鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍し歴史に名を残した武将楠木正成は、元弘の乱で
後醍醐天皇を奉じて鎌倉幕府の打倒に加わり、金剛山に築いた赤坂城、千早城で幕府の
大軍を相手に奮戦して鎌倉幕府を打倒、後醍醐天皇の建武新政に貢献した。
建武政権の崩壊後は足利尊氏と争い、延元元年(1336年)5月25日、摂津の湊川で討死。
首級は菩提寺の観心寺に送り届けられ、首塚として祀られている。
観心寺では正成の命日の25日に首塚前にて河内にわかと和太鼓の奉納が行われた
富田林市喜志の子供和太鼓チーム『喜和塾』の和太鼓奉納
下水分社にわか連『気楽座』の河内にわか奉納。
「にわか」とは、江戸時代から明治にかけて宴席などで披露されていた滑稽な即興芝居で
南河内では秋祭りの地車の上で演じられている郷土芸能
出し物は「多聞丸(楠木正成の幼名)と三人の師」
滑稽な演技と土臭い河内弁に爆笑