東日本大震災の数日後、被災地のブロ友さんから救援依頼を受け
手に入るだけの携行缶にガソリンを詰めて、深夜大阪を出発。 通行可能な道路のひとつ、北陸道~磐越道で福島を目指しました。 |
富山では残雪の立山連峰に心惹かれましたが、横目で眺めてお 預け |
新潟に入ると、直ぐに険しい親不知海岸が迫りますが、今回は 初めて海上を走る高速道で難なく通過 |
ここまでずっと起きていたさくらは朝陽が上がる頃、いつもの ように左腕にあごを乗せる好みのポジションでウトウト。 |
実は、車内に積み込む際にガソリンを少し溢してしまい、臭い が充満して眠れなかったようです。 私は花粉症のおかげで全く平気でしたが(笑) |
目的地は福島県。ここでどちらのルートを取るか少し迷い、や はり通い慣れた北陸道で行くことにしました。 |
どちらにしても北へ向かう道路はガラ空きでした。ここまでの 高速道SAでも給油制限するスタンドがありましたからね |
米山サービスエリアで朝食を済ませ、散歩していると芭蕉の有名な句碑がありました。 |
でも、あいにく佐渡は見えません。 もっとも芭蕉がこの句を詠んだのは出雲崎あたりの筈ですから |
柏崎にも東京電力の原子力発電所があります。 全部で7基有り世界最大の出力820万キロワットの原発ですが中越地震による事故で現在3基が運転休止しています。 |
今回の福島原発の事故で、我が国の原発の弱点と政府の危機管理能力の欠如が全世界に知れ亘ってしまいました。 天災だけで無く国内外からのテロにも万全の備えが必要でしょう |
寝るならちゃんとした格好で寝たらいいだろうに(笑)
磐越道に入ると頻繁に自衛隊のトラックを見かけるようになり ました。やはり、一番頼りになる心強い存在です。 |
磐越道は地震による損傷のため新潟県内の津川インターから先 は通行止めでした |
津川インターで降りて、最寄のガソリンスタンドで燃料(軽油)を満タンにしました。 |
これで最大700Kmは走れるから帰り道もほぼ安心。ここから国道49号線で福島へ向かいました |
地震で被災した会津地方に入ると、さくらは何か感じたのか?
ジッと前方を見据えていました
地元のブロ友さんから通行可能と教えていただいた国道289号 線で山越えして白河を目指しました。 |
ももがじパパさん、ありがとうございました |
長い甲子トンネルを抜けると濃い霧に覆われていて、雪の残る
道路を慎重に走りました。
待ちわびる皆さんに無事にガソリンを届けなくてはなりません。
ただ、地震で道路は至るところ陥没隆起してガタガタ、揺れる
度に気化したガソリンが車内に充満。
実はガソリン携行缶だけではどうにも足らなくて、灯油タンクも
使ったから。臭いし、危険なので窓を全開して走行しました。
夕方、白河に着くと涙の出迎えを受け、こちらも大感激。 『さくらちゃんもよく来てくれたね~』と喜んでもらい、 さくらも癒し犬の役目を果たすことが出来ました。 |
ガソリンのほか食料品、カイロなどの積荷を降ろし終え、 皆さんと近くの温泉へ行って温まり、その夜は寝袋に包ま って車中泊。 |
翌朝、激しい余震にたたき起こされ、未だ続く余震に不安 が募りました。 さくらの散歩に出ると、至るところに倒木や地すべりの跡 も生々しく、歩けなくなるほどの余震にもしばしば襲われ ました |
被災地の知人を見舞い、幾ばくかの救援物資を届けに行っただ けなのに、逆に東北の人たちの明るさと元気、そしてこんなに たくさんのお土産をいただきました。 |
折から福島の野菜は出荷制限が言われ始めた頃だったので、ハ ウス栽培だから絶対心配は無いからねと言いながらも、それで も風評を気にされたのか、少し遠慮がちに渡されました。 |
もちろん、喜んでいただいて帰りました。そして、風評なんか 全然気にしないから欲しいと言われたご近所の皆さんの言葉が 嬉しかったです |