【滋賀】

   

    光源氏のモデルのひとり

源融(みなもとのとおる)公をお祀りする

    全国唯一の神社。

 

 

  

 

 

 

 

【拝殿】

【御祭神】

  源融公
  大原金子命

 

      当地は

源氏物語の主人公「光源氏」のモデルのひとり

  嵯峨天皇の皇子「源融公」の荘園で

 

     現在の社地は

源融公が宇多天皇寛平年間(889〜898年)

 南庄村牟礼の岡山に閑居された旧跡。

 

後世の為、山上に埋められた神鏡一面を

 

   源融の死後、945年

伊香立の荘園の管領が鏡を掘り出し

    神璽にし祠を建て

源融を才人としてお祀りしたのがはじまり。

 

      融神社は

 源融公をお祀りする全国で唯一の神社。

 

    986年(寛和2年)

春花山法皇が近江御巡幸の際、社殿を造営。     

 一条天皇が水田百町歩を神領とし

   歴代奉幣の例がありましたが

 

 鎌倉時代以後、衰微し廃絶。

 

     その後は

南庄、家田、谷口の三村で地元の氏神

   としてお祀りされますが

 

    1571年(元亀2年)

 織田信長による焼き討ちで焼失。

 

     しかしながら

当時の神主様が神璽を奉持し山間に避難し

 

    1579年(天正7年)

     社殿を再興し

  武家の所領となりました。

 

   1796年(寛政8年)

火災で再び焼失し勅書や神宝を焼失。

 

   1797年(寛政9年)

  社殿が再興されています。

 

クローバー融神社Instagram

 

 

源融公をお祀りしています

 

大原金子命(源融の母)をお祀りしています

 

 

  左大臣にまで昇進した源融

   摂政・藤原基経の台頭により

     河原院に隠棲。

 

 嵯峨の清凉寺や宇治の平等院などは

    融公の別荘でもあり

 

  『河原左大臣』と称されていました。

 

  歌人としても優れた才能を持ち

 小倉百人一首にも歌が選ばれています。

 

『みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆえに 

   乱れそめにし われならなくに』

          

             小倉百人一首 14番

【融神社 御朱印】

  融神社の御朱印は

 小椋神社でいただけます。

 

 

 

【住所】

 大津市伊香立南庄町1846

 

大津市仰木の里の産土神

【小椋神社】

 

 

【小椋神社 切り絵御朱印】

 

 

 

 

 

【拝殿】

 

【小椋神社 本殿】

  水を司る龍神様

闇龗神をお祀りしています。

 

    社伝によると

 

  天智天皇6年(667年)

天智天皇の大津京遷都の際、同行した

   加太夫仙人という行者が

 

 大和国の丹生川上神社から

    御分霊を勧請。

 

   天安2年(858年)

文徳天皇の皇子・惟喬親王により

   大宮明神が創祀。

 

    貞観元年(859年)

源融公が宮川の上流にお祀りされる

   闇淤加美神を現在地に遷し

 お祀りしたのが小椋神社のはじまり。

 

延喜2年(902年)若宮神社がお祀りされ

 延喜8年(908年)延喜式内社に制定。

 

    貞元2年(977年)

この地に源満仲が移り住み10年間滞在。

 

     建久元年(1190年)

今宮神社、新宮神社が境内にお祀りされ

  五社大権現(大明神)と呼ばれ

    信仰を集めました。

 

   小椋神社の社名は

田所神社と称されていましたが

 

   1945年(昭和20年)

  現在の社名に小椋神社に戻され

    県社となりました。

 

 

【大宮神社】

 

【今宮神社・新宮神社】

 

 

 

 

 

 

 

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