仕事中に安倍総理辞任のニュース。

隣のデスクにいる先輩は、ノンポリのオタク中年で、政治的な偏重には敏感で、右にもに左も慎重なスタンスの人ではあるが、

最近のcovidの何やかやもあり、気になるらしい。次の候補の話や現政権の状況など、冗談をまじえながら盛んに話題にしていた。

(冗談をまじえるところにその先輩のスタンスが表れている)

私もゆるく返事をする。

 

しかし、この世界、真面目な方は大勢いるわけで、そういう人にとっては今回の事態も大きな転換となるに違いない。

今の日本の状況を嘆き、「安倍ヤメロ」と、首相の退任を主張していた方は今どんな気持ちだろう。

 

考えている人はもちろんいるだろうけれど、そうした行動に少し疑問もあり。

大事なのは、辞めることよりも、辞めた後も続く世界なのだから、ただ目障りで害のある人を排除するだけでは根本的に変わらないように思う。問題は複雑に絡み合っている。

 

そうした複雑さが我々の周囲を包んでいるわけだけど、それはとても語りにくい。

結果、人はシンプルで、わかりやすい言説を求めていくようになる。

 

このシンプルさはに少し罠がある、と思う。

陰謀論のような大きな物語を自分で作ってしまうことがあるからだ。

 

それは大体が魅力的で、腑に落ちるようなロジックだったりする。

 

そうした時に頭から信じて、思考を停止してしまう光景はよく見る気がする。

それは一つの信仰だから、否定するのが難しく、話が合わない場合に歩み寄るのが難しい。

 

未知のウイルスにしても、悟りの話にしても、

直感やヴィジョンは大事にしながら、それに溺れないようにしなければならない。

それが知性なのではないか、と最近は思う。

知性とは、真理を知っていることではなく、それが真理なのかどうかを常に保留して考え続ける力だ。

 

複雑さをできるだけ複雑なまま受け取る。

複雑にしてるのは自分かもしれないけれど、それも含めて受け取る。

 

整体におけるクライアントの見立てでも、自分の物語を先行させないで、まず無心に見ることが重要だけど、関係しているかもしれない。

 

はっきりしないと言われても、それでも急がず、考えることをしたい。