【茨城】

 浄土宗大本山増上寺別院「弘経寺」は

     彼岸花で有名な

    家康の孫・千姫菩提所。

 

  大河ドラマ『どうする家康』でも

    千姫が登場しています。

 

【弘経寺 御朱印】

 

【弘経寺 御朱印】

(参拝日 11月4日)

 

        ご不在でしたので

 御朱印は後日、送っていただきました。

 

【本堂】

【宗 派】浄土宗

【山 号】寿亀山

【院 号】天樹院

【寺 号】弘経寺

【創 建】1414年

【開 基】嘆誉良肇

  

    正式名称

『寿亀山天樹院弘経寺』と称し

 

     1414年

 嘆誉良肇上人により創建。

 

    室町時代には

 関東浄土宗の中心寺院として栄え

多くの学僧を世に送った寺院でしたが

 

     1577年

壇越常陸下妻城主・多賀谷氏と

  小田原北條氏の合戦で

 

多賀谷氏が弘経寺に陣を張ったため

   戦火で堂宇を焼かれ

 

 第九世壇誉存把上人は下妻に逃れ

     のちに結城に

 秀康の帰依を得て弘経寺を再建。

 

  第十世照誉了学上人の代に

   寺院再興の時期を迎え

 

 徳川三代(家康・秀忠・家光)から

    帰依、厚遇され

 

  特に家康公の孫にあたる千姫

     上人に帰依し

   弘経寺を菩提所を定め

  再建に多大な寄進をしました。

 

   そのため、江戸時代には

 紫衣壇林として十八壇林の中でも

  上位に置かれる寺院となりました。

 

      惜しくも

千姫の御殿を移築した壮麗な大方丈は

    明治39年(1906年)

  灰燼に帰してしまいましたが

 

  天樹院殿御廟(千姫の墓所)や遺品

     ゆかりの品々は

 往時の風格を現代に伝えています。

 

 

 

【千姫廟】

   千姫は慶長2年(1597年)

徳川家康の孫・2代将軍秀忠の子として

   生まれ、僅か7歳で

 豊臣秀吉の子・秀頼に嫁ぎ

 

 豊臣家の滅亡で大坂城から救出され

    江戸へと送られました。

 

      のちに

本多忠刻(桑名城主・後に姫路城主)

      に再嫁し

 

  1男1女を儲けましたが忠刻とも

     僅か10年で死別。

  

     その後は落飾し

天寿院(天樹院)と号し江戸城北の丸の

  竹橋で余生を送りました。

 

 寛文6年(1666年)に没した千姫は

    徳川家・菩提寺

  伝通院に葬られましたが

 

    落飾した時より

 弘経寺を菩提寺と定めていたため

      弘経寺には

 遺髪が納められたとされていました。

 

   平成9年の保存修理で

 

遺髪ではなく遺骨が納められていた事が

    判明したそうです。

 

【開山堂】

 

 

【書院】

 

【来迎杉】

  修行僧宗運の貉(むじな)伝説にまつわり

    来迎杉と呼ばれています。

 

 

【住所】

  茨城県常総市豊岡町甲1

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