いつもお読みくださりありがとうございます。

 

前回の記事ですが、たくさんの方にお読みいただけて、思ったより批判もなくやはり皆さん思い当たるところがあるのかなーなんて思ったりしています。

前回↓

 

こちらにコメントもいただいたりして、たしかに低学年くらいだとまだ良くも悪くも海の物とも山の物ともわからない→わが子は実は軽々と御三家行けちゃう?などと思ったりしてしまうのかもしれませんね。

でも実は超出来る子というのは、3年生ではだいたいすでに飛びぬけて出来ています。。。。滝汗

受験準備の低学年化が進んでいますのでね。なんの準備もなく、新4年生から入塾させて御三家クラスへ、というのはかなりレアなルートになってきていることは塾の先生ならみんな気づいていると思います。

 

そういえば、書いていて思い出したのですが以前知人の中学教員→中学校長→小学校校長(途中省略)とキャリアを重ねた

先輩と話していた時に「ねえ、なんであんなに小学生の親って偉そうなん?」(関西人)と言われたことがあります笑い泣き

 

なるほどーと思ったんですよ、そのとき。

中学生になると(そこは公立校ですが)、そこまで「わが子可愛さ」からの理不尽な要求をしてくるバカな親が減ると言っていました(笑)。どういうことかというと、その先生は中学校から小学校へ移ったので、あまりにも「わが子のためだけの」要求をしてくる親の多さに辟易したそうです。

 

例えば。「行事の写真撮影に偏りがあるのではないか」とか、「クラス替えのやり直しの要求」「担任の先生に言いたいことがある、いますぐ電話口にだせ」→「今授業中で」→「そんなこと知らない。私は仕事の合間に電話しているんだ!」とキレる親とか。あなたにお時間を割く間に、学級の子全員の勉強時間が削られます。後日にしてくださいとその先生はきっちり対応できる先生でしたが、言われっぱなしの校長もいるようですね。

 

あとは「行事の時間設定が、いつも仕事と重なる」とか、「山登りは危ない。うちの子のもっと興味のある遠足の行先へ変更できないのか」→これは、「うちの子の」とは言わず、「みんな」と言ってきたそうですが「もっと子どもが興味を持つような場所を選べないのか、例えば〇〇」と提案され、それがその子の趣味の合う場所だった笑い泣き

 

とにかく、「うちの子が一番!」「うちの子の言ってることが正しい!」「うちの子が迷惑をかけられている(事実誤認)」「うちの子が可哀想」というクレームが本当に小学校の校長になったら多くて、びっくりしたそうです。

 

中学校になると、相当な問題児やクレーマーじゃないとほとんど何も言ってこないんだとか。

逆に学校から、「この書類が出てません」とか受験についての相談とか、を保護者に電話することのほうが増えると言っていました。問題児へ電話するとだいたい出ないとも言ってましたが滝汗

 

それを聞いて、たしかに小さければ小さいほど、親ってわが子に夢も膨らむし、期待もしますよね?もう幼稚園とか保育園のころって「可能性のかたまり!」っていうイメージもあるから何を見ても聞いても「うちの子天才!」って思っちゃう人もたくさんいると思います。たしかにいたなー周りにも真顔

 

だけど、だんだん子どもが大きくなると、良くも悪くも「こんなもんか~ニヤニヤ」って開き直りも入ってきませんか?(笑)

私自身もそうでした。けっして「うちの子できる」とは思わなかったですが(幼稚園のころから兄が問題児だったので)、勉強が始まる以前の生活面(人の話をちゃんと聞く、ちゃんとおとなしく座っている、など)でなぜうちの子はこんなに落ち着きがないんだろうと悩んだりして、逆に自信満々なお母さんたちがうらやましいとさえ思ったな~。

 

おとなしい子やリーダーシップのある目立つお子さんのお母さまの自信にあふれた姿がまぶしかった~!!滝汗

 

それが、だんだん大きくなるともう悩んでも仕方ない、と思ったり、意外に客観的にみると得意なことが出てきたりと冷静にわが子と他の子を比べられるようになってきました。私の場合は劣等感がだんだん薄れてきた感じですかね。逆パターンでしょうか。(もちろん、ため息の出る苦労はたくさんしています。感覚も鈍くなってきて、諦めの境地。)

 

わが子を冷静に見れなくなるのが中学受験と言われますが、一方で、どんなに逆立ちしたってたった1回のペーパーで順位がつけられるというある意味公平な「客観的視点」ともいえるので、現実が見えるっちゃ見えるじゃないですか?だから現実を受け入れて受容していく、わが子の立ち位置を受け入れていく、その1つの手段が「中学受験」なのかなと思います。

残酷なまでに出るテストの結果。。。。。どんなに幼稚園のときに天才!って思っても、そうでもなかったり(笑)

上には上がいる、ということを小学生にして知ってしまうことがいいのか、悪いのかはわかりませんが、たしかに私の周囲でも高学年になるにつれて、おとなしくなっていった「親子」というのはいました。(笑)

 

コメントをいただいたお話と同じで、低学年のころは御三家以外は考えていない、または悪くて慶應の附属かな~くらいの鼻息の荒さだった方も、高学年になれば黙ったり。

 

そこで成績の悪さに親がキレたり落ち込んだりしつつも、ああ、うちの子ってこんな感じかな~って少しずつ受容して、もちろん背伸びして頑張らせつつも、わが子にあった学校へ落ち着いていく、という流れがあってその中で変なマウントは薄れていくのかもしれません。。。。

 

中学生にもなって、「わが子の行事写真が少ない!」とか言ってたら頭おかしい、と思われますよね(笑)

なんで小学校にはそんな親がいるんだろうって言われたとき、よくも悪くも大きくなっていくわが子への諦めですかね~と話して笑ったことを覚えています。

 

優秀児を持つママも、もう少し時間がたてばいろいろな話を周りも素直に聞いてくれるのかもしれないですね。

それにしても、可哀想なことも多いですが。

友人は嘘ではなく、本当に余裕を感じたことはなかったし、模試でいい結果が出たとしても受験に絶対はないので合格発表を見るまでは緊張と不安が絶えなかったそうです。合格率80パーセント以上が出ているからこそ、これで落ちたらどうしよう、塾とか周りにどう思われるんだろうとか、本人も親も一度も安心と思ったことはなかったと言っていました。

 

どんな家庭でもどんな子でも、苦労は必ずあると思います。

もちろん、成績いいのはうらやましいなあとは思いますが、悔しいからって嫌味を言ったりするのは何のプラスにもならないですもんね。わが子にも。

 

偏差値至上主義だからこそおきるマウントが、偏差値がはっきりすることによって抑えられていくって皮肉だなーと思います。

 

ほんと、人の振り見て我が振り直します。

 

いつもお読みくださりありがとうございます。