すごく近所…というか友達の家の真裏に、二村山という超マイナー展望台がある。
20代前半頃は、首なし地蔵(袈裟切り地蔵)があるというので盛り上がり、肝試し的に飲んだ帰りに登ったりもしたっけな…(苦笑
この二村山の頂上には、鎌倉街道石碑がある。その名の通り、鎌倉時代に鎌倉と京都を結ぶ街道で。
この鎌倉街道は、私の家のほんのすぐそこにも通ってる。
あれだよ、野並のUFJのとこだね。
まあ、二村山は置いといて(←え
その二村山真裏の友達の住所は、沓掛町。もっと細かい住所は、まさにあの今川・徳川の時に出てくる地名で。
おお、まさに歴史に残る…というか、歴史そのものだなと感心してしまった。
うん、つい先日。
水曜どうでしょうのどうゼミ日本史編を見てて、あの子の家の住所の由来ってこれなんだ~と。
すぐそこにある沓掛だけど。
どんなとこなんだろうなーと調べてみたら。
その沓掛という名前の由来は、なんと平安まで遡り、在原業平が命名したらしいと。
東下りの際、宿屋の軒にわら沓(くつ)がかけてある風情をおもしろく思い、「沓掛」と名付けて以来、地名として残り今に至るのだそうだ。
いいなーーーーー!!!
あの、プレイボーイ業平っちが、こんな近所で地名を命名していたなんてなぁ。
本当、地元でも知らないことが多い。
沓掛宿にある鹿嶋神社に、業平の歌碑があるのは知ってたけど…というか、この話を知って、そういえばあったなぁと思い出した程度だけど(苦笑
伊勢物語にものってるんだってね。
そうだったっけ?
中学生の時に読んだきりだから、もう伊勢物語なんてほとんど記憶にないよ…。
よし。
伊勢物語、オリジナル現代語訳やっちゃおうかなー。
源氏物語が途中のままだけど、ちょっと飽きた(←おい)。いや、あまりに有名というか、先入観がありすぎてね…。
って、中学の時から始めて、まだ終わってないんだから、きっと終わりはないんだな(笑
次の休みは古本屋さんへ伊勢物語原文を探しに行こうかな。