863.偏差値は 受験のための 一里塚 人の繋がり 数字にするな
先日、佐藤優・元外交官の著書『16歳のデモクラシー』(2020年、晶文社)を引用したが(ブログNo.857)、同書📗は入試でお馴染みの偏差値にも触れている。
これは同じ学力試験を受けた集団(母集団)の中で自分がどのくらいの位置にいるかを表す数値で、受験生は志望校選択に利用する。
偏差値は万能か。
国算理社英の○×試験では通用するが、音楽🎹や図画工作や体育などでは無理。横浜には300以上の小学校があるが、約3万人もいる6年生の才能や技能の偏差値は出せない。例外は100m走の結果くらいだろう。
高卒で就職する生徒にとっては高校入学時点で、大卒で就職する学生にとっては大学入学時点で偏差値は意義を失う。
ところが偏差値信仰はSNS世代に負の影響を与えている。そう警鐘を鳴らすのが佐藤氏だ。彼は今の若者がSNSでも〝人間的な偏差値″に囚われていると言う。これは雑誌『潮』(2019年5月号)の山田昌弘と原田曜平の対談で出た言葉で、彼はこう書く。(注 要約)
《偏差値で出るのは記憶力と情報処理能力だけ。それが人間の能力とイコールになり、就活や婚活でも偏差値を基準にして諦めてしまう。
自分より下の偏差値の人達をバカにする。
「自分にはこれが大切だ、自分はこれがやりたい、自分はこういう人になりたい」という自己同一性があれば、SNS投稿での承認欲求に振り回されない。》
つまり、似た者同士を母集団として現実社会を捉える若者は、夢や希望までも或る水準で固定してしまう。
さて、佐藤氏は著書の最後で「不可能の可能性」に触れている。できないよう見えることがあっても、それに向かって努力をしていくことによって、何か見つかるものがあると。
柔道🥋の阿部一二三も体操の橋本大輝もその何かを見付けようと努力している。