年が明けてしまいましたが、過去の活動報告の続きを…

時系列的に言うと、区議会の委員会で10月下旬に香川に視察に行き、11月初旬に熊本に視察に行ったという順番なのですが、ブログには前回、ゆめ風基金のシンポジウムのことを書いたところなので、そのこととあわせて考えるために先に熊本の報告を書きます。

 

11月9日、10日で、区議会の総合・災害対策等特別委員会で熊本の視察に行きました。4月の熊本地震で被災した益城町と熊本市の方から話を聞かせていただくためです。

 

私は個人的には夏に熊本に行き、その時は熊本在住の友人たちから話を聞いてきました。

その時のことはこちらこちらに書きましたが、今回は区議会の委員会視察として伺って、行政の方から話を聞くので、また違った視点から見ることができました。

 

まず1日目は、被害の最も大きかった益城町へ。益城町は空港のすぐ近くです。

震災の時の様子は、いただいた資料が分かりやすいので写真を載せます。

4月14日~16日に震度6以上の地震が7回…こんなにも来たんだということに改めて驚かされます。東日本大震災の東京の揺れは震度5弱でしたが、5弱が1回でも怖かったのに…。

 

益城町ホームページの情報によれば、震災時の2016年4月、益城町の人口は34545人。4月は地震の影響だと思いますが世帯数の統計はないのですが、3月を見ると13455世帯です。

 

11月初旬にお話を聞いた段階で、益城町では震災後に体調を崩してお亡くなりになった関連死も含め、27名の方が亡くなったとのこと。今回の地震で熊本県全体の死者数が76名ということだったので、かなりの被害が益城町に集中していたということが分かります。

 

建物の被害は10月末時点で、全壊3424件、大規模半壊968件、半壊2538件、一部損壊4335件、総計11265件。13455世帯のうちの11265件が何らかの被害を受けているということですね。

熊本の地域はもともとあまり地震がなかったので、地震を想定した災害対策はあまりとられていなかったということもあるようです。それよりも台風の被害が多いので、そのために屋根がしっかりしているということだったので、地震の被害という点では屋根が重かったことによって生じた部分もあるのかもしれないと感じました。

 

一番多い時で人口の半数くらいの人が避難していたという説明がありました。

 

7校ある小学校は当初避難所として使われたため、学校が再開したのは5月9日から。

給食センターが被災したため5月中は給食が出せず、お昼前には授業を終わらせていたそうです。6月1日からは弁当、牛乳を出しているということでした。

給食センターは老朽化していて震災前から建て替えの検討がされていたものの、まだ具体化していない時期の被災だったため、ようやく最近になって検討会が再開し、用地選定も含め具体化はまだまだこれからだということでした。

5園ある保育所も5月中旬から順次再開しているものの、園庭等が被災して他の場所を借りて運営しているところもあるということです。

 

役所も議会も被災して使えないということで、プレハブの建物が建っていました。

 

 

(建物をつないで渡る橋のところもひび割れて使えない状態が見えます。)

 

 

 

議会の部屋の中までは見られませんでしたが、この広報の写真のような状態だったそうです。

 

 

 

役所としては、4月30日には臨時広報を出して、役所としての対応の説明を始めたそうですが、あとあと住民に聞いてみると、そもそもそんな広報が出ていたこと自体知らなかったという人も多かったそうです。

災害時、役所が十分機能しなくて住民が困ってしまうという話は、私も、東北でも熊本でも友人たちから聞くことがありましたが、行政としてはいろいろやっていたとしてもそれがすべてに行きわたっていなかったり、情報が伝わっていないということがあるんですね。

益城町役場の方は、「平時に、【災害の時はこういう伝達手段で広報しますよ】ということを住民で共有していないと機能しないということを実感した」とおっしゃっていました。

 

罹災証明を発行するときも、順番に整理券を配ってやっていく予定が、「早く行かないともらえない」という噂が広がってどんどん早い時間から並ぶようになってしまうという悪循環による混乱もあったようです。

 

罹災証明の発行で「なぜこういう結果に?」と住民が疑問を持ってしまうのは、被災後すぐにおこなっている「応急危険度判定」と罹災証明の基準が違うことによる部分も大きいようです。応急危険度判定の時はお隣さんと同じランクだったのに、なぜ罹災証明で違う結果になるのか、ということで正しく判定されていないように感じることがあるということでした。

 

役場の職員は2交代で2か月休みなしで、避難所運営や罹災証明の事務、あわせて役場の通常業務をしてきたそうです。

7月に入ってようやく、職員に対するストレスチェックなどのフォローをすることができたということでした。

 

被災してみんな不安で、「なぜもっと早く物資が来ないのか」「正しく罹災の判定をして早く証明を出してほしい」など、不満もある中で、どうしてもその対応は行政職員になりますが、行政職員も被災している一人の人間でもあるので、とても難しい問題だと思います。行政事務を回していく部分は、やはり被災していない自治体の行政職員を派遣するということが一番役に立つのだろうと思います。

 

議会は被災後なかなか開けず、5月中は定期的に「全員協議会」という形で集まって情報共有し、7月末になってようやく議会を開いたものの、それも1日で終わらせるという対応をしたそうです。

 

昔から暮らしている地域の人たちはご近所で助け合うことができたけれど、新興住宅地域が難しかったという課題もあったそうです。新興住宅地域でもお祭りなどを通じ顔の見える関係を作ろうという動きも出てきているというお話もありました。

 

(役所の屋上から見たところ。屋根が壊れてブルーシートをかけている家が見えます。)