「自己責任」という言葉がしばしば飛び交います。
今ですと「イスラム国」のテロで犠牲となったお二人に自己責任を問う声が結構あるようです。
私は責任は個人のものと組織のものとの二つがあると思います。
営業を行っていてある案件が上手くいかなった際には、当然担当営業に責任があります。
しかし、一営業の責任だけで終わらせてしまうと組織としてまた同じことが起きる可能性があります。
これまでにも何度か書きましたが、営業で言い訳で最も多いのが「価格が高かった」というものです。この言い訳を営業が言っているあいだはこの営業が成長することはないでしょう。したがってこの営業には価格が高くても売ることが出来るように指導するのが重要です。
しかし価格が高いかどうか、またそれがどれほど商談に影響があるのかということは組織として分析し対応を検討しなくてはいけません。
その対策を怠っていれば、今後も同様のケースで高価格を理由とする失注が起きるかもしれません。
一つの事象の責任は個人に押し付けることが出来るかもしれませんが、同様の問題が起きる可能性があるのであればそれは組織の責任であると言えます。
よく見かけるのは問題が生じた時に、誰か一個人の責任を追及し、その他の責任をうやむやにしてしまうことです。こういうことを行っていると、組織としての成長はありません。管理職が肝に銘じておくべきことです。
責任をひとつと思ってはいけません。
営業力の弱い会社の社長さんが「なかなか優秀な営業が採用できない。」と嘆いているのを耳にすることがありますが、営業個人に責任を押し付けて組織の責任を省みなければいつまだ経っても影響力は上がらないでしょう。
さて、最初に書いた「イスラム国」のテロの犠牲者の自己責任についても考えてみます。
個人としてテロの犠牲となったことについては、危険地域に行ったということではやはり本人に責任があったと言えるでしょう。
ただ「日本がテロのターゲットになった」という点については日本国に責任があると考えるべきでしょう。
そう考えるのは「イスラム国」の思うつぼだという意見もよく目にしますが、少なくとも相手方に口実を与えてしまったということは責任があるはずです。
また、政府に責任があるという意見に対して、「イスラム国」の擁護だとの意見も耳にしますが、全く責任論と次元を異にする話です。
あまり品のよくない譬えになってしまいますが、町のチンピラの目前で挑発的な行為を行って殴られたとしたらどうでしょう。
悪いのは当然チンピラですが、殴られた本人にも責任があると思いませんか。
傍で見て入れば「あんなことをするから殴られるんだ。バカだねぇ。」と思うでしょう。
何をしでかすか分からない人を挑発し、あるいは攻撃をする口実を与えた。これは自己責任です。
余計な挑発をし、日本をテロのターゲットする口実を与えた、これは日本国(=首相)の自己責任です。
数ある人の中で自分が犠牲にされてしまうリスクを犯した、これは残念ながらお二人の自己責任と言えるのではないでしょうか。
個人に責任を押し付けて組織の責任をうやむやにするようでは同じことが再び起きる心配があります。