「線」の向こう側 | トリトメナイ(仮)

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さくとたるによるとりとめのないオボエガキ

早速さくがおもしろそうな話を投下してくれましたな、ありがとう。

 

回収の自信はまったくないし、本来もっと練ってから出すべきなんだろうけど、このブログの趣旨を考えてまるでまとまらないままGO!

 

 

そもそも人は「ここから先は行っちゃだめ」って言われた場所には行かないようになっている。

それは誰かから叱られるから、だったり、実際に行ったことで危険な目にあったことがあるから、だったりするわけで。

「経験」によって「行ってはいけない」ところへは行かないようになる、んじゃなかろうか。

 

たとえば他人の家の庭に見たことのない興味深い動物がいたとしよう。

「なんだあれは?」って好奇心、が優先するから子供なら迷わず踏み込むだろうけど、大人は「見たいけど人んちだしな…」という思考が働いて行けない。

 

その「人の家に無断で入り込む」ことに関しては、一般常識として「やってはいけない」と生きていくうちに学ぶわけだが。

実際「不法侵入」って罪名もつくし罰則も(たぶん?)ある。

でも大人になる過程で具体的に「人の家に勝手に入るのは法律上不法侵入に当たるから」って教わることってたぶんあんまない。

 

だからつまり「実際に他人の家に勝手に入って怒られた」体験や、怒られている誰かを見て誰かの話を聞いて「そうか、そういうことをすると怒られるんだ」=「やっちゃいけないことなんだ」と学ぶ。

それが道徳、なの、かなあ。

 

 

とはいえ「行ってはいけない線の向こう側」は常に魅力に満ちている。

大人になった今でさえ、実にしょっちゅうそう思う。

 

たとえばそれが他人の家の庭だったら、誰も見てなきゃ危険はない。

でもそこがあきらかに今にも崩れそうな崖の先っぽだったり、海水浴場の遊泳禁止区域だったり、リアルに命の危険がありそうな場所だったら、好奇心より自己防衛本能が優先して行かないかもな。

たとえ向こう側で楽しそうにしている人がいたとしても。

 

 

道徳、常識、自己防衛。

似て異なるそれらをぶち破って奇行に走らせる原動力の多くはたぶん好奇心で。

大人になるってことは、好奇心を抑制制御できるようになる、ってことで。

 

 

だからこそ、道徳心を学びすぎると人生はつまらないものになる、とも思える。

 

 

だいぶ脱線した気もするしなんだかいまいちまとまらんがとりあえず今回はこのへんで。

 

 

たる