舞台の神様 | サクラバレエ 

サクラバレエ 

サクラバレエは岡山市にある“大人からはじめる本気のバレエ教室です。
ワガノワメソッドに基づいた大人向けカリキュラムで段階を踏んで上達
出来るよう1人1人丁寧に指導しています。未経験の方ぜひどうぞ!
※スケジュールや料金は“テーマ”から♪

今年もあと2週間。

 

TVで今年1年を振り返る番組が増えて来ました。

 

私の中で、今年1年の印象的だったニュースは、舞台演出家の蜷川幸雄さんの訃報でした。

 

蜷川幸雄さんは、高校生だった私の神様でした。

 

この世には、プロの舞台演出家というものがいて、

 

その中にはどんでもない才能を持つ人がいるのだということを、はじめて知った相手でした。

 

NHKの芸術劇場を見て、TVの前から一歩も動けなくなりました。

 

その時、私は高校で演劇同好会に入り、舞台の面白さを知って、夢中になっており、学校の練習だけではあきたらず、どこかにホールを借りて、自分達で公演をプロデュースしよう!と意気込んでいました。自分で公演をプロデュースして、脚本を書き、キャスティング、演出、照明、音響、装置、すべてのことにチャレンジしょうとしていた時でした。

 

当時の私は、人生ではじめて舞台演出というものに挑戦していた頃で、そのむずかしさや面白さに夢中になっていました。

 

TVの中の、ステージ上に組み上げられた階段を見て、

 

・・・こんな、ステージの使い方があるんだ。

 

・・・ステージの大半が階段だなんて、どう考えても邪魔そうなのに、階段の上で演技させちゃうんだ。

 

・・・こんな照明の当て方があるんだ。

 

・・・すごい!すごい!すごい!

 

とても印象的で、知らない間にTVの前で2時間正座をして、息をつめて夢中になって見ていました。

 

見終わると、言葉に出来ない感動と共に、不思議な感情が沸き上がってきました。

 

・・・くやしい。

 

同じ人間なのに、今の私には、どうやったって同じことは出来ない。

 

くやしい、くやしい、くやしい!

 

どうすれば、この人のようになれるんだろう。(まぁ、当時16才くらいでしたからね。訳もなく熱いんですよ、ハートがね。)

 

当時はインターネットなんてありませんでしたから、私は学校や市の図書館に通っては、彼と関係のある本を読み漁りました。

 

すると、ますます、くやしい!

 

当時、彼の舞台で装置を組んでいた妹尾河童さんの写真集。

 

TVで見たのは、確かマクベスだったと思いますが、どの舞台を見てもセンセーショナル!

 

しかも、寺山修二さんや唐十郎さんとも関係があって。

 

うわぁ~、この人、天才だ!

 

遠い!今の私からは果てしなく遠い!

 

まぶしすぎて、近づけない!

 

それでも、演出家として目指したのは、彼でした。

 

彼のようになりたくて、そこから10年はひたすら勉強しました。

 

・・・たくさん、戯曲を読みました。

 

・・・たくさん、舞台を見ました。

 

当時は東京に住んでいましたから、演劇の公演は、毎週末どこかで行われています。

 

新宿、下北沢、池袋。

 

食費をけずって、洋服を買うのをガマンして、バイトをして貯めたお金で、せっせと劇場に通っていました。

 

(私は彼のように天才じゃない。だから、努力しなくては。)

 

舞台を見に行くと、劇場に着いたらすぐにノートを広げて、舞台装置を描き、照明を描き、観終わった後は感想を書き、一緒に観に行った友人がいれば、そのまま朝まで演劇論を語り、夢を語り。

そうやって、ノートは1冊、2冊、3冊・・・とたまっていき。

 

やがて蜷川さんは、突然、アイドルを起用した舞台を演出するようになりました。

 

当時、多くの人がそう思ったように、私もこう思いました。

 

「どうしました?!・・・蜷川さん!気は確かですか!」

「・・・ああ、あなたは、商業演劇に魂を売ったのですね!」と。

 

「もう終わりだ・・・。」と。 ←なにが終わりなんだかいまだに良くわからないんですけどね。当時は本気でそう思っていたのですよ。

 

もう、これだけで、3日3晩語れそうなくらい、嘆き悲しんでいました。

 

けれど今思えば、アイドルになれるということは、それだけ人を惹きつける魅力があるということ。(アイドル=才能という意味ですからね。)

 

魅力がある人を舞台で使いたいと思うのは、今考えてみればごく当たり前のこと。先見の明あり、な訳です。

 

それに、当時の蜷川さんに鍛えてもらったおかげで、今の二宮君や松本君がいると思うと、タイムマシーンに乗って、あの頃の私に会いにいって教えてあげたい。(嵐ファンなので)

 

「コラッ、嘆くでない。・・・いつかわかる。蜷川さんは、やっぱり偉大なのよ。今の君には、わからないかもしれないがね。フッ。」と。 ←なぜ、いばる

 

岡山に来てからも、王女メディアを観に和歌山まで行ったりして、クレーンでつられた俳優さん達を、口を開いて観ていました。もちろん、ノートを持って。

 

その後、確か、新潟の方だったでしょうか?

高齢の方ばかりを集めた舞台を上演したと知って、また、驚愕しました。

 

(蜷川さん!あなたすごいよ!)と。

 

セリフがバンバンとぶ(抜ける)くらい高齢の(たしか)素人の人達ばかりを集めて、プロンプターをつけて、稽古をつけている姿は、本当に感動的でした。

 

(やっぱり、この人は、常識を超えていくすごさがある。誰も考えつかないようなことをやる才能がある)

 

彼に追いつけないのは、年齢や人生経験のせいだけではないと、思い知った瞬間でした。

 

 

まあ、要するに、私が一方的に憧れていたというだけの話なのですが、それでも、いつかお会いしたかった。

 

いつか、演出をされているところを見てみたかった。

 

もっと言うなら、一度でいいから演出して頂きたかった。

 

彼が演出の舞台なら、セリフなしで立っているだけでもいい。

 

心のどこかでそんな風に思っていましたが、いつしか、私の意識はバレエの方へと移っていたので、後悔というよりは、甘酸っぱい青春の1ページのような記憶です。

 

彼が演出をつけた、すべての役者に嫉妬しながら、後ろを追いかけ続けた人でした。

 

その後、バレエと出会い、モーリス・ベジャールという天才的な振付演出家に出会い、

 

「・・・世界には、世界にはすごい人がいる!」

「バレエは言葉がないから、海外の演出家と日本のダンサーが共演したりすることに、壁がないんだ!」

「バレエは歴史がある分、演出家も深みがある!世界はスゴイ!バレエもスゴイ!」と驚愕し、バレエの世界へに魅了されるようになります。

 

やがて、プティパの奥の深さに深く心を打たれ、「クラシックバレエ、最高!」とバレエ愛はMAXに・・・。

 

こうやって書くと、私はずいぶん色々な人や物に心を動かされて来ているようですね。

・・・気がつかなかった。

 

ただ、いずれにしろ、こうやって改めて振り返ってみても、やはり蜷川さんが私の舞台愛の源になっていることは間違いありません。

 

憧れて、憧れて、憧れてやみませんでした。

・・・20代の私の神様でした。

 

心からのご冥福をお祈り致します。

 

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・・・もうすぐ、クリスマスですね。しんみり。