沖縄では、台湾有事に備えて、着々と軍事体制の強化がなされている。
主な問題点として、以下の2点が上げられている。
①島々の要塞化
②米軍による沖縄の性暴力
今年、うるま市に地対艦誘導弾が配備された。
沖縄が本土決戦の捨て石にされるのでは、という懸念がある。
戦後、日米安全保障体制のためにさんざん利用されてきた
沖縄だが、今回も戦前と同じように、
有事の際には、沖縄が前線基地化される恐れが大きい。
少女暴行事件が半年間も、沖縄県に伝えられていなかったという。
国側はプライバシーの配慮から伝えなかったという。
この事件には、以前からも何度が起きており、米軍側は
兵士の夜間外出制限など、一向に改善策が練られていない。
さらに今回の事件に対しても、
日本政府からアメリカ側に対して厳しい抗議をしていない。
これは政府が沖縄県民の安全よりも、
アメリカとの政策を優先にするという
従来通りの立場を取っているからだと思われる。
ガザ問題など外国のことを取り上げるのも良いが
もっと足元も見なければならない。
第二次世界大戦時の沖縄の一般市民の戦死者は9万人と言われている。
この数がいかに多いか、そしてその人たちひとり一人の大事な人生を
奪われた県民の怒りがどれほどのものか計り知れない。
日本政府は、当時とは違って沖縄県民の歴史の悲惨さを思って
彼らの立場に寄り添うこともできたはずである。
なぜ、米軍に虐げられてきた沖縄の人たちが、
いまさらに、政府からそっぽを向かれる
だけでなく、米軍の肩を持たれなければならないのか?
もうこれは、怒りを通り越して絶望の域に近いかもしれない。
ただ、言えることは、辺野古基地問題も然り、
暴行事件も未だ絶えないこの状況では
県民の怒りの念は消えないどころか、
哀しみのどん底に打ちひしがれているのではないのか。
いまもこうして日本政府が県民の声を無視し続けるのであれば、
その行為はいつか清算されねばならない。
県民の負の蓄積された感情は、その向けられた相手を縛り続け、
いつしかその無念を晴らす日まで相手側の周りに漂い続ける。
いい加減に日本政府が沖縄にしてきたことのいじめの実体を理解し、
反省しないとそのしっぺ返しが、思いもよらないかたちでやってくる。
それは本土にいる私たち国民も、
無関心という罪によって負の業を背負わされるのだ。
もっと沖縄のことを知り、彼ら彼女の訴えを代弁していかなければならない。
同じ日本にいながら、こんな政府のもので生かされているのかと思うと
なんだか悔しいというか、情けなさを通り越して、悲しくなってくる。