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みじか夜や 伏見の戸ぼそ 淀の窓    
                     蕪村

 

(みじかよや ふしみのとぼそ よどのまど)

 

意味・・夏の夜も明けきらぬうちに、伏見から淀川
    下りの一番船に乗る。伏見の町はまだ固く
    戸を閉ざして静まりかえっていたが、淀堤
    にさしかかる頃には夜も明け、両岸の商家
    は窓を開け放ち、忙しそうに往来する人の
    姿も見られる。

 

    京都伏見の京橋は大阪の八軒屋との間を往
    複する三十石船の発着点であった。伏見か
    ら淀の小橋まで5.5キロの下りで、淀の
    両岸には商家が軒を連ねていた。
    
 注・・戸ぼそ=家の雨戸。

 

作者・・蕪村=ぶそん。与謝蕪村。1716~1783。
    南宗画も池大雅とともに大家。

 

出典・・おうふう「蕪村全句集」。

 

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石切の 鑿冷したる 清水かな   
                  蕪村

 

(いしきりの のみひやしたる しみずかな)

 

意味・・日盛りの石切り場で、石切人夫が
    石を切り出していたが、夏の暑さ
    にのみも熱くなったので、かたわ
    らの清水にのみをつけて冷やして
    いる。いかにも涼しげそうだ。

 

    一仕事をすると、のみも熱くなる
    し汗もかく。一息入れるためのみ
    を冷やすのです。
 
作者・・蕪村=ぶそん。1716~1783。南宗
    画の大家。
 
出典・・あうふ社「蕪村全句集」。

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殿原の 名古屋顔なる 鵜川かな      

                  蕪村

(とのばらの なごやがおなる うかわかな)

意味・・長良川の鵜飼見物の面々は、見るからに尾張藩士の
    名古屋顔といった顔付きで、大らかで鷹揚(おうよう)
    な態度をしている。

    岐阜県長良川の鵜飼は尾張藩の管轄であった。

 注・・殿原=身分の高い男の方々。 
    名古屋顔=名古屋者らしい顔つき。「名古屋」に「な

     ごやか」を掛ける。 
    鵜川=鵜飼をしている川、鵜飼見物の出来る川。
    鵜飼=飼いならした鵜を使って鮎などの魚をとる漁法。
     鵜匠が鵜舟に乗り、篝火(かがりび)をたき、鵜を操

     (あやつ)ってとる。

 

作者・・蕪村=ぶそん。与謝蕪村。17161783。池大雅ととも

    に南宗画の大家。

 

出典・・蕪村句集。

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               杜鵑・池上秀畝画

 


ほとどぎす 一声なきて 片岡の 杜の梢を 今ぞ過ぐるなる


                     藤原為世


(ほとどぎす ひとこえなきて かたおかの もりのこずえを
 いまぞすぐるなる)

意味・・待っていたほとどぎすがやっと一声鳴いて、片岡の
    森の梢の上を、今飛び過ぎていく。

 

    早朝の明るくなる頃、木の梢も美しく見え始め、鳥

    の鳴き声も聞きたいところと心待ちしている時に、

    一羽鳴きながら飛んで行った情景です。

 

作者・・藤原為世=ふじわらのためよ。1250~1338。正二

    位権大納言。

 

出典・・続後拾遺和歌集。

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                                                   歌川広重画
 

急がずば ぬれざらましを 旅人の あとよりはるる
野路の村雨           

                 太田道灌

(いそがずば ぬれざらましを たびびとの あとより
 はるる のじのむらさめ)

意味・・もしも急がなければ、濡れなかったであろうに。
    旅人が通った後から晴れていく野の道に降った
    にわか雨である。

    急いだばかりにずぶ濡れになった旅人の後から、
    皮肉にも晴れていく村雨の景は「急(せ)いては
    事を仕損じる」の教訓として詠まれています。

 注・・村雨=にわか雨。

 

作者・・太田道灌=おおたどうかん。1432 ~1486。

    1457年に江戸城を築く。

 

出典・・家集「慕景集」(笠間書院「和歌の解釈と鑑賞辞典」)