がん告知
2003年1月8日(20年経過したんですね)
前の夫は27才で
急性骨髄性白血病
を告知されました。
私が26才の時でした。
2001年2月26日に結婚した私達。
結婚2年目でした。
子供は2人欲しいからと
4LDKのマンションを購入して
まだ1年も経っていない時です。
このがん告知によって私達は
様々なことを諦めたり
沢山のことを我慢したり
20代後半の大半を
闘病・看病
のために時間を過ごす事になりました。
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告知の時
夫・夫の両親・兄・私
の5人で話を聞きました。
医師の説明は
【血液とは】
という内容から始まりました。
2時間ほどの時間をかけての告知。
この日から最短でも
半年はこの病棟での抗がん剤治療。
骨髄移植も念頭においてください。
すぐに抗がん剤治療を開始します。
抗がん剤治療をすると妊娠の可能性が…
精子凍結という方法もありますが…
もっともっと詳しい説明を
していただきましたが
頭が混乱するばかりで。
夫は助かるの?
助かるためならなんでもする!!
でも
夫が半年以上入院したら
生活はどうなるのか?
治療がうまくいかなかったら?
あれ?私、明日からどうしたらいいの?
という現実も同時に考えたりして。
夫はそんなに大変な事に
なっているとは思っていなかったので
混乱と不安で
『半年も出られないの?』
『いつ仕事に復帰できるの?』
『どうしたらいいんだ』
といった感じでした。
27歳、健康だった夫にとって
信じられないことが起きてしまいました。
![ふんわりリボン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/471.png)
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そんな様子を見て義父が夫に
『生きたいのか?
生きたいならしっかり治療しろ
生きたいならなんでもサポートする』
と夫に。
『お前はまだ若い。
だから敢えて言うが
コイツと離婚するという道もある。
コイツの看病をするのなら
さいごまで。
そのかわり大変な人生になる事を
覚悟しなければならない。
よく考えてお前が選ぶんだぞ。』
と私に。
この言葉はありがたかった。
そして私は夫の看病を選びました。
夫は限界まで治療を頑張ると
決意しました。
![ふんわりリボン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/471.png)
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でもね
決意はしても
怖くて怖くて
この日は
はじめて人生最大級の
ショックを受けた日
それは
20年経過して
自分もがんになったり
父がかんになったり
再婚した夫ががんになったり
2度の死別をした今も変わりません。
死別はショックという言葉では
あらわせないですね。
なにしろ人生経験が薄くて
数日前に
夫の親友が不慮の事故で
突然死してしまったことも
まだ整理ができていない
そんな時の出来事。
この日は
忘れられない日。
若くても何が起きるかは
分からないんだと思い知った日。
その後
2005年7月23日
夫30才
私29才
で死別にいたりました。