コンビニで見かけたプレジデントが、健康診断不要論の特集だったので少し驚いた。

 

整体を学んでいる身としては至極当然というか、常識的な認識ではあるけれど、こうして一般的な雑誌においても、浸透しはじめたことは素直に良い傾向だと思う。コロナ禍の喧騒が一段落して(一段落などしていないという意見もあるだろうけれど)、風向きが少し変わってきたのかもしれない。

 

 

最近古書で手にした本。

 

ルネ・デュボス「健康という幻想」(紀伊國屋書店)

 

著者はアメリカの細菌学者で、この本も60年近く前に出版されたものだ。

けれど、今まさに、読まれるべきアクチュアルな内容だと思った。

 

 

「人間は幸いなことに、生物的・社会的将来のために、体内に大量の未分化の組織細胞のたくわえをもっており、脳の中にも、まだまだ適応して進化し、予期できない多くの情況に適合できる未開発の潜在力をたくさん備えている。

だが、適合とは、満足をあたえる静的状態では、決してないのだ。」

 

 

「あらゆる生産とその環境は、かぎりなく変化しており、その間に不動の平衡が達成することは、絶対にないのだ。

人間は相も変わらず、人間の生存にはなんの役にも立たない欲求や苦闘によって、生物学的状態をいっそう複雑にしている。人間がたえず未知へ前進しつづけるかぎり、そして反生物学的な価値に支配された状態を自らつくりだすかぎり、適応の問題は無限に生じてくる。」

 

 

「心配のない世界でストレスもひずみもない生活を想像するのは心楽しいことかもしれないが、これは怠けものの夢にすぎない。

人間生活は動的プロセスなのに、楽園は静的概念だから、地球上に別の楽園を見いだそうとしても、むだである。他の生物の間にはさまって、人間の状態に独特の性質と才能をあたえるものを放棄し、冒険を退けることによってのみ、人間は危険からのがれることができる。遠く穴居生活の時代から、地球はエデンの園ではなく、生存するためには反発力が必要な決定の谷間だった。地球は憩いの場所ではない。人間は、必ずしも自分のためではなく、永遠に進んでいく情緒的、知能的、倫理的発展のために、戦うように選ばれているのだ。危険のまっただなかで伸びていくことこそ、魂の法則であるから、それが人類の宿命なのである。」

 

人類にリスクのあるウィルスのない世界などユートピアであり(つまり存在しない)、怠け者の夢であると。

 

生きるということは動的なプロセスであるのに、楽園は静的であるからというのも完全に同意だ。

全てを封じ込め、撲滅しようと躍起になっている人に是非聞かせたい。

 

いまほど、僕たちの生命観が問われる時代もないだろう。