二週間前、シャクナゲ満開の知らせに再び訪れた金剛三昧院
境内をピンク色に染めるシャクナゲの群落で一番古いものは樹齢が450年と言う
シャクナゲとモミジの競演
境内の中心に聳え立つ六本杉は樹齢400年とも言われる杉の大木で
遠くから根元のほうを見ると3本のように見えるが
近寄って上を見上げると6本に分かれている
新緑が眩しい高野龍神スカイラインを龍神村方向へ
途中の鶴姫公園に立ち寄り鶴姫の館の展望台へ
野迫川村には幾つか源平合戦にまつわる平家の落人伝説があるが、鶴姫もその一つの戦国
ロマン。
平家一門の鶴姫は平家滅亡後、九州山地の奥深い椎葉の里に落ち延びるが、源氏の追っ手
大将那須大八郎と出会い恋に落ちる。数年後、鎌倉幕府に呼び戻され泣く泣く分かれるが
大八郎が熊野の地に赴任と伝え聞いた鶴姫は椎葉の里から熊野へ向かうものの当地で病に
倒れ亡くなったとされている。鶴姫館ではパネルで戦国ロマン物語を紹介している。
ただ、椎葉村にも全く似た伝説が有って、そちらは鶴富姫と大八郎で大八郎が鎌倉に帰る
のは同じだが、鶴富姫は生まれた大八郎の子と共に椎葉村で暮らし、住まいの鶴富屋敷は
国の重文指定を受けている。
余談だが今まで三度訪ねていて知人も居るが、村民の約半数が椎葉さんと那須さんとか
屋上の展望台からは奥高野の山並みが360度眺望できる
高野龍神スカイラインから離れ山を幾つか越えて四方を山に囲まれた天野の里に着いた。
美しい田園風景が広がるのどかな高原の盆地は「にほんの里100選」にも選ばれている
この天野の里の中心的存在の丹生都比売神社は1700年前の創建と伝わる古社で
全国の丹生都比売大神を祀る神社の総本社。
弘法大師空海を高野山に導き授けことから高野山との関わりは深い
鏡池に掛かる輪橋 (そりはし)は慶長年間に豊臣秀吉の側室淀君の寄進と云われており
傷みが激しく2015年に建て替えられた。
改修以前は明るい朱色で
全て階段が刻まれていたが
改修で色は落ち着いた弁柄色に変わり、階段は中央部分が平坦になっている
楼門(国の重要文化財)
本殿 4棟(国の重要文化財)と若宮
小高い丘の上に立つ西行堂。漂泊の歌人西行の妻子は西行が高野山を拠点に活動する間、
高野山に近い天野の里で暮らし、西行が弘川寺で没した後も当地に留まったそうだ
随筆家の白洲正子は、1971年に上梓した著書『かくれ里』の中でこの里についてこう
綴っている。
「こんな山の天辺に、田圃があろうとは想像もしなかったが、それはまことに「天野」の
名にふさわしい天の一角に開けた広大な野原であった。もしかすると高天原も、こういう
地形のところをいったのかも知れない」「ずいぶん方々旅をしたが、こんなに閑か
でうっとりするような山村を私は知らない」「できることならここに隠居したい。桃源郷
とは正にこういう所をいうのだろう」