

 

たぶんこの辺が、呼吸というか、「共演者とのノリが合わないと難しい」と堀元さんが言っていたところでしょうかね。

 

●24:00~

水野さん:

 なんか、だからスタジオ内で堀元さんだけ、異様な思想を持ってる人間みたいになってました。

堀元さん:

 [笑い]そうそう。危険思想を持ってる人間みたいな。

水野さん:

 「嘘だろこいつ」みたいな。

堀元さん:

 でも一応、じゃあの時、俺がどう言ったらベストシナリオだったと思ってたか、言っていい?

 答え合わせ。そうならなかった未来。

 「いや、それは極論ですよ」ってなって、誰かとがめてくれたら、

「あ、ごめんなさい。それは確かに極論ではある。あるんですけど、

 とはいえこれに近い現象ってよくあるじゃないですか?

 『お金がないからこれを諦めよう』っていうことは、

 一般に、資本主義社会ではよく行われていることで……

 確かに、高校生に最低限保証される権利っていうのはあるべきで、

 例えばインターハイに行くと いう権利は、行政からの補助金で必ず出します。

 で、それを超える遠征については、その学校側の事情努力に完全に任せて、

 究極お金がなかったら諦めます、みたいなことも、

 経済の論理ではあり得ることだとは思うので、

 それも視野に入れていいと思うんですよ。」

 みたいなことを言いたかったの。

水野さん:

 あ、だからあくまでその「呼び水」としてそれを言って、軽くさばいてもらった後に、本当の意見を言いたかったと。

堀元さん:

 そう。で、僕はだから新自由主義者なんで、そっちの良さってありますよっていう、その感情論で言ったら、みんななんか最大の補助で最大の福祉みたいになっちゃうけど、いやある程度はその経済理念と統合することが必要じゃないですか?と。

 その中間ぐらいに落ち着かないかなと思って…1番端っこ言ったら、「ただのやべえやつ」として処理されてしまった。

水野さん:

 [笑い]あ、そういうことだったんだ。

堀元さん:

 そう。ていうのが、俺の意見。

水野さん:

 あ、この人に意見ないんだと思って。

堀元さん:

 僕だから、経済思想っぽいこと言う人がその中にいなくて、「高校生かわいそうだから、何とかしてあげた方がいいよ」みたいな感じだったから、「いや、とはいえある程度、現実路線を行った方がいいけどな」って思ったからそれ言ったんだけど……

 全然その意図を喋る間はなく、「危ない人」として処理されてしまった。

水野さん:

 えー、でもさ。本当にその意見があったんだったら、やり方いくらでもあったけどな…?

 みんなが感情ベースの話をしてる時に割って入って、いやいやいやって言って。

 「その感情ベースだとどうしてもラディカルな結論に落ち着くんだから、

 経済合理性みたいなものも間に入れて議論すべきじゃないですか?

 私は新自由主義に親和的な思想を持っているので、

 こうこうこうあるべきだと思うんですけど、

 経済的な観点については皆さんどう思いますか?」

 みたいに問題にしてくれたらよかったんじゃない?

堀元さん:

 あのね、そうなのよ。

 俺、本当に、それがすごく言いたかったらそうやって言うの。

 でも俺別に言いたくないの。

水野さん:

 ああ、盛り上がる論点として出したいぐらいの程度だったのか。

堀元さん:

 そう。あのね、強い意見があるテーマだったら俺それできるんだけど、

 あんま話したいことねえなって思ってる中で「強いてって言うとこれぐらい」の意見なのよ。

水野さん:

 ま、そうなー。分かるよ。

堀元さん:

 強いてっていうと、言う気にならないから、ちょっとチョケて言っちゃったのよ。

 

うーん、改めて『Abema Prime』のくだりを確認すると、

ワイドショーもコメンテーターも必要ないんじゃないかな?っていう気がしてきますね。

堀元さんの面白い話術が魅力的という話ではなくて、スタジオの「高校生がかわいそう~」みたいなノリや空気が無意味って感じがします。

まぁ、だから私はワイドショーとか見ないんですけどね。

 

それはさておき、帰宅部だった堀元にとっては、部活動のことはマジで興味のない話だったらしく、サポーターコミュニティでも「堀元さん興味なさそう」とのサポーターからの指摘もあったそうです。水野さんからはちょっとあくびしてたのでは、という指摘も。

ということを踏まえると、まぁ、大きくスベったのは仕方がないのかな?

 

ところが、そんな堀元さんには次の『Abema Prime』にも出てほしいという依頼があったそうです。

 

●27:46~

堀元さん:

 で、僕、だからその次回に向けて、今回の反省を活かそうと思ってね。

  1発目外して、やめちゃったのを反省してます。

水野さん:

 どういうことですか?

