皆さん、連休はどのようにお過ごしですか?連休中は実家に少し帰ろうかなと、連休前にフライング旅。今年創業149年を迎えた現存する日本最古のクラッシックホテル『日光金谷ホテル』で素敵な時間を過ごしてきました。少し和風のコロニアル建築の外観を持つホテルは、避暑地にふさわしく真っ白な外観がリゾートを思わせます。

 

 

 

日光には徳川家康公を御祭神にお祀りした神社「東照宮」があります。日本屈指のパワースポットとしても名高い場所ですね。その日光東照宮からもすぐのところにあるのが、この日光金谷ホテル。昭和天皇も宿泊された由緒あるホテルです。

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レトロなものが好きな私は、こんなロゴタイプを見ただけで、ワクワクしちゃう。

しかも回転扉ですよ。あれ、ちょっと狭い。昔の人はきっと小柄だったのかもしれませんね。

 

「押す」ではなく「をす」と書かれた回転式扉。レトロやぁ〜。しかもピカピカ。

 

2005年11月に登録有形文化財に指定されいます。

 

 

金谷ホテルの生き字引である、小杉さんに館内ツアーをしていただきました。

ホテルのことは隅々まで熟知。そしてホテル愛に満ちたお方でした♪

 

 

お客様を迎えるロビーから紹介しますね。金谷家の笹竜胆のカウンター奥には、創業に関わった、アメリカ人宣教師でもありヘボン式ローマ字の考案者である ヘボン博士、金谷家当代9代目当主で金谷カテッジ イン創業者である 金谷善一郎、日本奥地紀行で金谷家の様子を紹介したイザベラ・バードの写真が飾ってあります。image

 

 

金谷ホテルは、この金谷侍屋敷からスタートします。明治4年ごろ、日光東照宮の楽師であった善一郎は、日光での宿泊に困っていた外国人ヘボン博士を自宅へ招き入れたことから、明治6年、夏の間、自宅の一部を外国人に提供したことをきっかけに宿泊施設をスタート。当時、「カテッジ イン」と呼ばれ、家族総出でお客様をもてなし、イザベラ・バードらによって、国内に居留してる外国人たちに広まったとか。明治20年代には日光は避暑地として外国人たちの中で広く知られるようになり、金谷ホテルも次第に今のカタチに発展していきました。

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金谷侍屋敷は今でも歴史館として創業の地を見ることができます。創業者 善一郎には眞一と正造の2人の息子がいました。長男の眞一氏は金谷ホテル2代目として後を継ぎ、次男の正造は富士屋ホテルの婿養子に。金谷ホテルと富士屋ホテルが似ているのはこんな兄弟の思いと親交が紡いだ姿なのかもしれませんね。ちなみに「日本クラッシックホテルの会」には、日光金谷ホテル、富士屋ホテル、万平ホテル、奈良ホテル、日光ステーションホテル、ホテルニューグランド、蒲郡クラッシックホテル、雲仙観光ホテル、川名ホテルの9つのホテルが加盟しています。

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ロビーの上空を見てみましょう。明治26年、創業の地から現在の地に拠点を移し現在の「金谷ホテル」がスタートしました。今年で創業149年。当時は2階建ての建物で、実は2階部分が当時の1階。下に掘ることで1フロア増築したというなんとも大胆な改装をされました。昭和11年新たな1階として増設された部分が、現在のロビーフロアとなります。吹き抜けの空間には、ハンティングパラダイスと言われた日光ならてはの鹿の剥製が飾ってあり、当時の最先端のリゾートライフの名残が見て取れます。

 

小杉さんが見せててくれた当時の工事の様子。

現在のエントランスの様子が姿を表した瞬間です。

 

ロビーでは色々な動物たちが迎えてくれのですが、こちらは阿吽。

 

回転扉の下には竜の彫り物。

 

象の彫り物。当時まだ日本に象がいなかったそうで、当時は想像の生き物だったに違いない。日本人が初めて見た象がこちらの彫り物だったかもしれませんね。

 

日光東照宮でも有名な眠り猫は金谷ホテルにもいます。金谷の眠り猫は顔がまんまるです。館内の彫り物の多くは作者不明だとか。小学生の時、夏休みの宿題で、日光旅行をした時に見た眠り猫を描いたんです。懐かしい。

 

実は金谷ホテルにはもう一匹の眠り猫がいるんです。あまり人目につかない所で寝ているのでなかなか遭遇することはないと思います。寝ている所、起こしてしまうと申し訳ないので、かわいい寝顔はブログでお楽しみください。

 

 

日光金谷ホテルは、外観も少し和風コロニアルだな〜と思ったのですが、こんなところには和洋折衷の建築が。3つくらいの文化が入り混じっている感じですね。

 

