【京都】

京都市山科区勧修寺仁王堂町の
勧修寺

 
【勧修寺 御朱印】

 
【勧修寺 御朱印】
 
【勧修寺 御朱印】
 
【勧修寺 御朱印】
 
前回いただいた

【勧修寺 限定御朱印】

天皇陛下御即位記念

 

【勧修寺 限定御朱印】

 

【勧修寺 限定御朱印】

 

 天皇陛下御即位記念

    として

 京都市山科区では

 

安祥寺・勧修寺・随心院

 毘沙門堂本圀寺

 

皇室ゆかりの寺院が

    連携し

通常では拝観できない

   文化財を

 

 令和元年11月16日から

12月1日まで公開されました。

 

秋の特別公開では

  書院内部

 

江戸時代初期の土佐派絵師

土佐光起・光成親子

    による

 豪華な障壁画

 

 手前のお部屋には

瀬田の唐橋・石山寺などが

   描かれた

 「近江八雲図」

 

  奥のお部屋には

和歌の歌枕にもなっている

  竜田川を描いた 

「竜田川紅葉図」

   などが

 前庭から拝観。

 

【勧修寺 特別御朱印】

浄財は風害復旧のために

  使われるそうです

 

以前いただいた
【勧修寺 御朱印】

  こちらの御朱印は
以前はいただけませんでしたが

 要望に応える形で

  漢詩の御詠歌の

御朱印もいただけました。


【勧修寺 御朱印】


【佛光院 御朱印】


【勧修寺 御朱印】

   寺名は

 「かんしゅうじ」

 「かんじゅじ」と

読まれる事がありますが
 
    お寺では

かじゅうじ」を正式の呼称

    としています音譜

 


    900年

醍醐天皇が生母藤原胤子の

 菩提を弔うため創建。

   胤子の父

藤原高藤の諡号をとり 
 勧修寺と名付けられ

   のちに

醍醐天皇の勅願寺

  となりました。
 
   1470年

兵火で焼失しましたが


   皇室と

徳川家の援助で復興。
 
代々法親王が入寺する
   門跡寺院

として格式ある寺院。
 
【宸殿】

1697年、明正天皇の旧殿を
  下賜されたもの

 

 

 

 

【ハイビャクシンの巨木】

 樹齢750年を超え

今なお旺盛な生命力の
 ハイビャクシン。


   幾度にも

ドクロを巻きながら

  せり上がり

 

地を這う奇形な樹形は

 なんと1本の木から

 出来ています。


【光圀灯篭】

 書院前の庭にある

  この灯籠は

 

  「大日本史」の

編集に協力した事の御礼

   として
 水戸黄門さまから

 寄進されたもの。

 

笠・火袋・中台・柱

  地輪の全てが

長方形という変わった形

  をしています。  

 

 

【書院】重要文化財

書院内部の写真撮影は不可

 

 

【四季桜】

 

 

〜勧修寺の「玉の輿伝説」〜

 

  藤原氏の貴公子

   藤原高藤は

山科でタカ狩りの最中に

   大雨に遭い

 

宮道列子の家に駆け込むと

 

列子の美しさに見惚れ

「今に妻として迎えに来る」

   と約束し

 

列子はその言葉を信じ

 7年間待ったのち

  めでたく結婚。

 

 誕生した胤子は

   後に

宇多天皇の皇后となり

 

  醍醐天皇が

お生まれになりました。

 

   当時は

 藤原一族でなければ

皇后になれない時代

   にあって

 

高藤が駆け込んだご縁で

  皇室の縁者

 となりました。

 

「玉の輿にのる」という

   言葉は

 列子から誕生した

    とも

伝えられているようです。

 

【本堂】

【宗派】 真言宗山階派
【御本尊】千手観音


【観音堂】






【庭園】

東山連峰を借景とした

  池泉様式庭園。

 

  毎年1月2日

氷室に張る氷が宮中に

   献上され

 

  氷の厚さで

五穀豊穣が占われたと

 伝えられています。


【氷室池】

 

 紫陽花と紅葉の競演音譜

 



   春は

築地塀が美しい参道は
  約40本の

  桜並木が連なり

 
真っ白な塀とのコントラストが
   とても綺麗音譜
 
 隠れた桜の名所ですラブラブ

 

 

 

 勧修寺の御朱印は

        隣接する
塔頭 佛光院でいただきます。

 

【佛光院】

 

 

 

 

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