【愛媛】
松山市桜谷町にある
伊佐爾波神社の
ステキな新作【御朱印帳】![ラブラブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/035.gif)
![ラブラブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/035.gif)
令和元年
晩夏よりいただけます![音譜](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
![音譜](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
【伊佐爾波神社 御朱印帳】
清浄な儀式の庭
京都の石清水八幡宮を
大分の宇佐神宮と並び
【御祭神】
当初は
現在の社殿は
御朱印は以前と変わらず
スタンプ式
【伊佐爾波神社 御朱印】
伊佐爾波とは
沙庭(さにわ)の意味で
清浄な儀式の庭
という意味で
万葉集でも歌われています。
万葉集でも歌われています。
【楼門】
(只今、工事中
)
![あせる](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
江戸時代初期に建築された
桃山時代の
桃山時代の
遺風を継承した極彩色の
豪華な建造物。
京都の石清水八幡宮を
模したと言われ
大分の宇佐神宮と並び
全国に三例しかない
八幡造りで
八幡造りで
国の重要文化財に指定
されています。
神功皇后
応神天皇
仲哀天皇
三柱姫大神
延喜式に載っている
湯月八幡宮や道後八幡
とも
呼ばれていた古社。
当初は
道後公園山麓に鎮座していた
と云われ
河野氏が
湯月城築城に際し現在地に遷し
その後
加藤嘉明が松山城の固めとして
八社八幡を定めた時
一番社として
武運長久の祈願所と定め
久米郡井合の
土地百石を神社の社領
として寄進。
現在の社殿は
江戸城で弓の競射を命じられた
松山藩主 松平定長公が
八幡様に必中を祈願し
成就したお礼に
建て替えられたもの。
1664年6月に着手。
大工697人
延べ人数69017人を要し
1667年5月15日竣工。
華やかに
遷宮式が挙行されたそうです。
前後に
軒先を接して並び
内陣が
屋根の軒先中央で密着しています。
和算学の資料が残されていて
松山でも
和算学が盛んであった事が
うかがえます。
本殿裏側に
駐車場があります。
いっしょにオススメ![!!](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/093.png)
![!!](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/093.png)
伊佐爾波神社の参道の
途中にある
松山市道後湯之町にある
湯神社
【湯神社 御朱印】
伊佐爾波神社社務所で
いただけました
大己貴命
少彦名命
道後温泉近くにある
冠山の山頂
伊佐爾波神社の西にあるので
「西宮」
とも呼ばれます。
景行天皇が
皇后・八坂入姫命とともに
当地に行幸した際
道後温泉の守護神
として
鷺谷の大禅寺の前に創建。
素盞嗚尊・稲田姫命
大山積命・茅野姫命の
四柱の神
をお祀りした
孝霊天皇の創建の
出雲崗神社が
鎮座していましたが
1707年
地震により出湯が停止した際
湯神社で
出湯の祈祷が行われると
再び
現在のように温泉が出たので
湯神社は
1708年
相殿から境内別社となり
1871年
湯神社に
出雲崗神社を合祀する
現在の形式となりました。
境内社
【中嶋神社】
田道間守命
1957年
四国四県の製菓業者により
兵庫県豊岡市にある
製菓・柑橘の祖神である
中嶋神社の
御分霊を迎え四国分社
として創建。
鷺谷は
鷺が痛めた足を温泉に浸し
治療していた
とされる場所で
道後温泉発見の起源地![!!](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/093.png)
![!!](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/093.png)
鷺は
道後温泉のシンボルに
なっています![音譜](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
![音譜](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
【四国】
御朱印帳まとめ
四国編
追記しました
【愛媛】
(松山市)
御城印がいただけます
(宇和島市)
和霊神社