まだ2階建てだった頃は、客室数も少なく、こちらがメインダイニングになっていたそうです。現在は「小食堂」と言われています。天井の絵画がすごいですね。

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完成してしまうと発展が止まってしまうという思いがあり、蝶が完成していないパネルが1枚存在します。左が完成形、右が未完成形です。確かに、体の線や触角がありませんね。時折こんな未完成の発想に巡り会いますが、昔の人々の粋な発想が感じられます。金谷ホテルに行ったら、当時の粋な人々の哲学に触れてみてください。

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現在メインダイニングとして使われているのがこちら。「メインダイニングルーム」と今や古いけど「新食堂」という名のダイニングスペースがあります。

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メインダイニングは、正面入り口の上空にあり、この季節は緑が綺麗。

 

至るところに大谷石で暖炉が作られている日光金谷ホテルですが、メインダイニングの暖炉の上には、上半身が女性、下半身が鳥の姿をした色鮮やかな「迦陵頻伽(かりょうびんが)」が飾ってありました。会津小荒井の吉田仙十郎氏の作品だそうです。

 

日光東照宮では、三猿が有名ですが、金谷ホテルにも三猿がいるんです。こちらはメインダイニングに飾ってありますのでその愛らしい姿を是非一度ご覧になってみてください。

 

 

見ざる・言わざる・聞かざるの逆バージョンも。実は観光でパワースポットも巡ったのですが、山の中で猿に遭遇。日光はそれだけ猿が身近なようですね。

 

当時の人々はこんなモールディングの天井の美しさにもびっくりしたに違いありせん。柱には椿の装飾が施されています。所々デザインが違うので時代によって作者が違うのかも。こんな発見ができるので古いホテルならでなの楽しみ方かもしれません。

 

徳川家康公が寅年だったことから日光東照宮にはたくさんの虎の彫り物がありますが、メインダイニングにも虎の彫り物が飾られていました。色々な空間を楽しむことができますが、随所に施された匠の技や昔の人々の憧れというか信仰というか・・・各所に目を向け、多くの発見をしていくのも楽しいホテルでした。

 

ダイニングは1つだけじゃないんです。実はメインダイニングの奥に「新食堂」というのがありまして・・・。今となっては新ではないのですが今でも現役バリバリです。

 

メインダイニング脇の「ウエイティングルーム」。

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こちらにも暖炉があるのですが、上の日光彫の鏡をみてください。鳥居のカタチをしています。こういうジャポニズムは外国人にも好評だったに違いありません。

 

1階に行くと、フロントの奥にロビーがありました。皮張りのソファに昔ながらのシェードの照明。ライティングデスクなどもあり、雰囲気がありますね。

 

ロビー脇にはビリヤード台があり、

この脇にそうそうたる著名人の宿泊者の記録が飾ってありました。

 

金谷ホテルに宿泊した著名人は、華麗なる歴史上の人物も多数いらっしゃいます。リンバーグ夫妻、アルベルト・アインシュタイン、白洲次郎、ヘレン・ケラー、アン・サリバン、アイゼンハワー、湯川秀樹、インディラ・ガンジー、吉田茂、藤田 嗣治など多数。今回、藤田 嗣治氏が宿泊したお部屋に滞在させていただきました。

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1階のロビー奥には、大人なBAR「DACITE(デイサイト)」がありました。大谷石を多用したバーですが、「デイサイト」は大谷石の学名だとか。かつてはレコードを真空管のアンプでたのしみながら、紳士等がグラスが傾けられていたでしょう。

 

大谷石製の暖炉が備えられています。フランク・ロイド・ライトは金谷ホテルに宿泊した記録がありますが、同士が設計した帝国ホテルを思わせる暖炉は、ライト氏設計という物語もあるそうです。そんな物語を持つ、暖炉前の日光彫のローテーブルで、きっと白洲次郎がカランとダンティーにスコッチを愉しんでいたに違いありません。

 

2階奥にあるバンケットホール。現在はほとんど使われていないそうですが、ステージなどもあり、昔はコンサートや晩餐会などが行われていたに違いありません。ヘリンボーン式の床は今でも磨き上げられ、当時の美しさを保っています。

 

照明も和式。こちらにも。東照宮殿で飾られている三十六歌仙が飾ってありました。

 

 

見所が多すぎて、つい長くなってしまいましたね。

続きはまた追ってご紹介するとして、次は私が宿泊したお部屋をご紹介いたします。

 

 

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・日光金谷ホテルの朝食(オムレツ)

 

 

 

日光金谷ホテル

栃木県日光市上鉢石町1300

 0288-54-0001