それは、すべての物の最小単位です
目に見える机や椅子などそのすべての物体から
“やる気”や“元気”など
目に見えないものまで
(2023年4月の記事の再掲です)
先日の東洋医学の
“気をととのえるお話会”
でこの話を聞いた私はすかさず
『あ、素粒子のことだ』
と思いました
目には見えないその最小単位である素粒子は
宇宙から絶え間なくふりそそぎ、
今も私達のこの体をも貫通しています
ノーベル賞でそれを証明した物理学者も存在する現在
でもそれを、むかしむかしの人達は
感じることによって発見し、
学問にまでしたのでしょうか
本当に東洋医学って不思議ですね
お話会の中では『気』は目には見えないが、
感じることはできる。と話されていました
なんとなく嫌な気がするとか
なんか好きとか
誰でも感じたことありますよね
もしも目に見える人がいたら。
それは…
『残念ながら病気です』
と言って会場を笑いの渦に巻き込むお茶目な先生
そりゃーそうだ
顕微鏡でも見えない大きさなのですから
でも、見た人がいるんです
それはこの日、
たまたまこの会場への送迎を担当してくれた友人です
その子は大学、大学院共に物理学を専攻し
筑波の研究所で素粒子の実在を数値化し
そしてそれをスウェーデンの学会で発表した人物
なるほど
だからその友人は、お坊さんみたいに
気を整えて生活してるのかー
友人も『素粒子は心地よいもの同士が結び付く性質があった』と言っていました
それは互いに同調し合い、
お互いに交流するという気の性質の事だったのですね
それは、つまり
自分さえ整えていたら、すべてが整うということ。
だからこそ『自分に集中』
とさかんに言われるのでしょう
それはもう私達の構成の素である、原子レベル
そしてそれより小さい素粒子レベルでそうだということ
目に見えないのは
私達の目の性能の問題なのであって
オカルトでもおまじないでもなんでもなく
これは紛れもない事実であり、
『気』は
実在するものだ
ということですね
自分の気を整えてさえいれば
『すべてにおいて整う。』
だから自分を整える事に集中しよう
それは、
すべてのものの素が『気』でできているからだったんじゃね〜
それを実在する事実として捉えている人の在り方を見て、私はとっても衝撃的でした
実際に整える方法は既に世にに出回っているものばかり
だからこそ、違いはここにあるのだと確信しました
それは
『気は実在するものだ』
ということが体感として理解できるかどうか
それは、
この友人のような特殊な人でない限りは、
自ら行動してふに落とすしかないよね
行動あるのみじゃね
自分の気を整える
やってみよう
今日も最後まで読んで下さって
ありがとうございました
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