西行法師終焉の地弘川寺から葛城山へ | 柴犬さくらの旅日記

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yahooブログ終了によりこちらに引っ越しました。
九州から北海道まで全国を旅する柴犬のさくらです。
緑豊かな美しい日本の自然探訪と山歩きを中心に
旅で出会った皆さんとの触れあいを綴っています

今月初旬のある日の早朝、暑くなりそうな空の色を見て目の前に横たわる山に
登って涼むことにした。
登山者が多い金剛山を避けて葛城山に登ることにして、他の登山者との出会い
が少ない弘川寺からウスイ林道に合流するルートにしよう

 

 

 

弘川寺は南河内の山里に鎮座する1300年の歴史を持つ古寺で、修験道の開祖の
役小角が開基し行基や空海も修行したと伝えられている。
何より平安末期の漂白の歌人西行法師終焉の地として知られ、熱心な西行ファンの
女性たちが遠方からも訪れる

 

 

役行者の自作といわれる薬師如来像を本尊とする弘川寺

 


庭園の西行記念館には西行直筆といわれる掛け軸をはじめ数多くの資料が展示。
樹齢350年余の海棠(大阪府天然記念物)は4月中旬ごろ見事な花を咲かせる

 

 

本堂右手から裏山へ登る小径の先に西行堂や西行墳などが在り、葛城山へ続く

 

 

       

 

 

西行座像をまつる西行堂

 

 

      春は桜とシャガに彩られる小径を登る

       

 

 

西行墳の傍に立つ歌碑には、桜をこよなく愛した西行の代表的な歌
「 願わくは 花の下にて 春死なん その如月の望月のころ」

 

 

奥にひっそりと佇む西行墳

 

 

西行を慕って終焉の地を探し求めた江戸時代の歌僧似雲が西行墳を守るように眠る

 

 

西行を偲んで千本余の桜が植樹されていて、春は桜が咲き誇る

 

 

              夏草茂る山路をさらに上へ

             

 

 

              山路にひっそり咲く花に癒される

             

 

 

            似雲も西行に倣いこの地に草庵を結び歌を詠んでこの地に眠る。
            江戸時代はここから須磨や明石が見渡せていたのだ

             

 

 

花の庵跡近くから西の彼方を眺めてみたが須磨、明石は見えなかった

 

 

ここから「すぎ・ひのきの道」で葛城山へ向かう

 

急坂を暫く登ると尾根に出る

 

 

             大阪側の眺望を遮る立木が無くなった

             

 

 

我が家周辺が金剛山や二上山から見るより近くに見えた

 

 

葛城山頂まで半分くらい

 

 

うっかりすると間違えそうな分岐点

 

 

正しいのは左の方の下り道。直進の上りは送電線の作業道でやがて行き止まり。
送電線が建て始められた頃はそっちの道の方が立派なのでよく間違えた

 

 

国道309号線と繋がる林道ウスイ谷線と交差しそのまま支線を直進

 

 

上の子どもが小さい頃はバイクに乗せてこの林道を山頂近くまで登ったことがあった

 

ところがそのうちここで閉鎖され一般車は通れなくなった。
40年近く経った今、もしかしたら通れるようになってないか少し期待していたが
前より頑丈になっていてバイクも通行不可。
おとよさんの葛城山バイク登山は諦めて、今まで通り歩いてもらおう。
本日の下見終了、ここで引き返した