むっちゃ長いです笑
中学2年生の時に特発性側弯症だとわかりました。
それからすぐに強制コルセットをつくりました。
強制なので出ているところは無理やりパットが付いてて抑えられ、左の肩が下がっていたので左脇を支えるように機具がついたコルセットでした。
ちょうど胃の後ろ辺りにパットがあり後ろから押されるので、ご飯を食べたら吐いてしまう…
2ヶ月くらいですぐにコルセットしなくなりました
その後は、半年に1度レントゲンを撮る定期検診、経過観察をしてました。
高校1年生まではちゃんと病院に行ってましたが…
そこからは行っても無駄な気がして…
その頃10代の私は
病院行っても痛いのは変わらんし。
治療方法ないし。
お金かかるだけやし。
と、側弯症と向き合うどころかどんどん無視する生活をしていました。
仕事も自分がやりたい事をして、車屋さんで洗車や車を磨いたり、介護の仕事をしたり、身体は痛かったけど、やりたい事をやりました。
身体に無理をさせやりたい事をしていたのには理由がありました。
私の側弯症は進行性。
どうせいつか手術しないとあかんねや。
ならしたい事をしないと絶対後悔する。
手術は簡単なものじゃない。
死ぬかもしれない。
その思いしか無かったです。
側弯症と向き合わない間に色々ありました。
その色々は次にまとめます
そんなこんなで27歳の頃…
車屋さんで重い物を持ち、車を磨き、無理な体勢ばかりしていたら…
なんか背中の真ん中の骨が痛い…
肩甲骨の中らへんや腰は常にある痛みだったので、気合いや!我慢や!
と思って我慢しながら仕事をしていたのですが…
この背中の真ん中の骨の痛みは我慢出来ないくらい、擦れるだけでも痛くなっていました。
これはあかん…なんかちゃう…
と思って、高校生以来の病院へ行きました。
そしたらびっくり。
最初に比べるとむちゃくちゃ曲がってました
その時先生は
やりたい事していいよ
好きな事していいよ
手術しないといけなくなったらチーンって
合図出してあげるから
それまでは手術の事も考えず好きに生きて楽しんで何でもやり
また半年後おいで
と言われ、その半年間は、痛みはいつも通り我慢しながら大好きな仕事にサーフィン…好きな事をして半年を過ごしました
そして半年後おいでと言われた病院へ行きました。
そしたら先生はいきなりチーンと言い…
手術考えよか
と明るく言われました。
頭が真っ白になり必死に泣くのをこらえました。
半年前は、好きな事して手術の事も考えないでいいって言ったのに…なんでなんで…
その日はお家に帰って良く考えてみて
次来る時に手術をするかしないか決めてきて
と言われ、泣きながら帰りました。
今思うと先生は
いつか手術をしないといけないとあかんねや。と、ずっと恐怖を持って生きている私に、何も考えないただ楽しいだけの半年をくれたんや。と思います。
そんな先生に感謝です。
それから考えました。
もぉすぐ30歳やしな…
しかも病気や手術して側弯症だけの身体ちゃうしな…
体力がまだあるうちにしないと、手術を今延ばしてしまったらもっと後でしんどいな…
現実的に考え、ギリギリでも20代の間にしよう
と思いそこからは早いです。
すぐに側弯症手術の件数が多い病院を探しました。
そして先生に、この病院で手術を受けたい。
と伝えると、すぐ紹介状を書いてくれて
そこなら間違いない。いいよ。頑張っておいで。行っておいで。
と言ってくれました。
そして紹介状を持って自分で決めた病院へ行きました。
ここまでが私が側弯症になり手術をするまでの流れです。
次は側弯症以外の病気、手術の事をまとめて書きます
それ以降は全て側弯症手術の事を書きます
長くなってしまった…
これでも短くして書いたのに
語彙力がなさすぎる