朝露によごれて涼し瓜の泥
                  芭蕉 

(あさつゆに よごれてすずし うりのどろ)

意味・・夏の朝、裏の畑に出てみると、露がしっとりと
    降りている。地面にころがっている瓜も露に濡
    れて、肌に黒い泥が少しついて汚れているが、
    かえってそれが涼しげである。

    冷たい西瓜は味覚に涼しい。風鈴は聞いて涼し
    い。視覚に涼しいのは氷の塊とか流水、洗い立
    ての肌着、果物、朝顔の花・・。それに朝の露。

作者・・芭蕉=ばしょう。1644~1695。

出典・・笈日記。

朝顔は下手の描くさへ哀れなり

                   

                   芭蕉 

 

(あさがおは へたのえがくさえ あわれなり)

 

詞書・・嵐雪が描きしに、賛望みしに。

 

意味・・はかない物としてしばしば和歌や漢詩に

    詠まれる朝顔であるだけに、下手な人が

    描いた絵であっても、哀れを感じさせる

    ものだ。

 

    朝顔は、朝咲いて夕方にはしぼむので儚

    (はかな)いイメージが、次の漢詩や歌のよ

    うに、平安朝から持たれるようになった。

 

    白居易の漢詩には、

 

   「松樹千年終(つい)にこれ朽ちぬ、槿花(

    きんか)一日己づから栄をなす」があり、

 

    (松は千年の齢をたもつというけれども、

    朽ちはてる時がある。朝顔の花は悲しい

    花だとはいうけれども、自然彼らなりに

    一日の栄えを楽しんでいる。他をうらや

    まず己の分に安ずべきことをいう。)

 

    また、藤原道信は拾遺和歌集に次の歌を

    詠んでいる。

 

   「朝顔を なにはかなしと 思ひけむ 

    人をも花は いかが見るらむ」

 

    (朝顔の花を人はどうしてはかないものだ

    と思っていたのだろう。人間こそはかな

    いものではないか、花はかえって人間を

    どのように思って見るだろうか。)

 

    このように、花の命の短さは無常観とが

    結びつき「哀れなり」のイメージとなる。

 

    嵐雪が描いた朝顔の絵は優しく、はかない

    朝顔の本情をのがさず見事に捉えている

    ので、下手でも味わいのある絵だと褒め

    た画賛句です。

 

 注・・嵐雪=服部氏。蕉門十哲の一人。1707年没。

 

作者・・芭蕉=ばしよう。1644~1695。

燈火の 明石大門に 入らむ日や 漕ぎ別れなむ
家のあたり見ず    
                柿本人麻呂

(ともしびの あかしおおとに いらんひや こぎ
   わかれなん いえのあたりみず)

意味・・明石の広い海峡に船がさしかかる日には、
    はるか彼方の故郷に別れを告げることに
    なるであろうか。もう家族の住む大和の
    山々を見ることもなく。

    当時、防人たちを初めとする国を追われ
    た人達は、明石海峡を越えてそれぞれの
    地に送られて行った。それで明石は別離
    を象徴する場所となった。

    作者も大和から九州へ下る時の心細さ、
    長い間家族ともう会えない寂しさを詠ん
    でいます。

 注・・燈火=明石の枕詞。
    大門(おおと)=大きな海峡。

 作者・・柿本人麻呂=かきのもとひとまろ。生没未
    詳。奈良遷都(710)頃の人。舎人(とねり・
    官の名称)として草壁皇子、高市皇子に仕え
    た。

出典・・万葉集・254。


 

庭の面は まだかわかぬに 夕立の 空さりげなく 
澄める月かな          
                 源頼政

(にわのおもは まだかわかぬに ゆうだちの そら
 さりげなく すめるつきかな)

意味・・庭の面(おも)はまだ乾かないのに、夕立を
    降らせた空は、そんなことがあったという
    様子もなく、澄んだ月が出ている。

 注・・さりげなく=「夕立の空がさりげなく」と
    「さりげなく澄める月」に二重に働いてい
    ます。

作者・・源頼政=みなもとのよりまさ。1104~1180。

出典・・新古今和歌集・267。

 

薮入りや 何も言わずに 泣き笑い   
                   
(やぶいりや なにもいわずに なきわらい)

意味・・奉公人が主人から休みをもらって、喜び勇んで
    帰って来た。親と対面したものの、楽しい思い
    出より辛く苦しいことばかり。話せば親を悲し
    ませると思うと何も言えない。只泣き笑いする
    ばかりだ。

