まず最初に。
弱音を吐いたり、後ろ向きなことを書くことは不安なことであるし、怖いことであるし、読む方々だってあまり気持ちの良いものではないということは承知している。
ただ。
もしも心が壊れてしまいそうなら、時にはそれをしたっていいのかもしれない。
ということを書きまして。
かなり時間が経ったけれど、先日38歳の誕生日を迎えた。
この歳にもなれば、誕生日についての感慨もあまり無くなるものかと思っていたけど、今年は少し違った。
ずっとずっと部屋で1人過ごす生活の中で、何を書いたら良いのか、自分は何者なのか、そもそも何のために生きているのかが分からなくなる日々。
そんな中、お祝いの言葉をいただけることがどれだけの力を漲らせるのかを切々と感じた。
「大沼さん」「ぬま」「ぬまさん」「ぬまちゃん」と、名前を呼んでいただけることは、「あぁ、自分は確かに生きているんだ。たくさんの方々と繋がっているんだ」と確かめられた。
「またお芝居が見たいです」という言葉が、失いかけている自信を少し取り戻させてくれた。
そう。
僕は、自信を失っているのだ。
日々の生活を営むことに対しても、お芝居に対しても。
どちらかというと、自ら自分を信じることを遠ざけているのだと思う。
自分に舞台に立つほどの魅力と、そもそもの覚悟があるのか?
自分には、もう需要が無いのではないか?
それなのにお芝居を続けようとして、中途半端に人生を生き続けるのか?
などなどを自問する日々。
そんな日々の中で最近思うこと。
思い描いた人生に辿り着くことって、それは多分ごくごく稀なことで。
多かれ少なかれ、進みたい方向に向かって進んでいたつもりでも軌道はズレていくものなんだなぁって。
実際、去年の今頃は今の自分の状況なんて予想だにしていなかった。
それどころか一昨年の今頃は、今の状況や身の周りの環境をほんのひと欠片さえも想像していなかった。
それはウイルスがもたらした未曾有の災禍によるものもあれば、その場その時の感情に流された言動によってもたらされた環境の変化もある。
だけど、起こってしまったことはどうひっくり返しても起こる前には戻れない。
だったら。
明日を創ることを手放していても仕方ないのではないか。
具体的にどうすれば、より良い明日を創れるかはまだ全然分からないけど。
分からないけど、とりあえず笑えばいいのかなぁって。
笑っていても泣いていても、世界は変わらずに動いているのだし。
太陽は昇るし、緑は輝くし、街の景色は変わらない。
どんな時でも、世界は何も変わらずに動き続けるのだ。
だったら、笑うしかないのかなぁと。
笑うのはとても力のいることだけれども。
それでも。
笑っていれば、きっといつか。
またいつか。
どこかで笑顔で会えますように。
かなり時間が経ってしまいましたが、改めまして。
お祝いのメッセージをくださった皆様、ありがとうございました。