鎌倉殿の13人ゆかりの旅その4 | さーやの庭

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大河ドラマ館のあとはランチをして
またしても長女と私で歴史散策。

まずは
宝戒寺。北条氏の得宗家(泰時の子孫)の家があった場所でもあり、そのすぐ近くには北条氏が滅亡するときに一族が集団自決した場所もあった。
長女は大好きな北条氏の最後を知るのは悲しいと言っていてかなり北条氏が気に入ってるみたいだ。

次は日蓮上人辻説法跡地へ。


さらにそのまま歩き北条氏によって滅ぼされた比企一族のお墓もある日蓮宗の妙本寺。
ここにはドラマでも描かれた幼くして亡くなった一幡のお墓も。
広い敷地の中ひっそりと眠る比企一族。

大河ドラマを観るまでは知らなかったけれど
何か少し違えばこの方達が執権になっていた世もあったのかなと。

さて、鎌倉では今回まわりたかった場所を全てまわった。
下の子たちとパパは江ノ島でタワーに行ったり遊んで、モノレールで大船にむかうとのとこ。

「大船!?、、あそこにも行けるじゃない!」
長女とホテルに全ての荷物を取りに行き、引きずりながらもやや早足で鎌倉から大船に向かった。

そして大船駅のコインロッカーに荷物を預けた。
そしてガイドブックとグーグルマップを頼りに徒歩約15分。

まずは源義高のお墓。
住宅街にあるなかなかの傾斜の坂をのぼり、突然横手にでてきた階段をさらにのぼり、少し薄暗いところに入っていくと、
そこにはぽつんと源義高のお墓があった。
父木曽義仲と頼朝との政治によって頼朝のところで人質となるも、そこで頼朝の娘の大姫と恋仲に。
しかし義仲と頼朝との争いにより義高は若くして殺されてしまう。
その死に嘆き悲しんだ大姫もまた早逝してしまう。

生まれ育った土地にも帰れず
愛する人とも結ばれなかった若者のことを思うととても悲しい。

そしてそこからそのままゆっくりと敷地内の坂を下っていくと、、
辿り着いたのは
常楽寺。北条泰時が妻の母の弔うために建てたとされるが現在は泰時自身も眠るお墓がある。
長女は旅の計画中にここに行きたいと言っていたが、鎌倉でどれだけじっくりまわるかわからず、大船ということもありここは計画からは外していた場所だった。

でも、義時亡き後、御成敗式目をはじめとした新しい平和な時代を築こうとした泰時のもとにこれて旅の終わりは希望を感じられるものとなった。

もう旅の中でたくさん歩いたので足はパンパンだったが、長女は忘れられない旅となったそう。
帰った日が鎌倉殿の13人の最終回だったけどこの日は見たら眠れなくなると判断し(翌日学校もあったので)、次の日に家族みんなであらためて最終回をみた。

義時の死の描き方がなぜか腑に落ちてしまう、本当にこうだったんじゃないかな、と思わせるような、、一本の線で繋がっているようだった。長女も、悲しかったけど政子がそばにいたね、と言っていた。

約一年間、素晴らしい大河ドラマを作ってくださったすべての方に感謝!!

長女はこののちの世界を描いた南北朝時以降ももっと知って、次の「どうする家康」も楽しみたいとのこと。

一年生のときに10分で読める伝記の本を買ってあげてからというもの、すっかり歴史好きになった長女。
私も歴史が好きだから長女と共に歴史の旅をすることができて心から楽しかった♪