次の日の未明、星が出ていないのを見てがっくりしたパパさんは、それなら紀伊大島に渡って(橋で渡
れます)スイセンでも見よーっ!と車を走らせました。
島の最南端、樫野埼灯台には狙い通りというか、そんなもの好きはいないのか、だーれもおりません。
満開のスイセン畑の中で甘い香りに包まれながらふたりで日の出を待つことにしました。
やがて、日の出を迎え、雲はあったものの太平洋から昇る旭日を拝むことができました。
゛今年も無事に二人旅を続けられますよう゛パン!パン!お願いしました。
串本節にも唄われ悲願であった橋は平成11年に完成し潮ノ岬と結ばれました。このくしもと大橋はループ橋とアーチ橋の3本の橋を組み合わせた美しい橋で、島の人たちにとっては「夢の架け橋」です。
樫野埼灯台下に自生するスイセンは、明治の初め頃この灯台を造った英国人技術者たちが持ち込んだものとされています。極東の辺鄙な島での慣れない暮らしを、遥か母国への思いをスイセンの香りに癒したのでしょうか。
日の出はまだかなー、アクビがでそうだなぁー。
(上下の画像少し明るく補正しています)
でちゃったぁ!
午前7時2分、太陽が姿を現しました。
午前7時3分。(さくらは置物ではありません)
午前7時10分、海も少し赤く染まりました。
樫野埼灯台は明治3年(1870)年に点灯した日本最古の石造りの灯台です。
観光用に造られた展望台の上で記念撮影しました。
展望台から足元の眺めです。実はこの日、この下の岩礁で磯釣りをしていた男性が
水難事故で亡くなったとお昼のニュースで言ってました。
明治23年(1890)年、樫野埼灯台東方沖で遭難し581名もの犠牲者を出したトルコの軍艦「エルトゥールル号」の遭難慰霊碑です。このとき島の住民たちの献身的な活動で69名が救助され、以来美談としてトルコの教科書に載るなどトルコと島の人たちとの友情と友好関係は今に続いています。
タイルで飾られたトルコ記念館もあります。
近くにあるトルコ絨毯や陶磁器、装飾品などトルコの物産を売っているお店を覗きました。トルコ人のご主人にパパさんがトルコが大好きで2回行ったと話すと、そのご主人はトルコに2回も行った日本人は嫌いです。なぜならそんな人はこの店では買い物してくれないからです!と言って奥に入ってしまいました。
パパさんはそんなご主人の話に納得するやら感心するやらしていました。
気を取り直し、本州最南端の潮ノ岬灯台近くのキャンプ場に行って、広大な「望楼の芝」を走り回って遊びました。
ここでも磯釣りの人たちが釣り糸を垂れていました。皆さん気をつけてくださいねー。
1月最終土曜日に実施される望楼の芝の野焼きの案内がありました。パパさん、また見に来ようね。
このキャンプ場で暫く滞在する予定でしたが、さくらの妹分のはなちゃんのパパさんから電話がかかってきて急に帰ることになりました。
帰り道、熊野三山のひとつ熊野本宮大社を参拝しました。
社殿前です。
社殿です。(ここはワンコ禁止されてます。写真だけ撮らせてもらいました)
熊野本宮大社が明治22年の熊野川大洪水で今の場所に移るまで熊野川の中州に在った旧社地の大斎原です。パパさんはこの場所に来ると不思議なパワーを感じるといつも言います。
この大鳥居は世界文化遺産登録の頃に立てられました。
旧社地もいつの間にかワンコ禁止になっていたみたいで、熊野川の堤防の上から大斎原を眺めました。
川全体が天然の露天風呂になる川湯温泉に立ち寄りました。この大きな露天風呂は川の水量が少ない冬場限定で春になると場所が変わります。
千人風呂とも云われています。
さくらは温泉が嫌いなので川で水遊びしました。
川原の無料駐車場は午後5時までです。これから国道168号線が夜間通行止めになるまでに走り抜けて帰宅します。バイバイでーす。
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