先々週の日曜日のこと、土浦市にある亀城プラザという施設で「この世界の片隅に」というアニメ映画を製作した監督さんのトークショーがあったという。
私は別にこの作品及び監督さんについては何の知識もなかったのですが、広島を舞台にしたアニメ作品の監督さんが何でまた関東平野の片隅でしかない土浦までやってくるのだろうか、と意味はよく分からなかったので、家に帰ってから作品についてのサイトなどを調べたところ、面白そうな予感がして、これなら妻を誘って見に行くのもよいだろう、と思い立ち、三連休の真ん中の日曜日に「土浦セントラル」へ車で向かった。
土浦の中心部にある、この映画館は、時代が昭和であったころは繁盛していただろうな、と想像がつくのだが、10年ほど前に郊外にできたイオンの中にシネマ・サンシャインなる映画館がオープンした後は、忘れてしまわれたかのようにさびれてしまい、くたびれまくった半ば廃墟のような外観および内装で、奇しくも というか、5年ほど前に夫婦で鑑賞した「レ・ミゼラブル」のパネルがまだ撤去されず残されていた。
また、この作品の上映は午前10時の一回ぽっきりとあって、よっぽど好きでなくては来ないよな、的雰囲気が漂っていた。ビルの入り口にある昔は格好良かったのだろう、と思わされるエスカレーターも止まっていた(震災以降?かもしれない)。
そんな鄙びてしまった映画館で上映される一昨年の新作を観に切符を買った入場者はわしら夫婦のほかに若い兄ちゃん一人のみ。ま、上映終了後館内が明るくなったら、数人増えていたようだが、二桁にはのらなかった。
ま、映画館の状況はここまでにしておいて、肝心の中身は、っていうと大戦末期の広島・呉を描いた家庭ドラマでして、戦時中の生活や人々の思いが生き生きと描かれている秀作だと思います。
比べてよいのかどうかわかりませんが、原作者の実体験を下に製作された「はだしのゲン」や「火垂るの墓」などに比べて、余計な主張、時代がどうのとか、軍部がどうのとか、米兵がどうのとか講釈したがるメッセージ性がない分、私的には好感的に受け止められました。
水兵さんに成長した小学校時代の幼馴染が「お前はいつも普通なんだよな」という感覚、これこそが私たちが時に見失いがちな「一つの心」なのかもしれません。
時代がどのような方向へ向かおうとしても見失ってはならない何かを教えてもらったような気がします。
反面,描写があまりにも淡白であったのは、製作した人たちの実体験が欠けていたからでしょうか?前述した「火垂るの墓」では登場人物の「飢餓」が一つのテーマでありそれは原作者の故野坂昭如先生の実感そのものであったように思えます。
また、上映中ふと脳裏をよぎったのは友人の祖母で10年ほど前に亡くなったC夫人がこの作品を見てくれたら、どんな感想をよこしてくれるのだろう、ということです。
個人的感想ですが、主人公と同年代の人なので。
人間は置かれた環境や背負わされた宿命に対して無力な生き物だと私自身、半世紀生きてみて実感しています。状況次第で白々しいぐらい人は変わります。
それゆえに軸のぶれない生き方って、清々しく思うのですよね。
最後に、会場に積まれていた朝日新聞の「知る原爆」なる宣伝ペーパーは、この作品を見た人には不要な、あるいは余計なアジビラのように思えました。これだけが余計でした。朝日はまた、国民を戦争に向かわせようと企んでいるのでしょうか?この作品の主題は「原爆」や「戦争」ではないと私には思えます。