2024年4月3日、台湾東部沖地震が起きました。
台北よりも電車で3時間弱の「花漣市」の被害が相当ひどい状態です。
加えて景勝地で有名な太魯閣渓谷では、最大700名余が取り残されましたが無事救出されたようです。
台湾の1日も早い復興をお祈りしております。
さて地震の際の台湾政府の素早い対応に感心しました。
・その夜すぐに小学校(?)の体育館に個人別のテント村が出現!!
・避難場所になった場所にボランテイアはじめ緊急物資(水、缶詰め各種、衛生用品等)が運び込まれました。
・緊急連絡用電話(勿論無料)が多数設置されました。
・温かい食事や簡易なお風呂、マッサージ、指圧等日本では考えられないスピードで避難所に準備完了。
テレビによると普段からの訓練の成果とお話されておりましたが、日本も見習う必要があると感じました。
亡くなった人も少なく政府の本気度が感じられました、一方日本はどうかと言うと・・・・・・
さて昨年11月、長男が住んでいる台北に、初めて行きました。
以下台湾レポートですが、生来のズボラさと1月の脳内出血等の為報告が遅れました。
台北独特の街の匂いが、今でも懐かしく思いだされます。
下記台北市内で気が付いた点を報告します。
①エレベーターは右側通行で左側は空けておき、急ぐ人は左を走ります。
札幌とは逆ですが、台北市民は皆さん慣れており非常にスムースです。
②台北市内の信号すべてに残り時間の表示があり、札幌のように信号が変わる直前のような点滅はありません。
残り時間が、秒で分かりますので札幌よりはるかに便利、無理な横断はほとんどありませんでした。
③若い世代はとにかく親切、公共交通機関でもお年寄りに席を譲る態度など札幌より反応早かった。
④噂のオートバイの多さ! は見ものでした。台湾に12年暮らしている長男から「信号渡るとき信号無視してくるバイクに
注意」と事前にアドバイスありましたが、信号無視のバイクは殆どなく整然としていました。
信号待ちの時もバイクと車のすみ分けが見事、大きな信号のあるところで見とれてました。
⑤朝ごはんを家庭で作る習慣がほとんどなく、早朝からお店の前のテーブルとイスはほぼ満員、ほとんど2~3百円で済みます。
ボリュームもあり一日屋台で食事を賄えば、一日3食1000円程度でOKです。
ただ日本食の味に慣れた人には少々濃く、日本人は納豆が懐かしくなります。
長男もたまの帰国時では、納豆、豆腐が三度三度の食事には欠かせません。
⑥気候は亜熱帯で過ごしやすく私の体質にはピッタリ!
長男が住んでいることもあり、台湾から日本に帰るのが残念でした。
ズーッと台湾に住んでいたいと思ったが長男に迷惑・・・・・
⑦街の景観は新旧の建物が微妙に調和しているように思え、台北のどこを散歩してもそれなりに雰囲気があり
同じような商業ビルばかりの札幌とはちがいます。
あちこちに日本が統治していたころの建物を博物館などに利用しており、散歩していても飽きません。
特に台北動物園に行くときに感じた自然の地形を生かした線路の設置など快適でした。
多分戦争で街を爆撃されなかったのが幸いしたのかも。
それと無理に既存の建物を壊したり、道路を作ったりしなかったのも良かったのかしら。
⑧長男の経験からですが、医療費が日本に比べて安くしかも医者のレベルも高く安心していられるとの事。
長男は歯医者と親譲りのギックリ腰等で救急車で搬送されたり時々台湾の医療機関にお世話になってます。
言葉が全く分からなかった長男も今では殆ど不自由なく、北京語(?)を自由に操り仕事を楽しんでおります。
新規オープンしてから4年前後、今では予約が取りにくい店(日本式焼き肉店)として台北で認知されています。
平均客単価は8000~9000円前後、日本でいえば高級焼肉店になります。
今年中に支店を出す計画らしいけど、上手くいってほしいなあ。
あとは習近平が攻めてこないことを祈るばかり。
台北は居心地がいい街で、大阪あたりから週末の度に、台北のセカンドハウスにくる方も多い由。
札幌から直行便で約5時間、これから小金(?)が出来たら台湾に行こうと決めました。
ただ小金が何時できるのやら・・・・・・
今日はこれでお終い、又ね。
(台湾、本当に私にとって居心地よかったですよ。いい街でした。)