    一方、息子の帰りを首を長くして待っている両
    親、特に親父は朝からソワソワ、いえ、前の晩
    から、いやいやそのず~っと前からソワソワ。
    有り金を叩いて、ああしてあげたい、こうして
    あげたい、暖かい飯に、納豆を買ってやって、
    海苔を焼いて、卵を茹でて、汁粉を食わせてや
    りたい。刺身にシャモに、鰻の中串をご飯に混
    ぜて、天麩羅もいいがその場で食べないと旨く
    ないし、寿司にも連れて行きたい。ほうらい豆
    にカステラも買ってやりたい・・。
    そして三年ぶりに息子とのご対面は、「薮入り
    や何も言わずに泣き笑い」・・落語「薮入り」
    の一節です。

 注・・薮入り=商家で住み込んで働いている奉公人が
     年に二度、一月と七月の16日、一日だけ家
      に帰るのが許された。奉公始めは三年間は
      休みを貰えなかった。


 

石切の 鑿冷したる 清水かな   
                  蕪村

(いしきりの のみひやしたる しみずかな)

意味・・日盛りの石切り場で、石切人夫が
    石を切り出していたが、夏の暑さ
    にのみも熱くなったので、かたわ
    らの清水にのみをつけて冷やして
    いる。いかにも涼しげそうだ。

    一仕事をすると、のみも熱くなる
    し汗もかく。一息入れるためのみ
    を冷やすのである。
 
作者・・蕪村=ぶそん。1716~1783。南宗
    画の大家。
 
出典・・あうふ社「蕪村全句集」。

 

引き分けて 見れば心の 刃なれ 寄れば忍の
もじなりけり
                
(ひきわけて みればこころの やいばなれ よれば
 しのぶの もじなりけり)

意味・・「忍」の文字を分解すると、「心」の上に「刃」を
     乗せたものである。ゆえに「忍」の文字は「心に
     刃物を突き付けても、じっとこらえる」という意
     味である。

       忍耐ということは刃物を突き付けられても耐える
      というように、難しいことである。でもでも、つい
                つい詰まらない事に腹を立てたり、少し苦しい事が
                あると音を上げてしまう。これではいけないのであ
               る。

出典・・山本健治著「三十一文字に学ぶビジネスと人生の極意」。


 

撫子は いづれともなく にほへども おくれて咲くは
あはれなりけり        
                  藤原忠平

(なでしこは いづれともなく におえども おくれて
 さくは あわれなりけり)

意味・・撫子はどれがどうとも優劣つけがたく美しく
    咲き映えているが、遅れて咲いた撫子は特に
    可憐に思われる。そのように子供達はだれも
    区別なく可愛いものだが、遅く生まれた子供
    というものは、とりわけ可愛いものだ。

    忠平の末の子が撫子の花を持っていたので、
    母親に花に添えて詠んで持たせたものです。
    末子は他の兄弟より年が離れていた。

 注・・にほへども=美しく色づいているが。
    あはれ=いとしい。

作者・・藤原忠平=ふじわらただひら。879~949。
    太政大臣。

出典・・後撰和歌集・203。

 

煙たち もゆとも見えぬ 草の葉を 誰かわらびと 
名づけそめけむ     
                 真静法師

(けぶりたち もゆともみえぬ くさのはを たれか
 わらびと なづけそめけん)

意味・・あの蕨の萌え方を見ていると、煙を上げて
    燃え上がっているのではないのに、いったい
    誰がわら火と名づけたのだろうか。

    蕨の語源はわら火と思われていた。

 注・・もゆ=燃ゆと萌ゆを掛ける。
    わらび=藁を燃やしたわら火と蕨を掛ける。

作者・・真静法師=しんせいほうし。983年頃活躍
    した僧・歌人。

出典・・古今和歌集・453。

 

信濃なる 須我の荒野に ほととぎす 鳴く声聞けば
時過ぎにけり
               信濃の国の防人の歌
               
(しなのなる すがのあらのに ほととぎす なくこえ
 きけば ときすぎにけり)

意味・・ここは信濃の須我の荒野、この人気のない野で
    時鳥の鳴く声を聞くようになった。あの人が帰
    ると言った時期はもう過ぎてしまうのだ。

    時鳥が鳴く初夏は農繁期なので人手の欲しい時
    期である。防人として出て行った夫の帰りを待
    ちこがれた歌です。

 注・・信濃=長野県。
    須我=小県(ちいさがた)郡菅平あたり。
    ほととぎす=時鳥。初夏にやって来る渡り鳥で
     農耕民への「時告げ鳥」となっていた。
    時=防人として賦役などで旅に出た夫が帰ると
     言った時期。

出典・・万葉集・3352。