堀元さん:

 つまり「あ、こういうの求められてないんだ」と思って(そのあと)極論言うのやめたんすよ。場に応じた当たり障りないことみたいな、ちょっと言い始めちゃったんですよ。

水野さん:

 うん。

堀元さん:

 俺そのことを後悔してて。

 俺が「面白いと思うぞ」っていうことをやり続けなかったのを、ダセえなと思って。

 これ僕の好きな『ブルージャイアント』っていうジャズの漫画でね、初めて演奏してた主人公が「おい音でけえよ」と、「うるせえよ」って言われて、怒られてやめちゃったのを反省していると。

 あいつが呆れて笑うまで、吹き続けるべきだったって言ってて、全く同じ気持ちです。

 俺は「これが面白い」って思うことをやって。

 リスナーからボロクソ言われたりとか、ディレクターさんから2度と呼ばれなくなった方が良かったなって思ってます。

水野さん:

 ま、確かにそれでABEMA側が「合わないな」ってなったら呼ばない。 

堀元さん:

 そう、あと呼ばれないだけだから……

 俺は俺が「面白い」と思うことをやるが、結局お互いにとってWin-Winなんじゃないの。

水野さん:

 だし、その理屈で言うとSessionで僕が、「日経平均下がってイヤです~」って言って、「つまんなかった」って書かれたりディレクターさんから2度と呼ばれないのって、僕からしても悔い残るもんね。

堀元さん:

 うん。そうそうそうそう。

水野さん:

 「この時間もうちょっとなんとかやってたら、次呼ばれたんじゃないか」って思うぐらいなら、アクセル踏み切って滑り上げて…で2度と呼ばれなくなって、「あ、俺はSessionに向いてる人間じゃなかったんだ」ってなればいいのか。

堀元さん:

 そう、その方がいいじゃん?

水野さん:

 あ、 そう。

堀元さん:

 当たり障りない自分を演じて、結局呼ばれなかったよりは、思いきり自分をやってダメだった方が良くない?

水野さん:

 ああ、視点かも。それ。

堀元さん:

 じゃ、デートとかでも多分一緒でさ。

  こうやった方がハマりそうだぞと思って、全然自分じゃないことやって振られました、みたいなのって後悔残るじゃない?

水野さん:

 うん。 

堀元さん:

 で、仮にそれでうまくいったとしても、自分じゃないもんでやり続けなきゃいけないから、苦しくなるだけじゃん。

水野さん:

 うん。

堀元さん:

 だから俺は「これが面白い」と思うことをやって、お互い一緒に楽しくいられる人と、一緒にいたらいいんちゃうんか。

水野さん:

 なるほどね。

堀元さん:

 コメンテーターもそれと一緒なんちゃうんか。僕はそう思いますね。

 

とにかくきっちり合わせていきたい水野さんと、自分をやりきってもしハマらなくても後悔がないようにふるまいたいという堀元さんの二人の考えの違いが、とても興味深く思えました。

 

特に相変わらず水野さんが「本当の自分」がないという話が面白い爆  笑

どんな人なのか、お会いできたら握手して実存を確認したい。

 

  結局コメンテーターの仕事は難しい。

 

お二人はこのあと、実際のニュースを使ってコメンテーターの練習をしました。

練習では6月3日や6日のニュースが使われたので、収録日が6月上旬であることがわかりますね。

 

どんな様子だったかは、動画を見てほしいですが、やっていくうちに、「みんなの感想+自分のバリューが出せる意見」を組み合わせることで、「ちょうどよいコメント」が出せるのではないかということになります。

 

とはいえ、考える時間がそれなりに短い中で最適なコメントを出すことって、かなり難しい作業になっていると思います。

 

動画の中で、特に着目すべきこととして言及されたのは、「国旗損壊罪の制定に際して適用される事例、されない事例が示された」というニュースに対して、水野さんがした「お子様ランチの国旗は適用外です」という話が、クスリと笑えて、長さもちょうどいいということになりましたが……

 

――よく見たら、ニュースにうんちく足しただけ。

 

ということが確認されました。

動画の目次にも小タイトルとして付けられています。

 

果たしてそれを「よいコメント・意見」と呼んでいいのか、難しいところです。

 

これから先も水野さん・堀元さんの両氏がコメンテーターとして何かの番組に出演することを見かけるかもしれませんが、今回の反省会や練習が生きることを祈ります。

 

動画の最後は、言語学者・学徒限定の飲み会の告知でした。

共同研究やカップルが生まれる楽しい会のようです。

 

私は言語に興味アリですが、言語学徒ではないので対象外ですね。

興味がある人には素敵なお誘いです。場所は東京だそうです。

 

さて、そんな感じで今回は、ニュースに何か一言コメントするコメンテーターのお仕事を水野さんの体験から考えてきました。

 

個人的な意見としては、そもそもワイドショーもコメンテーターも要らないな~と思いますが、日々それを見るのを楽しみにしているという人もいるのでしょうね。

 

今回は、特に水野さんの「コアがない」話が出てきた部分が、いつものことながらとても面白かったです。

 

次回以降はどんなお話になるのでしょうか?

今後もとても楽しみですね♪

 

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では、今日はここまで。

読んでくださってありがとうございました。

またお会いしましょう♪

素敵な一日になりますように(*^^*)

 

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●水野さん・堀元さんのご本

 

 

 

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