【京都】

京都府木津川市加茂町岩船上ノ門の
  関西花の寺
岩船寺  

 

【岩船寺 御朱印】

6月・7月・8月限定

 

【岩船寺 御朱印】

 

   開創30周念を記念し

    6月10日より

ちぎり和紙に刺繡が入った記念御朱印

    がいただけます音譜
 

 注意各寺院 限定300枚

 

 

 

【本堂】

【宗 派】真言律宗

【山 号】高雄山

【院 号】報恩院

【寺 号】岩船寺

【創 建】729年

【開 山】行基

【御本尊】阿弥陀如来

 

 岩船寺は京都府と奈良県の境で

     かつては

   南山城当尾村と呼ばれ

それ以前には小田原と称される地域に

    位置しています。

 

  ここは平安遷都までは

山背国(やましろのくに)と書かれ

 

   奈良・平城京が

 文化の中心であった時代には

まさに山々の背後にあたる場所で

 

  南都仏教の影響を強く受け

   平城京の外郭浄土として

興福寺や東大寺にいた高僧や修行僧の

    隠棲の地でした。

 

 当尾(とうの)という地名は

      この地に

   多くの寺院が建立され

 

三重塔・十三重石塔・五輪石塔などの

     舎利塔が

 尾根をなしていた事から「塔尾」

   と呼ばれていました。

 

    岩船寺縁起によると

 

    天平元年(729年)

聖武天皇が行基に一宇の阿弥陀堂を建立させ

       のちに

 弘法大師と智泉大徳が伝法灌頂を修し

      灌頂堂として

   報恩院を建立したのがはじまり。

 

     最盛期には

 寺塔39坊の広壮を誇りましたが

     兵火で消失し

   

   寛永年間頃(1624~43年)

徳川家康・秀忠らの寄進により修復された

    と記されています。

 

    鎌倉時代から江戸末期まで

       当尾地域は

岩船寺・浄瑠璃寺ともに南都興福寺一乗院の

      直末寺でしたが

 

      廃仏毀釈により

 本山である興福寺が相当な混乱時期に入り

    無本寺となり無住でしたが

 

    明治14年(1881年)

 真言律宗・西大寺の末寺となり

    現在に至る寺院。

 

 

 

 

 

【手水鉢】

 

 

 

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