お盆休みも過ぎ、残暑厳しいながらも少しずつ秋の気配が感じられたりしてきました。今週末はわが町もお祭りでにぎわいますが、その前に日本人なら誰しも特別の日と感じさせられる8月15日に少しだけさかのぼって今回のブログのテーマとすることにいたします。

 いうまでもなく先の大戦の終わりを告げる「終戦の日」として昭和20年以来79年間、日本人の心の中に特別な位置を占めてきたこの日、わしは別にすることもなく、土浦駅前アルカスの図書館で涼んでおりましたが、正午の時報に合わせて館内放送から「1分間の黙とう」を求めるアナウンスが聞こえてきました。

靖国神社の遊就館では武道館で持たれる「全国戦没者追悼式」での天皇陛下のお言葉に合わせ、正午に黙とうを捧げること、また甲子園球場の高校野球でもサイレンの音に合わせて黙とうすることは知られていますが、公立の図書館でも行うことに驚きと、逆に歴史を風化させないとする姿勢に感動しました。実際には前の机に座っていた団塊の世代に見えるおばさんは、関係なく新聞を読んでいましたが、それも日本の現実なのかもしれません。

 ちなみにこの日を過ごしたことのいある阿見町にある「予科練平和祈念館」や笠間市にある「つくば海軍航空隊記念館」は、先の大戦における貴重な資料館であるにもかかわらず、終戦の正午には特別何もありませんでした。

 

 ということは、この20年間住んでいる土浦って昭和の大戦について特別な意味を持っているのだろうか?

わしが当地で購入した本で少し探ってみたいと思います。

 

 

 最初は、数年前まで近所にあった「常陽新聞社」が敗戦60年の節目に特集した記事を単行本にまとめたものがあります。

周りの人からも頼まれてその都度今は跡形も無くなった古臭い社屋へ直接買いに行ったことがあります。

 内容は旧予科練生の戦中、戦後の体験などをインタビューしたもので、飾り気のない生活感にあふれた文章が時代を感じさせてくれます。戦争の良しあしなどではなく、「その時をどう生きた」生の声がかえって心を打ちます。

 

 2冊目は、戦後、1957年(昭和32年)生まれの著者による一冊です。わしの7つ上ですから、おそらく子供のころは、親戚が集まるたびに戦時中の昔話をしばしば聞かされたり、小中学校では軍隊上がりの教師に厳しく鍛えられたりしたとか、旧軍への思慕あふれる漫画雑誌などを見ながら育ったとか、平和憲法のもとで育ちながら、昭和初期へのあこがれがどこかで思わされる気がします。戦争に負けたとはいえ、根本は同じ民族同じ国民ですから。

 この本は先述した笠間市にある「筑波海軍航空隊記念館」の売店にて買い求めました。そのあたりのいきさつは、過去ログにて記しております。

 

 

 

 さて、最後に紹介する一冊は、この日(2024年8月15日)に土浦市の図書館の書架にて出会った一冊です。岩波の定価は2600円+税ですが、アマゾンを通して古本で1500円ちょいで購入いたしました。

 まだ全部は読了していないので、偉そうなことは書けませんが、著者は1991年生まれ、ということは平成初期ですね。しかも冒頭に書かれていたのが2016年に公開された「この世界の片隅に」というアニメ映画からというから、昭和おやじの感覚からしたら隔世の感がします。ちなみに土浦市でロングラン公開された同作品、わしも触れております。

 

 

  まだYAHOO時代のブログですが、よかったら見てください。

 

本書に戻り、まだ読みかけですが、感じたことは戦争の良し悪しではなく、軍隊という組織が街にいるっていうことは、という社会現象に注目されているのかな、ということで、令和の御代に目を移せば、「多様化」という美名のもと、それまでその土地で育まれてきた文化と異質のカルチャーが町を占拠しようとする、そんな状況にも重なるのでは、なんて考えさせられました。

 

 

 

 最後に身近な戦争遺構?となりますか。旧国立霞ヶ浦病院は敗戦まで海軍病院でした。その通用門のわきに放置されたままの消火栓。もちろん、現在では使用されてはいませんが、錨のマークは紛れもなく海軍さんのものなのでしょうね。戦争末期に供出もされず、21世紀に至っても放置されております。戦後処理はまだ終わってへんのでしょうか?