真田一族は、戦国時代に真田昌幸・幸村父子が豊臣方(西軍)、幸村の兄信之が徳川方(東軍)に
加わり、父子・兄弟が決別し、それぞれの軍で戦いました。
信州真田の家門を死守した信之は、関が原の戦いの後、上田から松代に移封され、以後250年
間、真田家は明治の廃藩置県まで10代にわたり、北信濃を支配することになります。
「真田十万石行列」は、その松代藩真田家の良政を讃えたお祭りで、馬12頭も加わって総勢28
0名の武者たちが町内を練り歩き、時代絵巻を繰り広げました。
私たちも行列の後に付いて歩きましたが、なぜか美しいお姫様の後ばかりになってしまいまし
た~(笑)
真田家の6文銭の家紋が入った格好のポジションがありました~
でも、馬が驚くかも知れないからといって、警察官のおじさんに注意されて下に下りました~。
それで、パパの腕の上で見物しました~
お殿様ともお知り合いになりました~
さて、にぎやかな行列から少し離れ、さくらと連れ立って城下町を歩きました。
松代には真田家ゆかりの歴史的にも貴重な旧跡がたくさんありますが、そのひとつ、先月修復工事が終わり、オープンしたばかりの真田邸(新御殿)を訪ねました。
九代藩主・真田幸教が義母・貞松院のために元治元年(1864年)に建てた御殿ですが、江戸末期の庭園を持つ御殿建築としては、全国的にも少なく貴重な建物と言われています。
表門は、冠木門というスタイルで門の両脇に長屋が付随しています。
松代には真田家ゆかりの歴史的にも貴重な旧跡がたくさんありますが、そのひとつ、先月修復工事が終わり、オープンしたばかりの真田邸(新御殿)を訪ねました。
九代藩主・真田幸教が義母・貞松院のために元治元年(1864年)に建てた御殿ですが、江戸末期の庭園を持つ御殿建築としては、全国的にも少なく貴重な建物と言われています。
表門は、冠木門というスタイルで門の両脇に長屋が付随しています。
ワンコは邸内には入れないので、さくらはここで暫くお留守番です。
主屋は四ヶ所の杉戸によって、表と奥などの空間が仕切られています。(杉戸は外されていました)
また、襖(ふすま)は、部屋の格式によって柄が異なっていて、左右の襖と奥の正面の襖の柄が違っています。
また、襖(ふすま)は、部屋の格式によって柄が異なっていて、左右の襖と奥の正面の襖の柄が違っています。
ここで、またまたお姫様たちに登場です。(本当はお姫様では無くて、藩主の義母・貞松院さんの役回りなのですが、とてもお若いでしょう。実はまだ高校生のお嬢さんなんですよ~)
この部屋は主の居間で御居間と呼ばれ、ここから庭園を眺めるように設計されているそうです。
この部屋は主の居間で御居間と呼ばれ、ここから庭園を眺めるように設計されているそうです。
その庭園をスイングしてパノラマで~
写真中、右下のボタンをクリックすると拡大します。
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ついでに室内もスイング~して、真田家の城下町松代を後にすることにします。
松代の皆さん、ありがとうございました。
松代の皆さん、ありがとうございました。