恥ずかしながら帰ってまいりました。
昭和ネタではじめましょ。
昭和生まれですから。
2016年以降ぱったりでしたが、個人のブログなんてそんなものですね。
ブログの更新をしなくなってから、アメブロ自体を開くことがほぼなくなりましたけれど。
でも知りたいことや経験者の声を知りたいときにはアメブロ検索を使っていました。
なんでブログをやらなくなったんだろ。
子育てと共にPCを開くこともあまりなくなったからかな。
スマホでほぼ事足りるようになったからかな。
私のブログは不妊治療が主だったから、そこへの情熱が薄れたからかもしれない。
もちろん、2人目は欲しかった。
息子がかわいくて仕方ないし、きょうだいが居たら楽しいだろうなとか、私自身も何も問題のない身体だったら3人は生みたかった。
でも、息子が生まれてからの不妊治療では、元々育ちにくかった卵胞はさらに育たず、どの薬にもヒットしにくい私の身体は相変わらず。
年齢もあったかな、採卵まで進めないこともあったし1つしか育たないことも続いて。
基本、胚盤胞を移植すれば妊娠する私。
でも妊娠が続かない私。
検査結果では不育ではないのだけれど。
4回流産して怖くなった半分、元々基礎疾患持ちの身体が悲鳴を上げ始めたことで移植などをお休みすることにして3年かな。
凍結胚が1つある状態で不妊治療をやめることにしました。
息子が1年生だったと思う。
主人は基本私主体の人だし、私がそう決めたなら。というスタンスの人。
もう、諦める。と言ったときに、基礎疾患の方コントロールできていないんでしょう。と一言言っただけ。
幼稚園でも低学年のころでも「ぼくに弟が来るのはいつなのかな」とずっと楽しみにして疑わなかった息子に
「ごめんね、母は赤ちゃんを産むことができないの。キミがきょうだいが欲しいのはよく知っているのに、それを叶えてあげられなくてごめんね。」
そんなことを言われて「いいよ、弟居なくても」以外に答えられないだろうに。
たまに今でも「母一人占めできるし!」とか言うけれど、年下のいとこをとても上手に遊んであげる姿を見るたびに苦しい。
きっと良いお兄ちゃんになったんだろうな。