1462.傑作が 訴えるもの 頷くが 我が駄作とて 一隅照らす
先日のブログNo.1459で、≪「ここぞ」という時に踏ん張れる仕事を見付け、それが趣味に繋がれば研鑽が苦になることはない》と書いた。
つまり、仕事が一筋縄ではいかず、時にはストレスに悩まされても、意欲を唆(そそ)るものであれば、注力し続けることができる、と。
4月28日、NHKラジオ第一のマイ!Bizに常陸佐矢佳・日経ウーマンオンライン編集長が登場し、「多様な人材をいかすチームづくり」について語った。彼女は「仕事は潤滑油」だと述べた。
即座に彼女の定義は主客転倒だと思ったが、考え直した。
潤滑油とは、機械の部品同士が擦れ合う部分に入り込み、摩擦・摩耗を減らして機械の動きを滑らかにする道具。
自分自身を主体にすれば、確かに仕事は自分を満足させるために利用する潤滑油として捉えられる。つまり自分の生活を有意義にするためには何らかの仕事を課す必要がある。
独り生活も半年が経過。以前は妻のためにあれこれしてきた。それが不要となった今、掃除洗濯などの雑事に疑問を抱くことも多い。しかし雑事を等閑(なおざり)にすれば自堕落になるだけ。自分が望む生活を描くことなどできなくなる。
さて、筆者が描きたい生活とは、ピカソの『泣く女』や『ゲルニカ』ではない。現実描写による棘(とげ)は不要。意識をガチガチにすれば田辺聖子の「まあ、こんなトコやな」が当て嵌まらず、自分を見失うからだ。
従って印象派のクロード・モネの『日の出』や『睡蓮の池』に似たものを描きたい。現実をボンヤリと眺めつつも、太陽🌞の暖かさに恥じない日々を送るという感覚で。
