宝石赤はじめましての方



いつもブログをご覧下さっている方、ありがとうございます。今回は大学受験についてお話します。

1、大学選び

まず、私は絶対に食品系の大学に行くと決めていて、食品関連の学部学科がない大学は眼中になく、模試の志望校欄にも1度も書いたことがありません。その理由は、こちらの記事をお読み下さい。私が食品系の大学に通う理由 

また、小6の頃から憧れていた地元静岡の大学(国公立)があり、その大学の薬学部に知り合いの先輩が通っていました。しかし、滑り止めの大学(私立)も受ける必要があります。全部で6校くらい実際に見に行ったり、問い合わせたりしました。ただ、車椅子の学生を快く受け入れて下さる大学はまだ少なく、学生実験はできても、卒業研究はできませんと言われてしまったりしていました。実際に受けた大学は3校、静岡の国公立大学、N大学(神奈川の私立大学)、東洋大学です。N大学は、出願の前に実際に行って、学部長、学科長の先生方、事務の方と実際に入学した場合どのような配慮が必要か相談する機会がありました。東洋大学は合格して実際に入学することが決まってから相談の機会がありました。

2、受験勉強

食品系の大学の受験には、理科(特に化学)の本編と数学1A、2B、英語が必須であることがほとんどです。そのため、高校2年になったら理系コースに進む必要がありました。理系に進むには、数学ができなければダメと中学3年の夏休み明けくらいから言われていました。しかし、当時の数学の先生の授業は、とても分かりにくく、私の他にもこの授業、多分上位25%しか理解できてないよねと言っている子がいました。学校で配られる課題用でもある問題集の応用問題(B問題)はほとんど解けず、当てられるたびに焦っていました。中学3年の最後の期末テストの成績も散々で母と相談して、個別指導(生徒:先生=2:1、先生は大学生、一人が解説等を受けている間、もう一人は問題を解く)の塾に通うことになりました。高校2年終了までは、テキストは特に配られず、学校の課題で分からない問題を聞く形式、高校3年はテキストが配られて、それプラス学校の問題集も使うという形式でした。先生が大学生なので、距離が近く学校の先生には相談し辛い話もできるというメリットがありますが、もう一人の子が授業丸々先生と雑談をしていて聞けない、先生も問題が分からなくて聞けないということがありました。しかし、1つ1つの問題の計算過程を細かく、丁寧に説明して下さる先生もいて、高校2年には数学が大嫌いな科目から好きな科目へと変わりました。高校2年までは先生が頻繁に変わっていて大変でしたが、高校3年になってから多くの受験生を教えている先生に固定となりました。その先生は、解説が分かりやすいだけでなく、宿題も私に合ったものを出して下さって、勉強がしやすかったです。その先生には化学も教えて頂きましたが、ある時テストで急に20点くらい上がって感動し、それを機に信頼するようになりました。それでもその年の共通テストが難しかったのと、国語や英語が苦手だったのもあり、ボーダーに届かず合格は絶望的でした。自己採点の日から1週間くらいずっと病んでいましたが、私立受験や最後のわずかな望みである二次試験(化学)に向けての授業初日に「良く頑張ったと思うよ。」と言ってもらえて心が救われました。最後の方は、1コマ80分の授業で同じ科目をやるというルールを破ってまでも寄り添って教えて下さいました。結局第1志望は受かりませんでしたが、東洋大学に(化学は多分7割以上)で合格できました。一つ残念だったことはその塾に車椅子トイレがなくて、授業の教室のすぐ隣にある自習室での自習ができなかったことです。これから徐々に車椅子や障害を持った学生も大学受験をする人が増えると思います。そのような人も自由に自習場所を選べる環境が整っていって欲しいなと思います。


3、入試

共通テスト、二次試験、N大学、東洋大学共に調査書や出願書と共に医師の診断書(私は通っていたリハビリ病院の先生に書いていただきました)や配慮申請を提出しました。また、どの試験も健常な受験生と同じ試験時間で受けました。共通テスト、二次試験は健常な受験生と同じ部屋で受けました。普段の定期テストも模試も健常な子と同じ部屋で慣れている環境で受けれて良かったです。N大学は、配慮が必要な受験生が私だけで私一人だけ別室受験でした。一人にも関わらず、試験官が4人も来て怖かったです。東洋大学は、配慮が必要な受験生が私の他に5人くらいいて、全員東京の白山キャンパスの一つの教室に集められました。私以外にも障害のある受験生がいることを知って安心しました。


長くなってしまい、申し訳ありません。ご覧下さりありがとうございます。